うつろ舟の蛮女事件との類似点~荘内浦島太郎伝説(4)~ | 次世代に遺したい自然や史跡

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毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

[理論上は可能な未来への旅]

浦島太郎は竜宮城で乙姫たちにもてなされ、楽しい日々を送るが、やがて故郷が恋しくなり、帰路につくことになる。そこで乙姫は太郎にお土産として七つの宝を贈呈し、七匹の亀に運ばせ、自らは太郎を送って行った。御伽噺では帰りも太郎は亀の背に乗って故郷に戻ったことになっているが、実際、乗り物については定かではない。

 

当初、乙姫は太郎の家、新屋に近い今の箱漁港辺りに「乗り物」を付けようとしたが、潮流に流され、やや東方の「金輪の鼻」に取付いた。別れの際、太郎は乙姫から宝と玉手箱を受け取り、二人は握手をして別れた。その際、乙姫の腕に付けていた金輪が海中に落ちた。そこを「金輪のそわい」という。また、太郎がここで宝を荷車に積んだことから、「積(つむ)」という地名が付けられた(下の写真は金輪の鼻と積)。

 

乙姫一行は潮流の関係ですぐには竜宮城へは帰れず、一旦粟島(一枚目写真中央)の姫路(下の写真)に逗留し、潮待ちをしたという。

太郎は七つの浦と島を回って長期不在していたことを詫び、乙姫から貰った宝を配ったが、各浦の村や人の様子は様変わりし、自分を知る者は誰もいなかった。そして古老から自分の両親が遙か昔に他界し、自分は竜宮城に旅立った日を命日として死亡したことになっていたことを知る。

 

太郎は両親の墓参りをし、落胆のまま箱崎西方の漁師町に身を寄せ、また釣りをして暮らすことになる。その町は太郎が若い姿のまま暮らしたことから、「不老浜」と呼ばれ、後世「室浜」(下の写真とその下の地図)と転化した。浜の東方にはどんがめ石のような石(室浜地図の下の写真)もあることから、太郎はここで釣りをしていたのかも知れない。

しかし23年後、更に太郎はショックを受ける出来事があり、生きる気力さえ失うことになるのである。

 

この太郎の竜宮城での話を聞くと、普通は荒唐無稽な、と一蹴するだろう。しかしある特殊な空間に於いて特殊な生活をしていると、太郎のように何百年も先の未来に行くことは理論的に可能で、その数式も存在する。それは、宇宙空間に於いて一定期間、絶えず光より速い速度で移動し続け、その後、地球に戻ってくる、というもの。が、現代の人類の科学力ではそんな乗り物を造るのは不可能。但し、乙姫が地球人でないとすればどうだろうか。

 

御伽噺では竜宮城は海底にあり、タイやヒラメが舞を舞って太郎を歓迎したことになっているが、伝説ではそんな設定になっていない。竜宮城は海の彼方に浮かび上がっていた、という説もある。これは恰も蜃気楼のようだが、以前、荘内半島付近の海霧に浮かぶ石鎚山系の写真を掲載したように、海霧発生時、何十何百キロもの遠方の山や島影が幻想的に見えることがある。

 

そんな海霧時、享和32月、常陸の国の沖に現れた「うつろ舟」のような円盤型乗り物で乙姫は太郎を故郷に送り届けたのかも知れない。このうつろ舟の蛮女事件はミステリー愛好家の間では有名な話で、滝沢馬琴主宰の兎園会会員、琴嶺舎が採集した話。

 

地元の漁師が沖に漂う円盤のようなものを見つけ、浜に引き寄せると、中に髪と眉が赤く、桃色の肌をした奇妙な服装の女が乗っていたというもの。

円盤型乗り物は長さ三間余で、上部は硝子障子に松脂を塗ったようなもので、底部は鉄の板を放射線状に張っていたように見えたという。

 

乗り物から出て来た女は長方形の箱を大切そうに抱えていたという。漁師らに対して何かを話しかけたというが、その言葉は誰も分からない。

そこで漁師が古老に相談したところ、過去に流刑の罪により、外国から舟で日本に流されてきた異国人がいたことから、関わるべきではない、と判断し、女を乗り物と一緒に沖へと戻したという。

 

この女と乗り物については当時の絵図が残されているが、これを見る限りでは、乗り物は明らかにUFOの形をしている。女が抱えている箱は、太郎が乙姫から貰った玉手箱を連想させる。UFOを見たことがない太郎はそれを新種の亀、若しくは「メカ亀」(メカゴジラ的な)だと思ったのかも知れない。

 

ところで金輪の鼻についてだが、旧詫間町が発行した荘内半島の観光地図を見ると、積の黒崎突端に図示されている(上の地図)。しかし去年発行された伝説マップでは黒崎から積漁港辺りまで、広範囲が図示されている。「鼻」という位だから岬であることに違いないのだが。

「積」は主に黒崎や漁港上部の集落一帯を指す。

 

粟島の姫路は地形図に三軒ほどの建物マークが記載されているが、何十年も前に無人となっており、今、姫路というとそこの浜を指す(上の地図)。乙姫が潮待時に上陸した地点である。その浜には数年前まで、島を巡るミニ四国霊場道から誰でも下りて行くことができたのだが、現在、竹ノ浦集落裏手の竹藪箇所が廃道同然になっており、何度も四つん這いになりながら、倒木帯(藩政期絵の下の写真)を突破して行かなければならない。島民は干潮時に竹ノ浦から磯伝いに行っているという。

 

粟島にはもう一ヶ所、太郎も訪れた伝承地があるので、次回、姫路のヤブ漕ぎ探訪ルートと合わせて紹介したい。

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