今日は

わたしが生まれて

40年目の誕生日。

 

芳恵ママ、ベイクオーターにて。新しいキッチンツールに出会うと、いくつになっても夢中になって、興味津々。

 

 

 

 

 

 

 

今日は

 

自分の命に

自分自身に

 

失礼が無かったかな。

 

っと、振り返る

ひとりの夜。

 

 

 

 

 

自分を喜ばせたり

自分を楽しませたりすることが

 

 

ついつい

後回しになりがちなくせは

 


相変わらず

油断すると

抜けないまま

大人になったわたしは

 

( そうすると、内なる女性性の自分が、腰のあたりで、ワナワナと溶岩噴火しそうな感覚になるので。 )

 

 

あぁ、いけない、いけない、と

 

また、意識して

何度も、何度も、

自分を喜ばせる自分を

ひっぱりだす。

 

 

 

 

母になったばかりのころは

なんでも、わたしがやらなきゃ!!


お母さんになったんだから

全部、わたしがやらなきゃっ!!

 


っと、

今となっては

 

ナゾに意気込んでは

撃沈

( 疲れて爆発:テカー( 火の女神 ))

していた

 

という

不器用な

当初から比べると

 

 

 

 

もうひとりの

食医ママの存在が


自分の内側で

確かな存在へと

なってくれるにつれて

 

 

まるで暴れ馬に

手綱をかけたかのように

 

この体とメンタルの波を

乗りこなす

 

だいぶ穏やかな

心の平安が保たれる自分へ

 

自分の命の手綱をにぎる

もうひとりの自分へ

 

テフティ( 緑の女神 )

な状態で、いられるように

なれたんじゃないかな、っと。

 モアナ的に。

 

 

 

 

これからも

 

私だけの

じんわり感じる喜びの部分に

素直で在りたい。

 

 

いつまでも

変わらない

 

わたしだけが

感じられる


うれしい、好き、心地よい

の部分を真ん中にして

生きていたい。

 

 

 

 

 

そこを

いつでも

丁寧に


見つめ続けさせてあげて

思う存分

「 わたしだけの快 」を

感じさせてあげよ。

 

 

 

 

 

 

それを

自分の命のために

40歳からは、忘れないで在りたい。

 こっちを、スタンダードに。

 なんか、ちーっちゃい、パンダみたいなのがいてかわいかった、テラリウム♡

 

 

 

 

40年の

人生を生きてきて今

 

 

 

あぁ、40歳って

こんな感じなんだなって

思うことは

 

 

 

40年分の

自分の人生の養分が


いま


どっしり太い

根っこになって

 

 

そのうえに

私がくつろいでいるような



なんだか

何があっても

もう、大丈夫なような 


( それは、何がダメになっても、良くなっても、どっちでもいいよ、っていう大丈夫感。 )

 


 

そんな感覚のする

40歳になったいま。

 

 

 

 

これまで

 

あらゆる

雨嵐に台風に

 

人生のあらゆる荒波を

超えてきた経験もある40歳の自分は

 


今までで

いちばん、頼もしくも感じる。

 



あれもこれも

乗り越えてきた


年季の入った

ホウキだから


ちょっとや

そっとの嵐じゃ

びくともしないよ、っていう

 

 

あの、魔女の宅急便の

キキのお母さんが


キキの旅立ちに持たせた

ママの古いホウキのような。

 

 



 

いま

生まれて40年目の

自分のことを


そんなふうに

どっしり感じる。

 



 

これは

50年目、60年目、70年目には

また、どんなふうに感じるのかな。

 

 

さらに

どっしりとした

 


年輪を重ねた、しなやかな

大木のような

心境になるのかな。

 

 

 

 

 

さて

 

なんだか

一粒一粒の

命の時間が

40年分かぁ、とふと。

 

 

 

 

 

 

たくさんの

粒のきらめきが

 

たくさんの

プレゼントとして

 

 

 

胎児のころの

最初の

あの心臓の鼓動の瞬間から

 

 

いまでも

 

毎瞬、毎瞬

わたしの命へ向けて

 

この瞬間も

贈り届けられつづけてきてくれて。

 





お父さん

お母さん

ありがとう。





 

今日まで

とても

 

この命の時間は

楽しかったです。

 

 




 

 

泣いたり、笑ったり・・・

 

たくさん感じた、この体との時間。

 

 

 

 

むしろ

なにがあっても

 

全部が

楽しかった。

 

 


いっしょに

たったひとつの受精卵のころから

育ってきた、この体。

 



すべてが

魂の喜びだった。

 

 

 

 

この命の時間も

 

あと、もう半分くらい

プレンゼントされてきたのかな。


( Present=現在。現在とは、プレゼントなんだよね。 )

 

 

 

 

天からの

いただきものの

この命。

 

 

 

 

 

最後には

お返しする、この五感。

 

 

 

 

 

 

生きている間に

お借りしている

 

 

この

わたしの体という

パートナーと紡ぐ

 

五感の喜びとともにある、人生。

 

( 味覚、嗅覚、触覚、聴覚、視覚 )

 

 

 

これが

生きている今だけの

何よりもの、富だ。

 

 

 

見るモノ、聞こえるもの、感じるもの、触れられるもの・・・

 

 

 

 

それ以上の富は

この世に何もない。

 

 

 

 

 

 

生まれたときから今日まで

止まることのない

この鼓動に生かされて

 

あと何回、目覚めてくれるのかな、わたし。

 

 

 

 

 

人生の最期の日まで

また、どうぞよろしくね、わたしの命。

 

 

いつも

ともに生きてくれて

ありがとう、わたしの身体。

 

 

 

 

お誕生してくれて

 

わたしの命の

40年目に


心から、ありがとうございます。

 

 

 

乾杯♪

 

 

 

 

 

 

 

2024年5月10日

芳恵ママ

 

 

。・*☆ー命の本質を尊重する医食同源ー☆*・。

食医ママサロン

命をすこやかに支え続けててくれて12周年。ありがとう♡*・。

 

 

 

 

5月9日の

バースデー前夜には

子どものころからずっと

 

ひとりでひっそりとする

とある儀式( ?笑 )がある。

 

 

それは

その年齢最期の

自分の体を

 

お風呂で、ゆっくりなでながら

身体にありがとう、と伝え労うこと。

 

 

○歳のわたしの身体、ありがとう、と。

たくさん、なでなで。

丁寧に、身体を洗う。

 

 

↑ 昨夜は、お風呂を、ゲルマニウム湯にした。

しっとりとろけるお肌になった♡

 

↓ 中身は、こう。

このごろの、芳恵ママのお気に入り♪

 

湯上がりも、芯までポカポカにしてくれて♡

39才のわたしへも、ありがとうございました♡