[遂に歩道が現れる]
高知県東部木材加工の西で軌道跡車道は一瞬、堤防と接してから離れた後、二方向に分かれる。当然軌道跡は右にカーブを描く方だが、右側が擁壁となり、道路の幅員も狭くなって、ここで初めて廃線跡の雰囲気が出てくる。そして変形五差路を直進すると、更に幅員が狭まる。
が、それも束の間、車で来た、役場横から南下してきた広い車道に出る。その道路を挟んだ両側の役場や南四国部品中芸工場、区画整理された住宅が建ち並ぶ、水路に囲まれた台 形の土地が田野貯木場跡。敷地を東西に何条もの軌道が引き込まれていた。
その敷地入口の丈丈川橋を渡った地点が、前回解説した、橋梁を渡って丈丈川北岸を西進してくる軌道 との合流地。だからそこは当然左折する。
南四国部品敷地の道路沿いに一部、未舗装の草地があるが、ここが軌道跡にかかっている可能性がある。
敷地の隅の長田杭橋袂まで来ると、敷地隅から北側が遊歩道となっている。蛇行しているので、これが軌 道跡にそのまま重なることはないが、何割かは軌道跡を踏襲していることは確か。
その遊歩道上の東屋が建っている地の西側、畑沿いに古ぼけた家屋を擁する藪があるが、そこが奈半利川線への連絡路線跡で、国道55号か ら北は県道206号になっている。
長田杭橋から西の八幡山跨線橋までの軌道跡については、ある程度知られているから、辿ったことのある方も多いだろう。その跨線橋は昭和8年建造の鉄筋コンクリートガーダー橋で、解説板も建てられている。
しかし橋から西の軌道跡 を辿ったことのある方は、多くはないだろう。それは橋の西が何年か前まで、丸三製材社の敷地だったことも影響している。が、今は製材社の建物はないので、通り抜けることができる。
敷地跡の真ん中を貫く砂利道が軌道跡である。
国道から南下してきた小径を横断すると、田畑沿いの野良道になり、廃線跡の雰囲気が増す が、浜宇津自動車の数十メートル手前で野良道は軌道跡の路盤ごと消滅する。故に少し引き返して国道に上がる。
浜宇津自動車西方には水路を跨ぐコンクリート橋が見えているが、それは廃線後に個人が設置したもの。しかしその場所は軌道の橋梁跡でもある。その西方のT字路を南に折れると、再び風情のある軌道跡が現れる。
歩道として残っていることは意外だった、という方は下のバナーを