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下田遺跡(大阪府)2024年05月18日 00:33

下田遺跡(大阪府)(しもだいせき)は大阪府堺市に所在する弥生時代から古墳時代の集落跡である。 本稿は特に弥生時代を中心として記載する。

概要

これまでに3回、発掘調査が行われ、竪穴住居や溝・墓・自然流路などが検出され、蓋形木製品・威儀具といった木製品、多量の土師器などの土器も出土した。堺市では5例目となる銅鐸が発見された。

下田遺跡第3次調査

弥生時代中期の遺構としては、竪穴住居7棟、墓、溝などがある。竪穴住居はすべて円形で、なかには直径が約8.8メートルある大型の住居もあった。このような土壙を伴う竪穴住墓はどれも平面長方形で、木の板を組み合わせた棺を納めた木棺墓や墓坑内に2個体の土器が供献されていた。過去の調査成果をあわせると、弥生時代中期の居住域は南北200メートル以上、東西30メートル以上の南北に細長い範囲で数棟からなる小さな集落が散在していたと考えられる。存続期間は紀元前1世紀から2世紀頃の約100年間と見られる。

松菊里系住居

住居内中央には土坑をはさんで一対の柱穴を配置するスタイルの松菊里系住居があった。松菊里系住居は住居中央部に、両側に2本の柱穴が付随する穴(土壙)がある。弥生前期から中期にかけて北部九州を中心として西日本に散見され、日本と朝鮮半島との交流を示すものとされている。長瀬高浜遺跡(鳥取県湯梨浜)でも松菊里系住居はみつかっている。

銅鐸

これまで見つかった銅鐸は4つあり、いずれも石津川周辺流域からの出土とされる。これに下田遺跡「扁平鈕式袈裟襷紋銅鐸」を加えれば、5つとなる。

  1. 六区袈裟襷紋銅鐸 - 大阪府堺市妙国寺蔵
  2. 突線鈕式銅鐸 - 四ツ池遺跡から西へ1.1キロメートルの浜寺昭和町で出土。堺市博物館で常設展示
  3. 鈕式横帯流水紋銅鐸 - 和田川上流の菱木出土
  4. 外縁付銅鐸(詳細不明という) 陶器北出土

考察

銅鐸が弥生時代のムラや墓から出土するすることは珍しい。小高い丘陵の斜面に、銅鐸だけが埋められている場合が多いからである、祭祀のために使うもので、普段は埋められていて、掘り出して使うが、使わないでいるうちに忘れられていた、という可能性がありそうだ、

遺構

  • 土坑1
  • 土器棺墓1
  • 円形竪穴建物
  • 溝 掘立柱建物

遺物

  • 弥生土器
  • 古式土師器
  • 銅鐸
  • 蛸壺
  • 石器類
  • 環状土製品
  • 蛸壺
  • 石器類

指定

展示

  • 堺市博物館

アクセス

  • 名 称:下田遺跡(大阪府)
  • 所在地:大阪府堺市下田町1036-1
  • 交 通: JR津久野駅 徒歩10分程度。、

参考文献

  1. 財団法人大阪府文化財調査分析センター(1996)『下田遺跡』財団法人大阪府文化財調査分析センター調査報告書 第18集

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