ブラックな塾の社員という地獄から、独立し天国へ | 個人塾を自宅で開業、キャンセル待ちにした方法 ~家庭教師から独立・起業~

個人塾を自宅で開業、キャンセル待ちにした方法 ~家庭教師から独立・起業~

現在3年連続キャンセル待ちの塾を運営。独立後11年・業界歴21年。家庭教師から独立・起業。毎月の集客費0円。何もせず問い合わせはほぼ毎週。自立型少人数個別。1教室1人塾。完全週休2日。年3回の長期休暇。労働時間はアルバイト並。収入は自己裁量。出勤時間は10秒。

私が超激務だったころのお話。
 

塾業界はどこもブラック

 


私が大手集団塾で働いていた夏休み、8:00~22:00(14時間)、ご飯休憩時間以外は、授業をやっていたことがある。

先生が少なかったから、ほとんど休みもなかった。

今ではブラックバイトという言葉があり、労働基準法を無視しているブラック塾が、講師から訴えられてニュースになっている。
授業をするのは好きだったが、1日で集団授業を10クラスもやるとさすがに疲れ果てる。

しかもそんな激務の中、家に帰っても授業準備。

何もやる気が起きず、無気力になっていた。

でも明日も授業があるので、授業準備をしなければならない。

当然睡眠時間を削る。

仮眠をとって早朝に準備したり、夜に授業準備をしながら、寝落ちする日々。
 

 

自分は何のために生きてるんだろう?

長時間の連続勤務が続いていた頃、
 
「こんなに働いてばっかりで、自分は何のために生きてるんだろう?」
 
と本気で考えていた。

 

これがずっと続くと鬱になったり、過労死したりするんだろう・・・おそらく今も続く日本の労働の闇
 
そんな状態だから、中途半端な授業準備で、こなす授業しかできていなかった。

 

自分が悪いのは自覚しているので、自分の能力の無さを責める。

 

罪悪感のループ。

 

朝から夜まである講習中に倒れたら、生徒・保護者・塾・周囲の先生に大迷惑がかかる。

 

倒れてなんていられない。栄養剤を毎日飲んだり、回復のために、休みの日は心身の回復のために半日寝る生活。
 
私は倒れたことはなかったが、実際倒れた先生は何人かいた。

 

そのしわ寄せが倒れていない先生にくるので、さらに過酷になる。
  
本来、生徒や保護者には、安心や希望を与えなくてはいけないのに、逆に先生の心配をするようになる。
 

「もう嫌だ」、「でも自分がやるしかない」毎日その葛藤。

 

 

 

自己犠牲は全く生徒のためにならない

今振り返ると・・・
 
・生徒は、そんなボロボロの先生に教えてもらいたいと思うだろうか?
・保護者は、そんなボロボロの先生に子どもを任せたいと思うだろうか?
 
と考える。
 
時間に余裕がないので、全ての仕事が雑になり、質も大幅に落ち、適切な判断もできなくなる。

 

一番いけないと思うのは、心に余裕がなくなること。

 

よく言われることだが、「忙しい」は心を亡くすと書く。
 
心に余裕がないと、生徒の悪いところばかりが目につき、否定的に見るようになる。

 

自分が悪いのは分かっているから、自分の能力の無さを責めたりもしたもの。
 
そんな激務で何もかも余裕がないときに、人間関係のトラブルなどがあると、もう何もかも投げ出したくなる。
 
結果、生徒のためと思ってこなしている激務は、全く生徒のためになっていなかったということに後から気づいた。


 

生徒のために休むことも仕事



 

塾講師は激務。だから休むことも仕事。


日々の生徒指導や授業で「忙しい」、「寝ていない」とよく口にする先生がいる。
 
しかもそれをブログやSNSに書いてしまう先生がいる。
 
あげくには薬を処方してもらっている、栄養剤を毎日飲んで頑張っているとまで書く。
 
それもこれも全て生徒のためと・・・
 
生徒のために頑張るのは当たり前だ。先生は生徒のために誰もが頑張っている。
 
そもそも本当に忙しい人は、ブログやSNSに書き込む時間などない。※仕事や集客目的として書いている場合は、この限りではない
 
ブログやSNSに書いている時間があったら、体力を回復するための休息に充てる。
 
勘違いしないでほしいのは、問題なのは、それを口に出したり、ネットに書いてしまうことだ。
 
それって何のため?誰のため?
 
こんなに生徒のために、身を粉にして働いていますよというアピール?
 
そんなものは、自己満足、承認欲求以外の何物でもない。

 

プロとして失格。
 
周りからどう見られるのかという視点が抜け落ちている。
 
自己管理も仕事のうちだから、社会的には自己管理のできない、仕事ができないカッコ悪い人間だと評価される。


 

 

 

休まないと物事が上手くいかなくなる


今考えると、私も雇われていて時代は、
 
・授業は好きだったが、休みのために働いていた
・休みの日の夜は明日の仕事を考えて憂鬱・・・


というのが本心だったかもしれない。(そもそも休みたくても休めない)
 
独立当初は、休むことへの罪悪感があった(今でも完全になくなってはいない)。
 
もちろん「休むことも仕事」という考えは『知識』としては知っていた。
 
しかし、仕事を創造し、お金を稼がないと生きていけない。
 
会社員ではないので、働かないと給料が発生しない。
 
それができていないのに、休んでいる場合ではない。
 
その思いが罪悪感となっていた。
 
だから、独立当初は、ほとんど遊ばず、100連勤くらいしていた。
 
その代償として体重の増加と(笑)、心の余裕を失った。

 

生徒指導もプライベートの人間関係も、上手くいかないことが多くなった。
 
ここで休むことも仕事だということを、『経験』で学んだ。
 
事業が安定し、軌道に乗ってからは、しっかり休むようになった。
 
 

休むことへの罪悪感を手放そう


独立し、事業が軌道にのった今は


・いい仕事をするために、心も体も休ませる
・休みだからこそ生み出たアイデアを、明日試せるのがワクワク
 
真逆。
 
しかも精神的にも経済的にも技術的にも豊かになった。幸せすぎる。
 
先生としての魅力を上げるため、授業を入れない日を意図的に作り、たくさんの経験を自分に積ませたり、知識のインプットをすることで、アイデアを生むための種をまく。
 
休みとは言っても、頭は休んでおらず、日常は、自然と仕事のことを考え、仕事のネタを探している。
 
そして仕事のネタ探しがライフワークとなっている。
 
授業は入れていなくても、結局は考えることも話すことも、好きな仕事のこと。
 
仕事への活力をチャージするために、休む。
 
そして仕事がないからこそ、心に余裕が生まれる。心に余裕があると、新しいアイデアが浮かぶ。
 
結果、仕事がよりうまくいく。

 

 

 

本当に生徒のために頑張るとは

生徒のために先生が頑張るのは当たり前。

 

誰もが頑張っている。
 
でも本当に生徒のために頑張るのであれば、体調管理、スケジュール管理などの自己管理もしっかり行い、自分の能力を100%発揮できる状態にする努力もしなければならない。
 
それがプロだと、私は考える。
 
心に余裕がある愛のある先生は、生徒を肯定的に見るので、生徒のいいところばかりが目にとまる。
 
生徒をよりよい未来に導くためには、先生の心が満たされているのは、絶対条件だと今は考えている。
 
当時は雇われの立場だったから、それは理想論だった。

 

 

今はどうなのか?

疲れが誰の目にも明らかなくらい、長時間の連続勤務が続く超激務のブラック塾での地獄の経験。

比較すると、独立後はただの天国。

 

今では独立したことで、長時間労働にならないように、無駄な仕事をなくした。

 

結果が出づらい集団指導をやらず、生徒を自分から勉強に向かわせる、自立指導を取り入れ、結果が出やすいシステムにした。

 

精神的にも時間的にも余裕がある中で、毎日楽しく仕事が出来ている。

 

ブラックのときの疲労困憊、無気力とは違い、毎日充実した疲れを味わえる。
 

能動的に働いているか、受動的に働いているかかで、こんなに違うものかと驚いているくらい。(勉強も受動か能動かで、効果は10倍違うと言われている)
 
体調不良等で仕事を休んだことは、ここ10年で1日もなく、健康で過ごすことも出来ている。

 

授業準備時間もしっかり取れ、 「まさにこのために生きている」と感じながら、 感謝の日々を送らせていただいている。

 

 

 

今日もブログをお読みいただきありがとうございました。