高知県のエンジェルロード(海面出現道)三景 | 次世代に遺したい自然や史跡

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毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

[海上に現れる海底道を歩く]

エンジェルロード(天使の散歩道)とは香川県小豆島の前島から沖に浮かぶ中余島を経て大余島へと続く、干潮時に出現する海底の道。このような道は全国各地にあり、同じ瀬戸内では岡山県黒島のヴィーナスロードが有名。

 

高知県では三ヶ所の海面出現道が比較的知られている。しかしその内、比較的距離が長い二ヶ所の道は初夏から夏場の大潮の干潮時でないと渡渉できない。年中大潮でも小潮でも干潮時に出現する道は高知市にあるが、距離は極めて短い。

 

(1)  衣ヶ島[続島と長続島] (高知市横浜東町)

谷時中の墓のある箕越山から横浜病院リハビリ棟を経て、北東に伸びる尾根の岬から朱色の衣ヶ島橋で繋がる続島(つづきじま)があり、そのすぐ沖に長続島(ながつづきじま)、そして少し距離を置いて玉島(巣島)が浦戸湾に浮かんでいる。

一般には続島を衣ヶ島、長続島を続島と呼ぶきらいがあるが、本来、衣ヶ島とは続島と長続島を合わせた総称である。

 

戦前の「浦戸湾十景」(十景碑現存)の一つに選出されていた衣ヶ島の続島には大宝年間(701~704)、創建された古社、仁井田神社があるが、ここには長宗我部元親が鎧と兜を奉納している。

 

神社左手奥からは島の外周に沿ってコンクリートの歩道陸橋が半周しており、その終点が長続島への渡り口となっている。但し、「衣ヶ島エンジェルロード」は極めて短く、僅か約1分で渡り切ってしまう。

 

長続島は何もない細長い島だが、干潮時には一周できるため、散策には良い。また、横浜病院と衣ヶ島はジブリアニメ「海がきこえる」にも描かれている。

 

(2)咸陽島(宿毛市大島)

高知県内の海面出現道の内、最も有名で距離が長い道のあるのが、以前海軍高角砲台跡を紹介した大島の約300m沖に浮かぶ咸陽島(かんようとう)

島名は宿毛が対明貿易で栄えていた頃、大島に漂着した唐船に乗っていた明の商人が故郷を偲んで「咸陽島」と呼んだことが由来。

 

大小二つの島からなり、大きい島の方に出現道が現れる。道はS字カーブを描く独特のものだが、夏場の大潮の干潮時でも水深が膝位まであることが多く、滅多に渡れる日はないという。普通の靴で渡れなくなったのは、地球温暖化のせいかも知れない。

 

滅多に渡ることができないため、近年この道を「幸運を呼ぶ道」とも呼ぶが、終戦頃まで咸陽島は大島に流れ着いた水死体の簡易火葬場だった。

 

咸陽島への渡り口は咸陽島公園側の浜にあるが、この公園には平成初期まで海洋博物館があり、水族館のような回遊水槽が見ものだった。現在、公園ではキャンプができる。

 

※その後の当方の経験から咸陽島エンジェルロードは大潮や小潮等に関係なく、潮位10cm以下なら陸続きになるものと思われる。

 

(3)弁天島(大月町樫ノ浦)

樫ノ浦と西泊地区西方の海岸を樫西海岸と言い、「樫西海域公園」に指定されている。海中には120種以上のサンゴが生息しており、その珊瑚礁の美しさは沖縄やミクロネシアにも引けを取らないという。

また一帯は奇岩乱礁や沖合の小島群が点景となり、昔から景勝地として知られていた。

 

小島群の中に巨大な海蝕洞門を擁する弁天島(前の島)があり、尾根の西のピークに市杵島姫大神を祭る厳島神社がある。昔は女人禁制で、神仏分離令が発令されるまでは「弁天小宮」と称し、弁財天が祭神だった。現在でも大祭時は神輿が漁船で島に渡る。

 

こちらの海面出現道の幅員は咸陽島エンジェルロードより広く、水深も浅いが、夏場でも長靴が必要かも知れない。尤も夏場ならマリンシューズを履いた方が気持ちいいだろう。夏場以外の干潮時の水深は膝上ほど。

 

昭和51年、この景勝の地を一望できる「樫西園地」ができた。夏には「樫西海水浴場」が開かれ、シュノーケリングで熱帯魚を見ることもできる。

近くのオートキャンプ場ではボートやシーカヤックのレンタルも行っていたが、現在も営業しているか否かは不明。

 

※その後、この弁天島エンジェルロードは、大潮や小潮等に関係なく、潮位20cm以下なら確実に渡れることが確認済み。

 

(番外)ゴウシ山(高知市長浜)

以前紹介した、深浦神社の北西に島のようなゴウシ山がある。精神病院・精華園のすぐ前である。地形図等では離島のように描かれているが、満潮時以外なら堤防下から「道」が続いていたと思う。「山麓」のコンクリートの残骸は真珠養殖施設跡のものである。

 

なぜ「島」ではなく、「山」と呼ぶのか疑問に思うかも知れないが、それは昔、ゴウシ山が岬だったからである。いつ頃島のようになったのかは資料・文献が散逸しているため、記憶にないが、昭和22年発行の地形図には完全な陸地として描かれている。堤防築造時、尾根の部分が開削されたのではないかと思われる。

 

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