JR小海線の八千穂駅前を南北に伸びる道はゆるやかにカーブして、またあたりの建物もなかなかに古びていて、いかにも旧道の佇まいなのですな。さりながら、佐久往還(甲州街道韮崎宿と中山道岩村田宿とを結ぶ)の本道ではないようですけれど、千曲川を挟んで並行するだけに、脇道としてでも使われたのでありましょうか。

 

 

そんな道筋をふらりとしてみますと、そこここの家の表札が軒並み、黒沢さんであることに気付かされるのですな。おそらくは彼の地の名望家一族ということでしょうけれど、ちと触れるのが遅くなりましたが、先に訪ねた奥村土牛記念美術館の建物、これがそもそも「大正から昭和の初めに建築され、黒澤合名会社の集会場として使われていたもの」(佐久穂町HP)であったと。黒沢合名会社は、安政五年(1858年)創業の造り酒屋をベースにして、一族が味噌醤油醸造、呉服卸、薬種問屋、銀行などを幅広く手掛けるべく、明治31年(1898年)に設立されたのであるということなのですな(黒澤酒造HP)。

 

 

黒沢一族と地元の商人らが作った銀行は第十九国立銀行で、国の法律の下に設立したことが即ち「国立」の名乗りですので、渋沢栄一の第一国立銀行同様に、いわゆる国立でなくして私立ですけれど、この山間の地に全国で19番目の銀行が作られたとは、いささか驚かされるところではなかろうかと。後に長野市の第六十三国立銀行と合併することになりますが、銀行名を「19+63=82」で八十二銀行にしたとは「ふ~ん」てなものですなあ。

 

もともと第八十二国立銀行は別にあったそうですが、すでに他行との合併により「八十二」の番号が欠番になっていたのは幸いであったというかなんというか。ナンバーバンクは、地方銀行に多く残っていますけれど、八十二銀行の出自にはこんなことがあったのでしたか。

 

と、銀行はともあれ、上の写真に杉玉が見えているように家業である酒造りは今でも健在でして、メインブランドを「井筒長」とする日本酒はもとより、蕎麦焼酎やクラフトジンまでと手広い展開をしておるようです。

 

 

こちらの黒澤酒造蔵元直売所では試飲ができるとあって、ついついふらりと。奥に見えているサーバー用のコインを買っていざという具合ですが、コイン3枚の3種飲み比べが300円。試飲用のぐい飲みは持ち帰り可ですので、まあ、全くもって損はないでしょう。試飲の結果として「井筒長氷雪貯蔵純米生原酒」にくくっと来たものの、折しも気温の上がった日に「冷たくしておいてね」という一本を車で持ち歩くのはどうもなあ…ということになり、別のをお持ち帰りということにしたのでありました…。

 

ところで、二つ上の写真の左端に「酒の資料館」という看板が見えておりまして、別棟の古い建物を利用した展示施設になっているとなれば、こちらの方も覗いてみることにいたしましたよ。

 

 

建物の中へ一歩足を踏み入れますと、そこは地域の郷土資料館のバックヤードかと思ってしまうような印象でしたですね。たくさんの民具やら酒造りの道具などが堆積しているといったイメージです。

 

 

 

 

これはこれで、じっくり見ていけば興味の尽きないおもちゃ箱といったところでもありましょうけれど、ここではひとつ、かような資料を眺めておきましょうかね。

 

 

先祖代々、米一俵の価格を書き留めてきていたものか、天明元年(1781年)から昭和55年(1980年)までの各年推移が一覧になっているという。これによると、米一俵あたり、天明元年では十七銭とあり、昭和55年では17,936円とありますので、おおよそ1銭は1,000円相当となりましょうか。元来、一銭=一文の勘定であった想定で、落語の『時そば』ではありませんが、当時「二八そば」として知られた蕎麦一杯(2×8で16文)は16,000円になってしまう…ので、まあ、安直な換算はできないということになりますかね。ただ、米一俵はおよそ60kgだったことからすれば、60㎏の米が17,000円余りなら安いような気にも。あらら、安直な換算は云々と言ったばかりでしたが(苦笑)。

 

てなことで、八千穂の町並みをぶらりとしたひととき。昨今は、こうした古い街並みには、いずこであっても観光の人たち(外国から来た人も含め)わんさかやってくてますですが、ここは実に落ち着いたたたずまいでしたなあ。それが、地元の人たちにとってもいいのかどうかは意見の分かれるところかもですけれどね。