あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

「石神井公園ふるさと文化館」から「牧野記念庭園」へ〈後半〉(東京・練馬)

2024-05-31 20:39:36 | 江戸・東京を歩く
 2024年5月16日(木) 〈後半:三宝寺池から牧野記念庭園へ〉

 石神井公園ふるさと文化館での観覧と昼食を終えて、すぐ西側の井草通りを横断して三
宝寺池の東側へ。



 池の近くにはスイカズラが咲き、池の東岸のカキツバタも咲き残る。
     

 池の東岸近くでは、スイレンがたくさん咲き出していた。


 池と北側の水辺観察園の間の、新緑豊富な緑陰の遊歩道を西進する。



 中の島の北岸の眺め




 カワウとカルガモだろうか。


 中の島の北西岸の木の上には、サギの巣があるよう。 




 西北端近くまで進むと、対岸に厳島神社が望まれる。



 三宝寺池の西北端付近から階段を上がり、「石神井松の風文化公園」の南西門へ。


 
 門を入り左手の園路を少し進むと気象庁のアメダス練馬観測所があり、気温など5種類
の観測をしているという。


 最近の都内の夏の気温は、ここ練馬の観測値がいつも高温であることが知られている。


 公園の東側には、午前中観覧した「石神井公園ふるさと文化館」の分館があり、西北側
の広い芝生のエリアは野球などに使われる多目的広場。





 ふるさと文化館の分館の入口前を通過し、テニスコートの西側を北進して北側出口から
公園を出た。



 北側の石神井郵便局横に回り、局前を走る都道8号・富士街道を西へ。
   

 次のT字路を北に入って石神井台三丁目の住宅地を北北西へと進む。



 途中に残る畑には、ジャガイモの花が咲いていた。


   さらに進むと緑に囲まれた「東大泉つばき緑地」が。
   

 3回ほど左右折をして西へ、東京学芸大の大泉寮や附属大泉小などの前を過ぎる。



 西武池袋線 大泉学園駅前から南へ伸びるバス通りを横断し、すぐ先の練馬区立「牧野記
念庭園」前へ。
  

 昨年の今頃は、ここに住んでおられた牧野富太郎博士がモデルのNHK総合TVの朝の
ドラマ「らんまん」を放映中で、来園者も多かっはず。


 その後も来館者は増えているようで、今日も10数人は来ている感じ。14時10分過
ぎに入園した(入場無料)。

 私の来園は3~4回目だろうか、以前は有料だったような気もするが・・

 門を入り、右手の管理棟でリーフレットなどをもらう。


 リーフレットによる、牧野記念庭園の説明と牧野富太郎博士の略歴




   


 最初は左手の園内南側へ回ると、「御案内」パネルや記念撮影用らしい牧野博士の等身大
パネルが。


     


   その先に、スエコザサに囲まれた博士の妻、壽衛(すえ)夫人の胸像がある。
     

 園路を西側から中央部へ、突き当りの記念館に向かい両側の豊富な草木を見ながら進む。

 ヒメナべワリ


   

       

     ニシキマンサク
     


 ベニガク(アジサイ科)


 「ねりまの銘木」に選定されている、ヘラノキ(高さ13m、幹の太さ1.9m)
   

     ヤブレガサ
     

   これも「ねりまの名木」のセンダイヤザクラ(高さ8m、幹の太さ1.4m)
   


 北側の記念館際まで進み、中を観覧することに。最初は手前の常設展示室へ。


以前は記念館内は撮影禁止だったような気がするが、今日は企画展示の一部を除き撮影可
能なので、適宜紹介する。


   







     

      ホテイラン
     

          チャルメルソウ
          

     


 文化勲章(左)と勲二等旭日重光章(右) 、牧野富太郎博士が1957(昭和32)年
1月18日に亡くなられてから授与されたという。
     

          

 私は、当時の石神井公園駅近くでの勤務先で、牧野博士死亡のことを知った記憶がある。







     

          





     

 常設展示室の観覧後、左手の企画展示室へ。両室の間の壁面に飾られた植物の飾り





   
   ヤマブキ(バラ科)

    
    キキョウ(キキョウ科)

     
    バイカイカリソウ(メギ科)

     
     スエコザサ(イネ科)

 企画展示の観覧を終えて記念館を出て、東北側の「鞘堂」と呼ぶ覆い屋の中に保存され
ている「書屋展示室」に回り、牧野博士の書斎と書庫の一部の様子を見る。

 博士は晩年、庭で植物の観察を行い、この書斎で著書の執筆や植物の描画などに勤しん
だという。

 書屋展示室の入口近く、壁面に掲示の「壽衛の想い描いた植物園」の絵
   

     







     
     書屋展示室前を回って右手(北側)の出口から出た。西側の小さな庭に咲く花など。
     
     
   これで園内の観覧を終え、東側園路沿いの植物も見ながら南へと出口に向かう。

     

 出口際の大きなセンダンは、細かな花がたくさん咲いていた。


 15時05分に牧野記念庭園を後にする。

   バス通りに出て左折して北へ、駅前のマンションらしい高層ビル方面に向かって進む。
   


 南口のロータリー際を進み、西武池袋線の大泉学園駅に15時30分に着いた。




 15時33分発 所沢行下り電車に乗り、帰路でスーパーに寄ったりして16時25分に
帰宅した。

(天気 曇後晴、距離 6㎞、地図 「練馬区ガイドマップ」(ねりま観光センター発行)、
 歩行地 練馬区、歩数 12,400)



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「石神井公園ふるさと文化館」から「牧野記念庭園」へ〈前半〉(東京・練馬)

2024-05-27 13:07:29 | 江戸・東京を歩く

  2024年5月16日(木) 〈前半:石神井公園ふるさと文化館へ〉

 

 連休初日の5月3日に行ったが混んでいたので止めた、「石神井公園(しゃくじいこう

えん)ふるさと文化館」で開催中の特別展「魔法の部屋」の観覧に出かけた。

 

 西武池袋線上り電車に乗り、石神井公園駅にて10時53分に下車する。

   前回とは違う西口改札を出て、前回の帰路になった商店街を逆行することに。

     

 

     

     マンションの前だったろうか、ウツギが花盛り。 

 

 石神井公園の東側を占める石神井池への下り道は、前回よりひとつ西側から行き、石神

井池の北岸へ。

 

 平日なので今日はボートに乗る人も見えず、池の水面は静まりかえっている。

 

   

 

     池の畔の空き地に咲くゼニアオイ

     

 

     少し西進して、池の中の島を2つのアーチ橋で渡り南岸へ。

     

     

 

 野外ステージ前のツツジは、まだ花を残していた。

 

 メタセコイアの新緑

   

     

 

 その先の広場から南へ斜面を上がり、「石神井公園ふるさと文化館」には11時25分

に入館する。

 

     

 2階への階段を上がった左手が特別展会場の企画展示室。観覧料は一般300円、65

~74歳は150円だが、それ以上の高齢者は無料だった。

 

   特別展のリーフレットと、裏面の説明部分

    

 

 

 最初のトリックアートは「揺れる町並」で、左右に動いてみると

 

     

 

 次は「2匹のリス」

 

 

 下は、館のスタッフが撮ってくれたもの

     

 

 「巨大ぼちゃ猫」、大きな猫のそばでスタッフに撮ってもらうと↓

     

 

 その先のトリックアートも、皆同様なトリックになっていた。

     

 

          

 上の説明をよく見なかったので、もっと右側や左側からの別の熊2匹は見落とした。

 

         

 

 「カッパドキアの夢景色」、カッパドキアには行ったことがあるが風船には乗らなかっ

たので、乗った気持ちになってに撮ってもらう。

     

          

  

 以下も同様で、それぞれの中に入ったような写真が撮れるが、眺めるだけにした。

         

 

     

               

 

     

          

 

     

          

 最初の1枚と「熊の檻」を除き、ほかはすべて自分が中に入って一体化したような写真

の撮れるトリックアートばかり。違うトリックアートをもっと期待していた私としては少

し残念だった。

 

 特別展を観覧後、同じ2階の常設展示室も再訪して、ザッと一巡する。何度か来ている

ので、目についた展示を幾つか。

 

 昭和年代の人なら、練馬といえば練馬大根を思い浮かべるだろうが、その練馬大根に関

わる展示が入ってすぐ右手に。

 

 

 

 私の最初の職場は石神井公園駅から近いところにあったが、関わりがあった当時の東映

東京撮影所の懐かしい写真。

 

 

 その頃、西武池袋線の中村橋駅から桜台駅付近までだったと思うが、線路の南側近くを

平行した道路沿いには千川上水が流れていた(現在は暗渠に)。

     

          

 

     

  夜勤作業の深夜の職場に、時々寄ってくれた屋台の中華ソバは30円だった。

 

 練馬の伯母の家に下宿し、石神井公園駅↑まで通勤した最初の頃、練馬~石神井公園駅間

の閑散時の石神井公園駅発の上り電車は、毎時0分、15分、30分、45分という15

刻み、4両編成だったように記憶している。

 

 

 ちなみに、現在の石神井公園駅発の閑散時の上り電車は、12時台、14時台ともに18本

で、8両あるいは10両編成である。

 

     

     50年ほど前のくらしの道具

 

 常設展示室の観覧後、1階に下りて情報コーナーなども一巡したら12時30分になっ

たので、休憩コーナーにある武蔵野うどんの店「えん座」に入り、昼食とする。

     

 

  注文したのは、この店で人気の「霙糧(みぞれかて)うどん」(900円)、盛りはも

う少し欲しかったが美味しかった。

 

 店中に飾られていた物など

     

          

 

    昼食を済ませて13時10分頃、石神井公園ふるさと文化館を退館した。

     

 

     館の北西側にある「やさしさについて」という石彫

     

 

 午後は、三宝寺池の北岸沿いを西進して北側の石神井松の風文化公園を抜け、隣の大泉

学園駅に近い「牧野記念庭園」を訪ねることにする。  〈続く〉

 

 

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映画「越後奥三面」観覧後 光が丘のバラ園へ(東京・中野&練馬)

2024-05-24 21:25:47 | Weblog

 2024年5月9日(木)

 

 昨夜からの雨も上がった今日、JR中央線・都営大江戸線の東中野駅に近い映画館「ポ

レポレ東中野」で上映中の、映画「越後 奥三面(おくみおもて)」の観覧に出かけた。

 

 西武池袋線上り電車を練馬駅へ、都営大江戸線に乗り換えて東中野駅に9時33分に下

した。

 

 以前来たことがあるが少し探して時間を経過し、ポレポレ東中野に着いたらもう映画上

開始の9時50分直前だった。

 

 チケットは、当館のサイトで2日前に購入(シニア料金1,200円)しており、館か

らの購入完了のメールに記されたQRコードを入口で提示して入館する。

 

   映画のリーフレット

  

 

 この映画は、40年前の1984(昭和59)年の作品で、日本を代表する記録映画作

で映像民俗学者だった姫田忠義氏(2013年7月に84歳で永眠)ひきいる民俗文化

映像研究所が、1980年から4年かけて撮影したカラーフィルム作品とか。

 

 姫田氏の没後10年になる昨年、デジタルリマスター化して、高精細の映像と音響によ

り本作品がよみがえったという。

 

 当時まで長い年月、自然に寄り添う暮らしを続けてきたが、ダムの湖底に沈もうとする

潟県北部、朝日連峰の懐深くにあった、三面川の源流に近い当時の朝日村(現在は村上

市)三面集落の最後の姿を記録した、世界でも類を見ない記録映画だという。

 

 映画は、雪深い集落の正月の準備や行事の記録で始まり、傾斜の厳しい山に分け入り兎

熊などの狩猟、春は田起こしや苗代作りから始まり、慶長2(1597)年の記録が残

るという古くからの田んぼでの田植え、さらに学校も1週間の休校となり一家揃って出小

屋に泊まり込み、年間収入の半分を占めるというゼンマイ採りなど。

 

 夏は、かつては焼畑の季節だったことの紹介や、川での仕掛けやヤスによるサケ、マス、

イワナなどの漁、秋にはソバの収穫とか木の実やきのこ採りなど、山や自然の恵みに感

しながら必要な量だけを収穫させてもらう、エコロジーに富んだ生活を続けてきた集落の

貴重な1年の作業や行事などが紹介されている。

 

 昭和の終わり頃まで、このような暮らしを続けてきた集落があったことを知った、貴重

2時間20分の映像だった。

 

 30年ほど前に私は、三面川河口近くの村上市の市街地周辺で、カントリーウオークグ

ループ仲間のSさんが用意してくれた、首都圏のグループの集まりに参加したり、同じS

さんたち主催の、三面川支流の小集落・大栗田への往復40㎞ウオークに参加するなどし

たが、このようなさらに奥深い集落での暮らしのことは知らなかった。

 

 12時20分に終映後のチケット売り場周辺、当作品のプログラムなどを求めようとす

るる観覧者の一部。

 

 1階への階段には、映画のシーンの写真が10数枚並んでいた。

 

 

 〈追記〉 この映画については、朝日新聞東京本社版の5月30日夕刊にて連載中の「伝統芸能をつなぐ4⃣」 で紹介され、「いまだに新しい発見がある。映像民俗学の可能性をみせてくれる作品」などと評されていた。

 

 外へ出たら青空も広がっていたので、このあと大江戸線終点の光が丘駅まで行き、見ご

ろになったと思われるローズガーデンのバラを観覧に行くことにする。

 

 都営大江戸線の東中野駅から、12時38分発 光が丘行電車に乗る。

 

     以前乗ったときとは違う、新しい車両が投入されたよう。

     

 

 途中の練馬駅を過ぎ、終点 光が丘駅に12時54分に着いた。

 

 光が丘のシンボルともいえる「IMA」と呼ぶビルの西に回り、東南側から「四季の香

園」に入る。

 

 

 広場の先を右折して、北西側にある「四季の香ローズガーデン園」へ。

 

 東西両側にバラのアーチがあり、その中を一周できる遊歩道沿いに数々のバラと、足も

とにはほかの草花もいろいろ咲いている。

 

 左手から時計回りに回ることにした。最初の辺りは白いバラが多い。

 

 

 その先はピンク系のようで、「ピンクガーデン」のパネルが。

 

 さらに進むと、赤いバラが増える。

     

 

     西側のアーチの外側から

     

 

 「レッドガーテン」のパネル周辺

 

 西側アーチの近くでは、黒い鹿が見守っている。

 

 さらに北側のエリアへ、こちらは「イエロー&アプリコット・ガーデン」のよう。

     

     

     

 

 ローズガーデンの東北側園路ではTVの撮影ロケ中のようで、多くの関係者が園路を塞

いでいる。

 

     一周してホワイトガーデンに戻り、ロースガーデンを出た。

     

 

 たくさんのスタッフがベンチに座る2人の女性を囲んで撮影中の様子を眺めながら、

側に回る。

 

 突き当たりの北側にも、もう一つの「四季の香ローズガーデン」がある。

 

 囲みの中に入り、やはり時計回りに一巡することに。

 

 「スパイシーの香りのバラ」のパネル近くには、バラの手水鉢も。

 

 

     

     

 

 北側中央部辺りには、スモークツリーが咲く。

 

 その先はバラ棚の下を抜けて東北側へ。

     

          

     

     

          

     

 

 東北側園路の中央部、アメリカハナズオウの若葉がみずみずしい彩り。

 

 近くにもバラの花手水鉢が。

 

 幾ら見ていても見飽きないが、一巡したのでこの辺でとローズガーデンを出た。

 

  北東側には、練馬区の大きな清掃工場が設けられている。

  

 

  

  ローズガーデンの東側陸橋を渡り、駅に近い主要棟IMAにある商店街LIVINに入った。

 

 3階にある食堂街の讃岐うどん店で、いつものように遅い昼食をして、光が丘駅発15

時00分発の都営大江戸線始発に乗る。

 

 練馬駅で15時18分発の西武池袋線下り電車に乗り換え、自宅には16時頃帰宅した。

 

 

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小田急電鉄8000系車輌を西武鉄道 小手指車両基地へ回送か

2024-05-20 13:05:25 | 鉄道

 2024年5月20日(月)

 

 午前中、西武池袋線の西所沢駅から大六天交差点方面へと回り、小手指駅と西所沢駅の

中間にある市道の踏切に回ったら、10数人の撮り鉄が上り方向にカメラを構えて待機し

ていました。

 

 私は踏切を斜めに横断して上新井小の南側へ回ると、踏切の警報器が鳴ったので、そば

の畑際で、どんな列車が来るのかも分からぬまま立ち止まりました。12時33分頃です。

 

 すると、やってきたのは西武鉄道の4両の車両に牽引されて小田急電鉄の8000系車

輌のようなので、急いでカメラを向けましたが、下の写真しか撮れませんでした。

 

 でも、西武鉄道が小田急電鉄と東急電鉄から2024年度から2029年度にかけて、

あわせて100両の車両の譲渡を受けるというのを知っていたので、その第1陣かとも思

い紹介することにしました。

 

 この車両は、小手指駅の西側にある小手指車両基地へ回送されるものかと思われます。

 

 なお、このことに関する西武鉄道の報道発表資料はこちらのサイトで。

 

 近くの上新井陸橋際にも、取り終えた後の撮り鉄が4人ほど残っていました。

 

 

 〈追記〉

 17時前に見た西武鉄道の公式Xは、小手指車両基地への到着を伝えています。 こちらを

 

 さらに調べると、小田急車両は前日の19日(日)未明に小田急電鉄の海老名検車区を出発

して、下り線の新松田駅近くからJR御殿場線に入り、御殿場駅経由で 沼津駅へ。

 

 さらに東海道本線上りにて新川崎貨物ターミナルから武蔵野貨物線へ、武蔵野線新秋津駅近

くからの連絡線で西武池袋線所沢駅経由という、かなりの迂回ルートを経て到着したよう。

 

 回送されたのは、小田急8000系の8261F編成(6両)で、牽引したのは西武101

系(4両)とのことです。

 

 

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連休初日 新緑の石神井公園と周辺の社寺へ〈後半〉(東京・練馬)

2024-05-19 16:59:47 | 江戸・東京を歩く

 2024年5月3日(金・祝) 〈後半:三つの社寺と三宝寺池周辺〉

 

 少し周辺を回ってから再訪することにして「石神井公園ふるさと文化館」を出て、西側を

南北に走る都道444号・井草通を横断して住宅地の間の細道へ。

  

     民家のツツジが紅葉のような彩り。

     

 

 そのお宅の庭も花盛り。

 

 近くの民家では、サクランボが色づく。

 

 立派な長屋門の前で左折して南へ回り、少し戻って道場寺へ。

 

 

 門前のクロマツは高さ25m、幹の周囲2.5mあり、「ねりまの名木」に指定されて

されていた。

  

 

  

 境内南西側には総檜造りという三重塔が立つが、モミジなど樹木が多く全容は望めない。

  

 

 道場寺は、石神井城主の菩提を弔うために応安5(1372)年に創建されたとか。武

蔵野三十三観音霊場の第2番霊場となっている。

 

 正面の本堂は、奈良の唐招提寺を思わせる屋根。

 

 本堂前の豊後梅(ぶんごうめ)

 

  本堂南西側の供養塔

  

 

 境内にはモミジが多く、新緑がみずみずしい。

 

    本堂の東側に廊下で結ばれた庫裡があり、庫裡の南側には立派な鐘楼が。

      

 

 周辺のモミジの彩りもよい。 

 

     鐘楼前に咲くアヤメ

     

 

 モミジの花も

 

    門前のバス通りを西へ、境内西南端の路傍にはお地蔵さんが祭られている。

     

 

               

          少し先、通りの南側にある葬祭場際に咲く花

 

 

 その北側に、広い境内を豊富な樹林に覆われた三宝寺(さんぽうじ)がある。

 三宝寺は、応永元(1394)年に創建され、石神井城主豊島氏からの帰依を受け、豊

島氏滅亡後は徳川家康などの受けて発展したよう。

 

 境内にある長屋門は、勝海舟の邸宅にあったものだとか。武蔵野三十三観音霊場第3番

霊場である。

 

 山門は、寛永2(1625)年と正保元(1644)年に徳川家光が狩猟の際、当山が

休憩所されたので「御成門」と称するようになったようで、練馬区の登録有形文化財。

 

 山門を入ると左手には大黒堂・子育千体地蔵堂があり、そばに立つ高さ17m、幹の周

囲2.5mのアカマツは「ねりまの名木」。

  

 

 参道を挟んで東側に立つサルスベリ(高さ10m、幹の周囲1.5m)も「ねりまの名

木」という。

     

 

 大黒堂・子育千体地蔵堂の内部を拝観すると

 

 お堂の前には「開運出世小槌」が置かれていた。

 

 

 正面の本堂に参拝、右手前には境内案内図が

 

 鐘楼の北側に咲くシャクナゲの大株

 

 その横、南側の長屋門が、勝海舟邸から移築したもの。

 

 近くに立つイチョウ(高さ26m、幹の太さ3.6m)も「ねりまの名木」である。

   

 

  本堂前から西側へ階段を上がると新しい多宝塔が。

  

 

  さらに西側には、境内で最高の観音像が東向きに立つ。

  

 

 多宝塔と観音像の間、北側のコンクリート製のお堂に、武蔵野三十三観音霊場の御本尊、

如意輪観世音が祭られていた。

 

     

 多宝塔の北側の樹林の中は、時計回りに一周する「四国八十八か所お砂踏み霊場」にな

っている。

          

 今まで何度か来ても一部しか回らなかったが今日はほぼ一巡し、実際に3度回った四国

八十八か所の各霊場のことを思い返した。

 

 後半の辺り、最奥に祭られている大師堂

 

 境内を一巡したので山門を出て三宝寺を後にした。

 

     

     少し西進すると民家の大きなツツジが花盛り。

 

 その先で、氷川神社参道の途中からケヤキなどの立ち並ぶ参道に入って神社境内へ。

 氷川神社は、応永年間(1394~1428)にこの地を領していた豊島氏が、武蔵一

の宮の分霊を奉斎して石神井城内に創建したといわれているよう。

 

 文明9(1477)年の石神井城落城後は石神井領の総鎮守として、周辺5か村の人々

から崇敬されたとか。 

 

 正面に拝殿が祭られ、手前右手(東側)には神楽殿が。

 

 左手の2つの末社には、江戸時代からの北野、須賀、稲荷、御嶽、八幡、三嶋、榛名、

浅間、三峰、阿夫利の各社が祭られていた。

 

  参拝を終えて境内右手から北側の石神井城址の樹林へ。

  

 

 東側のフェンスに囲まれたエリアは、石神井城跡の中でも土塁や空堀の保存状態がよく、

立ち入り出来ない。

 

 その横を緩やかに下り、三宝寺池の東端付近に出た。

 

     北斜面下には「石神井城址」碑とパネルがある。

     

 

     三宝寺池の南面を西へ、池を眺めながら周遊路を進む。 

     

 古くからの自然のままの姿を残す中の島周辺は、西端近いとはいえ23区内とは思えぬ

貴重な景観を残している。

 

     小さな社殿は水神社

     

 

     三宝寺池の西南近くには厳島神社が祭られている。

     

 

 柵に囲まれた社殿前から右手に回ると東屋があり、緑豊富な池が一望できる。

 

     さらに西岸の園路を進と、カキツバタが咲いていた。

     

 

 三宝寺池の西北端まで進み、今度は北岸の遊歩道を戻るように東へ向かう。

  

 自然のままの中の島の北岸の様子

 

 何を調査しているのだろうか、ボートをひいて中の島の西側を歩いて来た人が。

 

 三宝寺池の東北側にある、水辺観察園沿いの園路へ。

 

 東に抜けて三宝寺池の東北側に回ると、橋の近くにツツジと群生するカキツバタが。

 

 ハスの多い辺りに、サギがジッと立っていた。

 

 14時過ぎに石神井公園ふるさと文化館に戻り、特別展会場に行って見たが相変わらず

入場制限していたので今日の観覧は諦め、改めて来館することにした。

 館内の食事処、うどん房の「エン座」も、もう品切れのようで閉店していた。

 

 館を出て、石神井池の北岸沿いを駅に向かうことに。

 

 沿道に並ぶ住宅は、見栄えのする家が多い。

 

 池では、相変わらず多くのボートやスワンボートが行き来する。

 

 東端まで進まず、少し手前から住宅地の緩い上り道から石神井公園駅前に戻り、駅前の

讃岐うどんのチェーン店で遅い昼食を済ます。

 

 15時10分に石神井公園駅に着き、15時14分発 西武球場前駅行 下り電車に乗る。

 

 今日のアメダス練馬の最高気温は25.5℃。なお、アメダス練馬の観測地点は、三宝

寺池の西北端から台地を上がった北側の「石神井松の風文化公園」内にある。

 

 (天気 快晴、距離 6㎞、地図 「練馬区観光ガイドブック」(部分)ねりま観光セ

  ンター発行、歩数 17,200) 

 

 

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連休初日 新緑の石神井公園と周辺の社寺へ〈前半〉(東京・練馬)

2024-05-18 09:46:47 | 江戸・東京を歩く

 2024年5月3日(金・祝) 〈前半:石神井池南岸〉

 

 連休後半初日は快晴に恵まれたので、練馬区の西部、石神井(しゃくじい)公園にある

「ふるさと文化館」で開催中の特別展の観覧に行くとともに、公園周辺を巡ることにした。

 

 西武池袋線上り電車に乗り、石神井公園駅に9時58分に下車した。

 

 中央口に近い石神井観光案内所で、練馬区内のパンフレットなどを幾つか入手する。

 

    駅前広場の一角には、「石神井火車站(かしゃたん)之碑」がある。

     

 大正4(1915)年の武蔵野鉄道石神井駅(現在の当駅)開業を記念して、大正9年

5月に地元有志により建立されたよう。練馬区登録有形文化財になっているが、年代を経

過し文字は読みにくい。

 

  石神井公園へのバス道路を少し南へ、東側に稲荷神社の森があるので立ち寄る。

     

 

 拝殿のそばに、「ねりまの名木」に指定された樹高18m、幹の周囲3.8mのシラカ

シが立っている。

   

 

 すぐ先の小さな植え込みに「檀一雄文学顕彰碑」があり、「何のその 百年後は 塵芥

(ちりあくた)」と刻まれていた。

     

 作家・檀一雄は、結婚後の昭和17(1942)年から当地に住み、途中の従軍期間な

どを挟み30年間を過ごし、戦後は「リツ子・その愛」「リツ子・その死」「真説石川五

右衛門」「火宅の人」などを執筆し、坂口安吾も一時、檀一雄邸に逗留したという。

 

 緩やかに坂を下ると、都立石神井公園の東端、石神井池のボート乗り場のそばへ

 

 東西に長い石神井池の南東側に回ると、大輪のシャリンバイがたくさんの花を。

 

 近くではツツジも花盛り

 

 池の南側の園路を西進することにして、まずはボート乗り場を眺める。

 

 池の東南側では、豊富な木々の新緑が気持ち良い。

  

 

 好天の連休初日なので、ボートやスワンボートに乗る家族連れなどが多い。

 

 新緑の木々の下、さらに園路を西進する。

 

 

 対岸には、瀟洒な洋館も望まれた。

 

 ちなみに、交通新聞社発行の月刊誌「散歩の達人」6月号(5月21日発売)は大特集「み

んなの練馬」で、その表紙にはこの辺りの写真が使われている。

 

 

 石神井公園駅周辺にある2つの高層ビル

 

 アジサイはまだつぼみ

 

 石神井池の中央部より西側には中の島があり、両岸から歩道橋が架かっている。

 

 中の島の西南側には野外ステージが。

 

 

 対岸のツツジ

 

 

   

          池の西南端近くには、このような石塔が

          

          近くの見晴台から眺めたら、台座に「聖衣」と刻まれていた。 

 

 

 

 その南西側は少し開けたエリアで、南側斜面には大株のツツジが何株か咲く。

 

 ケヤキなどの気持ち良い新緑

 

  

 

 ツツジの横を上がり、上の細い道路際にある「稲荷 諏訪 合神社」に参拝。

 

 少し先で南への遊歩道を入ると「練馬区立 池淵史跡公園」で、西側には今日の目的地の

「石神井公園ふるさと文化館」がある。

 

 

 公園内、最初は左(東)側に保存されている練馬区指定文化財「旧内田家住宅」へ。

 

 室内に上がって一巡できるが、玄関から入り土間から内部を観覧する。

 

      

 

 内田家住宅の東側から南側一帯の樹林下には、区内にあった庚申塔が移設保存されてい

る。それらの一部を。

 

     

     享保12(1727)年造立

 

          

          明和2(1765)年造立

 

 

 史跡公園の東側は、都立石神井公園「野草観察園」になっているので入り、園路を一順

することに。

 

     

     キエビネ

 

 

 アマドコロ

 

      

     ヒメサユリ

 

 ウマノアシガタ

 

 

 

     

     オドリコソウ

 

 チョウジソウ

 

 野草観察園の南西側には、キャベツの畑が広がっていた。

  

 池淵史跡公園に戻り、縄文時代の竪穴住居跡から園路を西へ。

 

 桐の木の上部で花が咲き出した。

 

 

 豊富な樹林下、ところどころに立つ庚申塔も見ながら進んで、内田家住宅の南西側ま

で戻った。

     

 

 西側の石神井公園ふるさと文化館へ、東側入口から入る。

 

 だが、2階の特別展「魔法の部屋 トリックアートの世界」は、観覧者が多くて入賞制限

していて、並んで待っている人が10数人いる。

  

 連休初日なので予想以上に来館者が多いようた。今日の観覧は諦めて別の日に再訪する

ことにして、北側正面の入口から退館した。                〈続く〉

 

 

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春の彼岸に京都と彦根へ③ 彦根城と玄宮楽々園、彦根城博物館〈後半〉(滋賀・彦根)

2024-05-13 13:31:19 | 国内旅行

  2024年3月23日(土) 〈後半:玄宮楽々園と彦根城博物館へ〉

 

 彦根城の観光を終えて東北側に下り、中ほどにある黒門券発売所横から内堀を渡る。

 

 橋の先の一帯が「玄宮楽々園(げんきゅうらくらくえん)」。入口は少し右手なので、

そちらに向かう。

    

 

 少し先に「井伊直弼生誕地」標石がたち、そばに「槻(けやき)御殿」の説明パネルが。

 

 さらにすぐ先に「名勝・玄宮楽々園」の通路案内があり、それに従い11時30分頃、

まずは手前の楽々園へ。

 

 彦根城と彦根城跡のリーフレットから、楽々園について

 

 こちらが槻御殿の玄関↑のようだが、右手の竹垣のところから庭園に入り、開放された

屋なども外から眺めて庭園を一巡した。

 

 

 楽々園の観覧後、隣接する玄宮園へ入り、広い池の周りの周遊路を時計回りで一周する

ことに。

 楽々園と同じ、彦根城と彦根城跡のリーフレットからの玄宮園の説明

 

 中の島の見事な松

 

 かやぶき屋根の御殿も望まれる。

  

   

 

   南西側から望まれる彦根城の天守は、雨で少し霞んでいる。

   

 

   

 

 「鵬翔台(ほうしょうだい)」と呼ぶ建物。高台にあり、鳳凰が大空に向かって舞い上

がる場所、という意味で名付けられたと伝えられているという。

 

 

 ほぼ一巡して観覧を終え、正午過ぎに東南側の↓玄宮園東券売所の横から玄宮園を出た。

 

 内堀に沿って南へ、周辺のソメイヨシノはまだつぼみ。

 

 さらに進むと、二季咲桜と呼ぶ桜が雨に濡れて咲いている。

 

 内堀沿いには、間もなくの「桜まつり」のぼんぼりが設置されていた。

 

 内堀の南端付近から最初に城内に入った表御門橋を渡り、すぐ先の彦根城博物館へ。

   館の建物は、藩の政庁だった表御殿を復元したものだという。

   

           

               

 

 入口横にあった車、ナンバーは無いので移動範囲は城内だけのよう。

 

 館内では、代々彦根藩主だった井伊家に伝わった、“ほんもの”の美術工芸品や古文書な

どを収蔵・展示している。

       

 また、能舞台や江戸時代さながらに再建した藩主の居間、茶室や庭園も観覧できるよう

              

 

 撮影は自由なので、たくさん撮ったが、そのうちの目についた幾つかを。

 

 最初は「井伊直亮(なおあき)と茶の湯」のコーナー

 

  

 次は「武家の備え」コーナーへ。まずは「井伊の赤備え(あかそなえ)」

   

     

 

 「鬼神(きじん)の面」コーナーへ

     

 

 次は「幽玄の美」コーナー

     

 

 「数寄の世界」では茶道具などを

     

 

 その先に能舞台があった。

 寛政12(1800)年にこの場所に建てられた由緒ある舞台で、“彦根城能”や“彦根城

表御殿 夕涼み狂言の集い”などが開催されるという。

 

 「湖東焼」のコーナー

     

 

 一番奥は、江戸時代の表御殿奥向(おくむき)で、彦根藩の政務や公式行事を行う「表

(おもてむき)」と、藩主などが日常生活を営む「奥向(おくむき)」の空間からなり、

戸時代後期さながらに復元したという。

 最奥、藩主の居間である「御座之御間(ござのおんま)」から観賞できる庭園を眺める。 

 

   表御殿奥向から戻り、能舞台の先の展示へ。「雅楽の伝統」コーナーから。 

      

 

 さらに「風画のたのしみ」コーナーへ。

     

 

 「古文書が語る世界」のコーナー

 

 一巡したので入口に戻り、13時30分過ぎに彦根城博物館を退館した。

 

 表御門を出て往路を戻り、開国記念館横を通過して中堀の佐和口を渡る。中堀では、

船が通過した。

 

 いろは松を抜けたすぐ先、曲がり角にあった「十木泉」という店に入り、特製うどん

(800円)を注文して遅い昼食とする。うどんのほかに団子のサービスも。

 

 食事を終えたら14時を過ぎていた。

 

   あとは駅に向かうことにして石材店の前を通過する。雨は降り止まず寒い。

     

 

 14時30分過ぎ、JR彦根駅西口前に着いた。駅前には「ひこにゃん」デザインなど

のタクシーが。

 

      駅前広場の井伊直政公像も、冷たい雨に濡れている。

     

 

 JR東海道本線 彦根駅から、14時47分発の上り電車に乗り、次の米原駅には14時

53分に着いた。予定した東京行の東海道新幹線上り電車までは1時間余りあるので、途

中下車していったん改札を出た。

 

 コンコースには、米原市商工会が寄贈した市内の上丹生木彫組合制作の精巧な木彫が

られていた。

     

 

 改札で聞くと、東口の駅前に喫茶があるというので、そこで時間待ちすることに。

 

  

 東口↑は近年の開設のようで、新しい市役所庁舎↓はあるが周辺は閑散としている。

 

 市役所とは道路の反対側、カフェ「La Rouge」に入り、ゆっくりと時間待ちを。

 

 

 駅前に戻ったら、「米原湊跡」碑と帆船の模型があり、「慶長8(1603)年に琵琶

と入江内湖をむすんだ堀を開削して湊を開いた」ことなどが記されていた。

 

 駅に戻り新幹線乗り場からホームに上がると、もう乗車予定の15時57分発上りひか

り656号は発車しようとしていた。

 

 急ぎ最寄りのグリーン車のドアから乗り、なんとか間に合う。駅前の米原湊跡のパネル

などを見ていて、時間が迫っていたのを一瞬忘れていたのだった。

 

 降り止まぬ雨も箱根を越えて神奈川県に入る頃から回復し、小田原を過ぎたら大山(お

おやま)が姿を現した。

 

 18時12分に東京駅に着き、JR山手線の池袋経由西武池袋線へ。自宅には20時近

くに帰宅した。

 

 この日のアメダス彦根の記録では、12時台でも気温5.9℃という真冬並みだった。

                                    〈完〉

 

 

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春の彼岸に京都と彦根へ③ 彦根城と玄宮楽々園、彦根城博物館〈前半〉(滋賀・彦根)

2024-05-10 18:33:18 | 国内旅行

 2024年3月23日(土) 〈前半:彦根城へ〉

 

 JR東海道線 彦根駅東口近くの東横インで6時半頃起床した。

 外を見ると予報通りの冷たそうな雨で、近くの山も霞んでいる。日中の彦根の予想気温

5℃前後で、真冬並みのよう。

 

 9時前にチェックアウトして彦根駅へ。連絡通路のコインロッカーに荷物を預ける。

 

 一日中雨の予報だが、今日は彦根城、そばの玄宮楽々園(げんきゅうらくらくえん)、

それに彦根城博物館を観光の予定。 (下図は彦根観光協会発行「おいしい ひこね旅 

DELICIOUS TRIP!!」から)

 

 連絡通路の西口側から見下ろす、駅前広場にある彦根藩初代藩主・井伊直政公像↑と

根城方面へ伸びる通り↓。突き当たりが彦根城だが、雨で霞んでいる。

 

  

       

 西口から彦根城に向かう通りへ。短いアーケードがあり、その終わった交差点の北西

側に、一昨日夜に食事をした「だいみょう かもん」が。

 

 さらに進むと右手は彦根市役所で、駐車場には彦根市のマスコットキャラクターの

「ひこにゃん」を描いた乗用車があった。

 

 構内にはこんな石像も。

 

 その先、通りの両側には石材店が幾つか目につき、大きな石像などが並ぶ。

 

 通りの突き当たりは滋賀県護国神社だが、参拝は省いた。

 

 ここ神社前を左折してすぐ、彦根城の中堀の角へ。

 

右折して中堀沿いに並ぶ「いろは松」の下を、彦根城に向かう。

  

 昔は47本あったので「いろは松」と呼ばれたよう。この松は土佐松で、地上に根を

り出さず人馬の往来の邪魔にならないので、わざわざ高知から移植されたのだという。

     

 

 松並木の終わる辺り、反対側に「井伊大老(直弼(なおすけ))歌碑」が立っていた。

     

 「あふみ(近江)の海 磯うつ浪の いく度(たび)か 御世(みよ)にこころを

 くだきぬかな」と刻まれ、安政7(1860)年正月に読んだもの。

 

 この歌は、琵琶湖の波が磯に打ち寄せるように、世のために幾度となく心を砕いてき

と、幕府大老として国政に尽くしてきた心境をあらわしているという。

 

 井伊直弼は、この2か月後の3月3日に江戸城桜田門外で凶刃に倒れている。

 

 降り止まぬ冷たい雨の中、彦根城の佐和口が近づき、右手には城の北東側を囲む堀が。

 

 佐和口を右左折した右手には開国記念館があるが、寄らずに過ぎる。

 

  突き当たった内堀沿いを左へ進むと、天守閣らしいのが見えてきた。

  

 

 左手に、L字状に続くのは国重要文化財の馬屋(うまや)。開放されているので中に

り一巡した。

 

 すぐ先が城の表門橋で、橋際には今日「ひこにゃん」が来る時刻と場所のパネルが。

 

 橋を渡った先で入城券(彦根城・玄宮園・彦根城博物館のセット券(1,300円)を求

めて城内へ。

        

 上図は「国宝 彦根城天守 特別史跡 彦根城跡」リーフレットから

 

  まずは緩やかな斜面を上がって石垣の間などを進む。

  

 

  正面に国重要文化財の天秤櫓(てんびんやぐら)が。 

  

 

 琵琶湖が見えてきたが、雨で霞んでいる(家並みの向こう)。

 

 さらに緩やかな傾斜を上がって天秤櫓の近くへ。

 

 入るのは省き、雨に煙る周囲の山並みなどを望見する。

 

 すぐ先には時報鐘(じほうしょう)が。

 

 12代藩主の時代、弘化元(1844)年の鋳造で、現在は6時、9時、正午、15時、

18時の5回突いているようだ。

 

 太鼓門(国重要文化財)をくぐれば本丸の広場で、正面に彦根城天主が。

 

 

  

 国宝の天主は、関ヶ原合戦で耐え抜いた大津城から移築されたといわれ、慶長12年

(1607)頃の完成のよう。政治的象徴としての外観の美しさだけでなく、城本来の

能である軍事面でも優れているという。

 

 ちなみに、国宝の天主はほかに姫路城、松本城、犬山城それに松江城のあわせて5つ

み。私は松江城以外は訪れていて、彦根城も2度目になる。

 

     城内は急階段だが、最上階まで上がってみることに。

      

 

 途中階の一部では修理工事中のよう。

 

 幕末の彦根藩主、井伊直弼公像

     

 

 

 開放されていた窓から、西北側の野球場付近

 

 こちらは西側の琵琶湖畔周辺

 

 天秤櫓だろうか・・

 

 

     

 

 

 これから行く予定の玄宮楽々園

   

 

     最上階まで上がったので、順路に従い別の階段を下る。

          

     途中の階段は、この様な急傾斜、ほかもほぼ同様である。

 しっかりと、両手両足を使って慎重に下った。

 

 これから天主に上がる観光客

 

 天主を出て、本丸の中心に立つっている、まだ枯れ枝の桜など眺める。

 

 雨に濡れる芽吹き前の枝や紅梅

 

 次ぎに予定していた玄宮楽々園には、天主の左手から背後の東北側に回ってりる道が

ることが分かりり、そちらに向かう。

  

 

 天主の北側は南北に長い西の丸で、芝生地の上に桜などが植え込まれている。

 

 西の丸、北側からの天主は堂々とした構えを見せていた。

 

 そばにある城内地図では、玄宮楽々園へは井戸曲輪(くるわ)の北側から、黒門山道

呼ぶ緩やかな石段を北北東へと下るようになっている。

   

 

 急石垣の続く城壁を出て少し下ると井戸曲輪だが、その場所らしい窪みがあるだけで井

は残っていない。

 

  

 苔むす石垣を見上げながら、緩やかな石段の道を滑らぬよう注意してジグザクにって

黒門へ。

 

 こちらからの城への入場者のための「黒門券売所」を抜けて内堀を渡り、玄宮楽々園に向かう。 

                                    

                                              〈続く〉

 

 

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春の彼岸に京都と彦根へ② 京都・二条城と岡崎から蹴上〈後半〉(京都)

2024-05-06 17:29:35 | 京都を歩く

 2024年3月22日(金) 〈後半 京都・岡崎から蹴上へ〉

 

 13時40分頃、二条城を後にしたが昼食はまだ。だが、周辺には適当な食事処が無

そうなので、市営地下鉄で近くの岡崎周辺まで行くことにする。

 

 二条城前駅↑から市営地下鉄東西線の六地蔵行きに乗り、東へ四つ目の↓東山駅に13

54分に下車した。

     

 

 地下鉄が下を走る三条通に出て、周辺を少し探して見つかった「kitchen Occobe.」と

う店に入り、遅い昼食をする。

 

 14時までの昼の営業時間を少し過ぎていたのだが、なんとか間に合った。

 

 注文したのは「旬の生パスタランチ(スープ・サラダ付き)」(1,500円)

 

 この後は、入手してあった「京都 岡崎手帳」の地図を参考に、東山駅の東側出口近く

路地を北へ少し入り白川の左岸沿いの遊歩道を北東へ、平安神宮方面に向かうことに。

 

 まずはこの路地を北に進む。

 

 突き当たりを右折して、白川の右岸に出た。橋からの下流側の眺め。

 

 右岸には、三谷稲荷の小さな社殿がある。ここは、かつて旧竹中製麺所があったところ

(大正4年~昭和15年)。稲荷はその敷地に祭られ、水車にまつわる水神や福神・御霊

神なども加えて信仰されてきたとか。

     

 道沿いにあるので一帯の人にも信仰が深まり、「三谷さん」として親しまれ、日々の

らしの支えになっていたという。

 

 すぐ先の塀には「竹中製麺所跡」の説明パネルがあり、「この水路は直径4.5mも

る水車を回すために、大正6(1917)年に竹中亀吉により改修石積みされたもので、

下流のお稲荷さんの裏で白川に合流している」なとの説明が記されていた。

 

 さらに白川右岸沿いを上流へ進んで、仁王門通りの橋際へ。橋のすぐ下流には「分水界」

碑がある。

 

 橋の上流側で白川は、平安神宮敷地の南側を東西に囲む幅広い堀のようになっている。

 

 右折してすぐ先、北に延びるのが平安神宮の参道で、堀の内側に大鳥居がそびえ立つ。

 高さ24m、幅18mあり、昭和3(1938)年の竣工で、国の登録有形文化財で

ある

 

 平安神宮も久しぶり。たぶん1970年の夏、大阪万国博の時に来た記憶があるが、

以来かもしれない。

 

 鳥居を入って左手は京都国立近代美術館で、現在は没後100年になる富岡鉄斎の

「Tessi展」などを開催中のよう。

 

 神宮の神苑までは結構先なので、宿への帰路の時間を考えて参拝は止め、さらに疎水沿

いに上流の蹴上(けあげ)方面に向かうことにする。

 

 橋に戻って見下ろすと蹴上側で、観光用の「岡崎さくら回廊 十石舟めぐり」の舟が行

交う

 沿岸の桜咲く3月20日(水・祝)~4月14日(日)に運行されるようだ。

 

 堀の南側沿いの遊歩道を東へ向かう。対岸には、れんが造りの「京都市京セラ美術館」が。

 堀に沿って続く、ソメイヨシノはまだつぼみである。

  

  

  京都市京セラ美術館の建物の背後、樹間に大きなキクの花のような金色のものが見えた。

    

 何だろうかと思いながら進んだが、その謎はひと月後の4月21日(日)、NHK総合

TV「日曜美術館」で解けた。番組内の映像↓

 「村上隆 もののけ 京都」という、京都市美術館開館90周年記念展の作品のひとつで、

「お花の親子」とう作品。高さは13mあるという。

 

 その後間もなく、NHKの2つの1時間番組でも紹介され、知らなかった村上隆作品の

壮大なスケールや興味深い作品の数々を知ることが出来た。

 

 この記念展については、こちらのサイトを参照に 

 

 

 次の橋、ひろみち橋からの東方の眺め。突き当たりは琵琶湖疎水記念館のよう。

 

   京都市動物園の南側を東進する。対岸では、ヤナギの芽吹きが始まっている。

     

 

疎水記念館より少し手前で、南へ伸びる細い路地を塀沿いを進んで、塀の向こうにあ日本庭園

「無鄰菴(むりんあん)」を観覧することにした(入場料600円)。

 受付のある母屋(おもや)

 

          入場券

          

 

  

 無鄰菴について、もらったパンフレットから

 

 母屋に入り、まずは一番奥の部屋から東側に広がる庭園を眺める。

 

 その後、庭園に下りて園路を北側から南へと順次回って眺める。

 

 クチナシの実

 

 昨日の涉成園と同様、アセビはあちこちで花盛り

 

 東西に細長く延びる池の最東端から

 

 戻り道は南側の園路を

     

 

       

  南東側の樹林下に、やわらかな感じのこけのじゅうたんが広がる。

 

 庭園を一巡後、母屋の南側にある洋館へ。

 

 

 2階のこの部屋は、伊藤博文らと山県有朋が日露外交について話し合いをした「無鄰菴

会議」に使われたという。

 

 

     

 

     1時間近く観覧して、16時30分近くに無粼菴を後にした。

     

  

 

 来たのとは反対の南へ、T字路を左折して無鄰菴の塀沿いを東へと進む。

 

 京の漬物の店の前を過ぎる。

 

 平安神宮前から東へ、疎水資料館のそばで南東へと向きを変えた仁王門通の、南禅寺前

交差点へ。向こうに琵琶湖疎水記念館が。

 

      

     南禅寺交番前から、南東に延びる仁王門通りに入る。

 

 右手に京都市国際交流会館があり、緩やかに坂を上がると蹴上発電所沿いになる。

 

     

 

     その一角に「水力発電事業発祥之地」碑が立っていた。

     

 

 少し先の柵には、「蹴上発電所のあゆみ」や発電所についての史などを記したネルも。

 

 道路の向こう側には、琵琶湖疎水に設けられた蹴上インクラインの台車が。

 

 疏水上流の蹴上船溜と下流の南禅寺船溜を結んだ全長約582mの傾斜鉄道で、約36

mの高低差を克服するために舟を台車に乗せ、ケーブルカーと同じ原理で運んだという。

  

  レンガ造りの蹴上発電所に沿って、さらに緩やかな坂を上がる。

  

 

 蹴上交差点から見下ろす蹴上発電所

 

 すぐ近くの市営地下鉄蹴上駅には16時48分に着いた。

 16時56分発の地下鉄東西線に乗り、烏丸御池駅で乗り換え、京都駅に17時16分

に着く。

 

 ラッシュ時刻となり、かなり混雑するJR京都駅から17時31分発近江今津行新快速

に乗る。

 

 彦根駅には18時21分頃着いた。西口駅前のビル

 

     西口駅前通りにあった「目利きの銀次」で夕食を済ませる。

     

 

      

 

 連泊の東横イン彦根駅東口には20時過ぎに入った。

 

 

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春の彼岸に京都と彦根へ② 京都・二条城と岡崎から蹴上〈前半〉(京都)

2024-05-02 18:42:34 | 京都を歩く


 地元の花便りを続けたため、中断したまま1か月以上経過しましたが、春の彼岸に訪れ

た京都と彦根のレポート、その第2日目です。

========================================

 2024年3月22日(金) 〈前半 京都・二条城へ〉

 宿泊した彦根の東横インで6時半過ぎに起床した。今日は青空が見えている。

 1階ロビーでの朝食を済ませて、8時50分頃東横インを出た。今日も京都市内の観光
なのでJR彦根駅に向かう。



 JR東海道本線の南側は近江鉄道の彦根駅で、構内には待機中の車両が見える。


 東口駅前広場には、第37代の女帝、斉明天皇がこの地を詠んだという歌碑が。万葉集

の巻四にあるようだ。


 駅2階の連絡通路からは、東南方に石田三成の城 佐和山城のあった佐和山が望まれる。


 彦根駅9時06分発の東海道本線下り快速電車に乗る。


 大津駅が近づく頃から、西北に雪を残す比叡山が見えてきた。


 10時07分に京都駅に着いた。

 駅構内は、今日もたくさんの観光客であふれている。


 北口の地下街に下りて、10時28分発の市営地下鉄烏丸(からすま)線に乗る。


 烏丸御池駅で市営地下鉄東西線の太秦(うずまさ)天神川行に乗り換え、次の二条城前
駅に10時38分に下車した。
        
 今日の主な観光予定地は世界遺産の二条城。押小路通の地下にある駅から地上に出ると、
眼前に二条城城郭の東南隅にある東南隅櫓(すみやぐら)が。 国の重要文化財である。

     
 城郭の東側を南北に走る堀川通を少し北へ、門前の出札所で入城券を求めて国重要文化
財の東大手門から入城する(入城料金1,300円)。

 

          

 京都には何度も訪れているが、二条城に入ったのは60数年前の高校の修学旅行以来で
はなかろうか・・ 近年のTVの観光や歴史番組ではよく見ているが。

      もらったパンフレットから

              



 門内からの東南隅櫓、そばのヒカンザクラが咲き出していた。


 こちらは、南側外堀を囲む土盛り沿いの植栽。

 

 城内南東側にある唐門(からもん)も国の重要文化財。豪華な装飾が施されていて、多
くの観光客がカメラを構えたりじっと見上げたりしてていた。


 唐門の周囲の築地(ついじ)も重要文化財。
 
 築地の東面は、長さ110m、石垣上に立つため高さ6mというまれに見る大きさとか。
5本の白線は、皇族との関係性の深さを示すもので最高格だという。


 唐門を入り、まずは正面にある国宝の二の丸御殿を拝観することに。


 東南端にあるから車寄↑から建物に入り、順路に従い遠待と呼ぶ一番大きくて部屋数も

ある建物を南側廊下から西側廊下を回り、さらに式台、大広間、黒書院、最奥の将軍の居

間寝室だった白書院へと進み、折り返して各々の北側と東側廊下を戻る(文化財の保護の

ため御殿内は撮影禁止)。

 

 車寄上部の彫刻


 30分ほどかけて5つの建物の30近い部屋を拝観して、車寄から出た。


 このあと、二の丸御殿の南西側にある二の丸庭園へ向かう。庭園への門の手前に、2つ
の釣鐘が保存されている。

 鐘は、京都所司代(しょしだい)屋敷で火事などの緊急事態を周辺に知らせるために使
れたもののよう。

 京都所司代屋敷は二条城の北に接して3か所あり、上屋敷、堀川屋敷、下屋敷(千本屋
敷)と呼ばれ、これは下屋敷で使われたものとか。

 慶応3(1867)年に京都所司代が廃止後、二条城に移されたと考えられるという。

 その先の門を入ると国特別名勝の二の丸庭園で、入った右手の建物は中央部の大広間。

 
 二の丸庭園は、池の中央に蓬莱島、左右に鶴亀の島を配した書院造庭園で、寛永3年
(1626)に後水尾天皇行幸のために行事奉行の小堀遠州のもとで改修されたとか。

 二の丸御殿の大広間、黒書院、行幸御殿の3方向から観賞できるように工夫されている
ようだ。

 池の東側沿いを来手へと向かう。建物側にある大きな松の木


  
 池の北面


 多くの観光客が、順路に従い巡っている。

 

 

 防寒対策の菰(こも)に巻かれたているのはソテツ


 二の丸庭園の北側まで進み、西側の本丸方面に向かう。

 本丸は、四面の周囲を内堀に囲まれていて、東橋を渡って本丸楼門から入る。

  

 橋からは、眼下に泳ぐたくさんのコイが見下ろせる。



 橋から望む内堀の東北側


 楼門をくぐり本丸の敷地内へ。南側が本丸庭園で、北側中央部に本丸御殿がある。

 

 

 本丸御殿の南側にある建物

 

本丸庭園の南西端、高い石垣上が天守閣跡。

 

 こちらが本丸御殿の南面



 天守閣跡へ急石段を上がった。

 ここには、かつて伏見城から移された五重六層の天守閣があったが、寛永3(1750)
年に落雷で焼失したよう。

 その後は再建されずに石垣のみが残り、眼下の本丸御殿と本丸庭園、さらに京都市内な
どが望まれる。

 
 東北には比叡山や大文字山などが。


 本丸を囲む高い盛土の外側は内堀に囲まれている。


 北側の堀に架かるのは西橋


 本丸庭園の南側の内堀


 こちらは西南隅櫓のよう。




 天守閣跡を下りて国重要文化財の本丸御殿↑前から西南へ回り込み、西橋へ。


 西橋からの内堀の北側


    橋を渡り終えて眺める天守閣跡
    

 橋を出た西側には休憩所があり、そばのシダレザクラの花はまだつぼみのまま。



 近くにあった地図、回ってきた順路が朱線で記されている。

 この後も順路に従い、本丸の北側から東へと回り、二の丸の東側を南進して右下の東大
手門から出る予定。

 北に少しで、国重要文化財の「土蔵(北)(米蔵)」の横を通過する。

 

 すぐ先が内堀の北西端、ふり返る西橋や天守閣跡周辺

 

 内堀の北側を東進すると、若木の桜が何本か咲いていた。何桜だろうか・・

 

 北中仕切り門の北側を東へ回り込む。これも国重要文化財で、その東側一帯は清流園と

呼ぶ芝生広場のある庭園へ。

 西端には和楽庵と呼ぶ茶処があるが、寄らずに進む。

 

 清流園の遊歩道を東へ、植え込みや池や芝生地の間を進む。

 

 園の中ほどの北側にある香雲亭

 

 園路の南側には、豊臣秀吉が「醍醐寺の花見」をしたことで知られる醍醐寺の桜のクロ

ーンという「醍醐の桜」の若木が、つぼみを膨らませていた。

 

 内堀が90℃東に折れる辺りの北側には北山杉が立ち並ぶ。

 

  折れた内堀の東北端には休憩所があり、近くに花びらの小さい桜が咲いていた。

     

 

 休憩所の北側に戻って東へ、清流園の東南端には、ヒカンザクラがかなり膨らむ。

 

 清流園の東北端には北大手門があり、外堀を渡り城外に抜けられる。

 

 清流園の東側に続く「緑の園」と呼ぶ庭園の南側を二条城の東北端まで進んで右折し、

展示収蔵庫と呼ぶ建物と二の丸御殿の東側を南へ。

 

 いくつかのテントが並び、京都の土産物などを販売していた。

 

 今日は晴れて気温も上がり、暖かさを感じる。一番手前の京だんごの店で宇治抹茶アイ

スを求め、ひと休みして乾いたのどを潤す。

      

 

 展示肖像個の南側には大休憩所があり、その南側に「被爆アオギリ」が植えられていた。

     

 広島平和記念公園内に生息する被爆アオギリの子孫で、原木は爆心地から1.3㎞の

ところで被爆したという。 

 

 二条城内を一周して観覧を終え、出口になる番所を出た。

 

 その先の事務所では、世界遺産・二条城の本覚修理事業のための一口城主募金を受付し

ていたので、ささやかながら千円の募金をして記念品をいただいた。

 

 13時40分頃に東大手門を出て、二条城を後にした。   

                                    〈続く〉

 

 

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