丸亀城見返り坂を昇っている途中に丸亀藩主京極氏を讃える記念碑がある。
次は、織豊期の京極氏について
禅林公(京極高吉)の長子、泰雲公(京極高次)は、
幼き時は織田信長へ人質として出された。
天正元年には、織田氏に従い宇治槙島にて足利氏を攻め、天正18年には羽柴氏に従い小田原にて北条氏を伐った。その戦功により、近江八幡を賜った。文禄4年には加封され大津を賜った。関が原の戦いでは、徳川氏に款(よしみ)を通じ、西軍の大軍を大津城にて足止めし、その大功により、若狭一国を賜り小浜に入封した。
泰雲公(京極高次)の長子、玄要公(京極忠高)は、出雲・隠岐を賜ったが、死後、無嗣断絶に陥った。領地没収になるところであったが、京極高次の勲功により、玄要公(京極忠高)の甥である徳源公(京極高和)が嗣ぎ、寛永14年、播磨龍野に入封した。万治元年には、讃岐丸亀へ移封された。
記念碑より
平成26年5月撮影。
→丸亀城 見返り坂と石垣
←丸亀城 記念碑~京極氏の出自
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