沈む太陽がカーテンをオレンジ色に染める中、今日はウクレレのハワイアンミュージックを聴きながら書いてます。
(ちなみに私25歳の時に旦那さん(まだその時は結婚してなかったけど…)と3ヶ月グアムに家を借りて住んだことがありました。
観光地を離れて住宅街に行くと、アパートのベランダに腰掛けて夕暮れ時にウクレレを弾いてる人たちが結構いました。
それはそれは美しくて、柔らかい気持ちになったものでした。)
さて。
この間しょこらぁでさんと話していて、彼女が2019年の全日本選手権で体験したことをシェアしてくれました。
話してくれた内容を是非ブログにして欲しいとお願いしたのですが、お願いしてすぐブログ記事になったので驚嘆しました。
↑これ。
感激しましたので、ツイッターにも持っていきました。
普段他の人のブログ拡散はあまりしないのですが。
— FF9やってるBBI絵子 (@yuzueco) May 17, 2024
しょこらぁでさんのこちらの記事、琴線に触れまくりました。オススメします。
〈声の大きい人たちは目立つ。
でも、そうでないファンもたくさんいるということを、ちゃんと発言して示す必要があると思う〉https://t.co/TyU1SFqbFj
↑これ。
********
起動力!
言語化能力!
早いのに濃い…すげええええええええええああああううううううううおおああああああ←悶絶している描写
となりました。あーあの文章力が羨ましい。
枕草子ですよ!
いとおかし。←絶対言いたい
共感しまくったことはもちろんです。
ですが、それ以上に勇気づけられました。
諦念に希望の光が射した感じがしました。
なので彼女から私が受け取った勇気でブログを書いてみようと思いました。
私のブログの続きを読まれる方でまだしょこらぁでさんのブログを読んでない方は、是非そちらを読んでから続きを読んでくださればと思います。(そうしないと書いてある内容がよくわからないと思うので)
********
*とかくSNSでは過激な意見が目立ち、支持されやすい
そうすると集団心理が働いて、どうしてもそういう意見に多数が傾きやすくなる、そうすると穏健な人の意見や、他の視点が排除されやすくなるんですよね。エコーチェンバーの入口です。
参照:エコーチェンバー
*そうすると穏やかな人や過激で扇情的でない意見を持つ人達は、発言を控えるようになる
その次の段階は「自分は少数派」だと感じ始めるということだと思います。
しょこらぁでさんは
<声の大きい人たちは目立つ。
でも、そうでないファンもたくさんいる>
と書いていましたが、それとは裏腹に、実は私はここ最近私のようなファンは少数派なんだろう、と真剣に感じていました。
異端かもしれない、と思い始めていたくらいです。
羽生君がこんな風に応援されたい、と願うようなファンでもないかもしれないし、歓迎されない存在かもしれない、とじくじく思っていました。←これを忸怩たる思いという←別に面白くない
(私がそう感じていることは多分普段から私のブログを読んでくださっている方はわかっていたんじゃないかな、と思うのですが)
私は自分が思う応援をするだけなので、異端だったとしても少数派だったとしても、だからなんだ、ってことではあるのですが、この気持ちはかなり私の心理状態に影響を及ぼしていたと思います。
で、今回しょこらぁでさんのブログを読んで色々調べてたらーーーー
<人々が自分の意見が少数派であると感じると、その意見を表明することを控える傾向がある
これが広範に起こると、他の意見がますます表に出にくくなる「螺旋現象」を引き起こす>
という文章に遭遇。
私が体感していた現象には名前がありました。
「沈黙の螺旋」というそうです。
学術名あったのかい!とびっくりしました。
参照:沈黙の螺旋
沈黙の螺旋が進行するとどんな風になるかというとー
*多様な意見が表明されにくくなり、社会的な議論が偏ったものになる
*様々な意見が表明されにくくなるため、その意見を持つ人々が孤立感を感じる。この結果、少数意見が正当な議論の場で取り上げられなくなり、社会全体としての問題解決能力が低下
*人々が自分の意見を表明することを恐れるようになると、自己検閲が増加、
これにより、個人の自由な表現が制限され、創造性や批判的思考が阻害される
*沈黙の螺旋によって表に出る意見が偏ると、実際の世論を正確に反映しない状況が生まれる
↑こんな感じみたいです。
沈黙が螺旋のように過激な意見に収斂されていくことに、私は無意識のうちに抵抗していたんだろうと思います。(抵抗になっていたか/出来ていたかはまた別の問題)
以前書いたブログにすごく勇気を出して載せた文章があります。
「彼のために何かを証明する/抗議する/批判する/ーその為には他の誰かが貶められ踏みにじられても良い」というような考えが許容されるような集団で良いのか、
そして羽生君がそういうことをファンに求めているのだろうか?
と。
いつからか私は「そういう考えが許容される集団であることを是とする人々が多いのだろう」
と感じて、どんどん心から温かいものがなくなっていったような気持ちになっていました。
でも、
攻撃的で扇情的な言葉の数々は見ていると辛く、そうでないしかたで発言しようとする行為自体に大きなストレスが伴ったりもします。
結果多くの人が自分の意見を表明することに対して無力感を覚え、沈黙を選ぶのではないか、と今回しょこらぁでさんのブログを読んで思いました。
(もちろんSNS上には色んな意見があります。ありますが、他が見えなくなるほど過激な言葉遣いや扇情的な表現がそれ程印象に残るっていうことです)
螺旋は英語で「スパイラル」
沈黙の螺旋は「負のスパイラル」ですね。
******
ここまで書いてきて、でも理由があって怒っているんだし攻撃的にもなってしまうし、それが羽生君を守ることになっている、と感じる方もいらっしゃると思います。
きつい言葉も攻撃的な言葉も言う自由はもちろんあります。
悪口を言う自由もあります。(当然ですが名誉毀損、誹謗中傷は除く)
でも、自分は顔の見えない匿名の立場から誰かに石を投げつけて、それを投げ返されることは許さない、というのは無理だと思います。
言う自由はあります。でもそれを読んだり聞いたりした人が反論する自由ももちろんあるということを意識するのが大事だと思います。
怒りたいことも批判したいことも山程あるかもしれません。
批判はとても大切なので、自分で判断して、必要だと思われたらしたら良いと思います。
私は最近毎回緊張で吐きそうになりながらブログ書いてあげてますが、批判コメントが来ると半日くらい凹みます。(場合によってはもっと)
でも、表現するってそういうことですよね。読んだ相手には批判する自由があるのです。
だから私は(完全に載せる価値がないと思うようなものは除き←そういうコメントはほぼ来ないですが)全部読んで公開してお返事させてもらいたい、と思っています。
それが私の、自分の書いたものへの文責の姿勢です。
だから大きな社会的影響と責任があっても、それが問われることが少ない週刊誌のガセ記事は大嫌いです。
正直最近は無力感が大きくて、きついなあ…と思うことが多かったです。
だから楽しい記事が全然書けず、吐きそうになる記事ばっかになってしまっていたのですが。
黙っていることが一番楽だし、神経をすり減らして文章を書いても、私の意見は羽生君にとっては迷惑なものかもしれないし、何の応援にもなっていないのでは、とか感じていました。
疲れて去っていった人たちもいます。
私のブログを読んでくれている方々は気になっていると思いますが、蒼さんも疲れてお休みしています。
私も心がぼっきりいきそうになったり、しくしくしたり、じめじめしたりして、もう何も書かないほうがいいのかなと思ったことも沢山あるのですが、でも、やっぱり又書いてしまいました。
丁寧にソースにあたり、きちんとした情報を整理してわかりやすく載せ、多くの人達から信頼されて、蒼さんのブログは本当に応援に貢献してきたと思います。
何年も何年も毎日休まずに第一線で頑張り続けた盟友蒼さんへの私からの感謝とリスペクトの気持ちもこめて、今回は書きました。
そして、賛成でも反対でもどんな立場からでも、私のブログを今回も読んでくださった方、ありがとうございました。
太陽は沈み、夕闇の時間です。
皆様もどうぞ良い夕べ、良い週末をお過ごしください。
エコでした!
↑もうご覧になりましたか?
私はこれから!
FAOIの新プロ、楽しみですね!
それ見てぎゃあぎゃあ言いたい!!!!大騒ぎしたい!!←最後けばけばしい