お龍、土佐和食(わじき)へ(19) | 次世代に遺したい自然や史跡

次世代に遺したい自然や史跡

毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

肺結核で没した有名詩人子孫と交流があった

岸本町道路元標(二枚目写真)から東の土佐東街道の道筋は、そのまま旧国道に重なる。元標から東方を見た際、旧家が全く見られなかったので、香南市香我美町内の街道踏査はここで切り上げることにした。よって今回の記事は机上調査によるものとなる。市販書製作時は全ルート踏破するのだが、ブログではそこまでやる意義はない。

 

野島ハイヤー西隣には、以前取り上げた書家で寺子屋運営者の細木淳蔵の筆塚(下の写真)がある模様。これは淳蔵の没後、門人が廃筆を束ねて埋めた塚。

また、岸本橋東袂が岸本町道路元標の原位置であろうと思われる。

 

街道ルートは以前、「桜とツツジと陸軍壕が同時に楽しめる山

として取り上げた月見山(外部サイトでは→2,700本の桜とツツジが同時に咲く陸軍山砲陣地の山)手前の十字路で県道に合流して南下するが、その十字路北方の月見山宝幢院境内には、以前紹介した徳弘梅左やその父・其舟、松尾芭蕉らの句碑が建立されている模様。

 

県道はほどなく国道55号に合流するが、その合流地の岸本神社入口付近に友綱貞太郎出生地之碑と岡本弥太詩碑(最後の写真)がある模様。前者は安政元年(1854)、岸本に生まれた力士で、板垣退助の知遇を得て角界入りし、前頭筆頭まで進んだ。

 

後者は大正末から昭和初期に活躍した、県下の文学界では有名な詩人で、県下に於ける自由詩の同人誌の草分け「ゴルゴダ」を始め、「短歌芸術」の前身、「あおすけ」等、数々の詩誌や詩集を世に送り出した。

 

詩碑に揮毫したのは高村光太郎で、昭和23年、交流のあった詩人らによって建立された。

余談だが、岡本弥太の子孫とは’90年代後期、ビジネス上の付き合いがあった。子孫は通信機器関連会社の経営者だった。

 

神社入口から左手に数軒過ぎると、また街道は国道と分かれ、北側を並走する。この道も旧国道である。K光氏宅を過ぎると夜須町に入る。

 

次回は土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線夜須駅付近へと移動し、海援隊隊士の墓等を巡った後、土佐電鉄安芸線廃線跡から手結山へと登る。

尚、今回の添付写真の三枚中二枚は、合併前の香我美町教育委員会が発行した「香我美町文化財マップ」から転載した。

 

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