海軍高尾木山探照灯陣地とミツバツツジ銀座(三豊市) | 次世代に遺したい自然や史跡

次世代に遺したい自然や史跡

毎年WEB初公開となる無名伝承地や史跡、マイナーな景勝・奇勝を発表。戦争遺跡や鉄道関連、坂本龍馬等の偉人のマイナー伝承地も。学芸員資格を持つ元高知新聞主管講座講師が解説。

[絶景とツツジ尽くしの戦争遺跡山]

以前、香川県三豊市の海軍塩生山航空障碍灯陣地について少し触れたかも知れないが(投稿サイト記事は海軍塩生山機銃陣地と高角砲台)、その南方の高尾木山[たこぎやま](270.4m)にも昭和20年、似たような探照灯陣地が造られていた。

但し、完成する前に終戦になったため、詳しい資料はない。が、登山道沿いには塹壕や蛸壺壕跡、山頂には探照灯壕跡や機銃陣地跡らしきものが確認できる。

 

高尾木山は二本の登山コースが整備されているが、東側のコース沿いにはこの時期(今年は開花期が早まっている)、ミツバツツジが咲き乱れ、「ミツバツツジ銀座」と化す。

 

更に中腹から山頂にかけてのツツジに覆われた各展望所からは、前述の塩生山を始め、瀬戸内海の大パノラマが展開する。

また、二本のコースの登山口の間には芝桜(二枚目写真)が整備された丘もあり、まさに花尽くし。

 

その二本のコースは回遊できるのだが、登山口(広義の登山口)に案内板が建っているのは東側のコースのみ。車は芝桜の西下にある神社()前に駐車できる。東側コースの登山口(最後に添付の地図)のすぐ上にも八重桜等、何種類かの花木がある。

 

最初は谷沿いを通り、ほどなくして尾根に乗る。

合目標柱も建てられているが、3合目辺りから8合目付近まで、ミツバツツジのオンパレード。登山道沿いにこれほど多くのツツジが咲く山は珍しい。

 

3合目標柱から2分ほど登った右手の樹林の中に方形壕跡窪みがある。

更に2分ほど登った地点の尾根から東下に竪堀的塹壕(二つ上の写真)があり、登山道を挟んだ向かいに蛸壺壕跡(上の写真)がある。塹壕と蛸壺壕がセットになっているのは以前紹介した、高知市の烏帽子山東の尾根と同じ。つまり、これらの蛸壺壕は歩哨(見張り)用である。

これ以降も似たような壕跡が現れる。

 

コース上、一番の展望所は5合目展望所。三豊市内の山に共通したハートの刳り貫き穴が背もたれにあるベンチも設置されている。ここからも「粟島橋立」(独自に命名・上の写真)や瀬戸大橋をズームで捉えることができる。

ツツジに覆われた8合目からもある程度の展望が広がっている。

 

コースは山頂のすぐ東に達すると向きを西に変える。

舌状郭のような海軍の削平地の先には細い塹壕(下の写真)があり、終点は長方形の竪穴壕になっている。この壕の反対側にはもっと短い通路壕もある。大きさ的にはこれが探照灯壕である可能性が高い。

 

山頂の三角点のある地は直径3mほどの擂鉢状窪みになっており、その手前の一回り小さな方形壕跡と繋がっている。陣地造りのセオリーから言えば、前者の擂鉢状窪みが機銃陣地跡になる。

 

ネットではこの擂鉢状窪みを探照灯跡とする記事もあるようだが、だとすれば防衛のための機銃陣地跡が見つからない。方形壕はその形状からして機銃陣地ではない。

 

山頂からの展望は二方向に開けている。ベンチのある箇所の下方には葉桜になったヤマザクラがいくつかあり、塩生山から瀬戸内海の展望が開けている。

三角点の先からは大蔦島、小蔦島から燧灘方面の眺望が広がる(下の写真)。

 

前も述べたが、隣接の観音寺市界の山から荘内半島まで、地形図に山名表記されている全ての山が整備され、且つ、皆、海の展望が広がっているのは驚き。

 

展望をキープするには定期的にヤブの伐開をする必要があるが、三豊市民が如何にハイキング好きなのかがよく分かる。市出身の要潤氏もそうなのだろうか。因みに市内の二つのIC出入口付近には要潤氏の巨大看板が設置されている。

 

山頂から南東に延びる尾根も探ってみたが、少し下った所にも方形窪みがあった。もっと下った所にも壕跡があるようだが、尾根道は廃道化しており、帰りがしんどくなるため、引き返した。

 

復路は北西の寛政年間の地蔵が建つ旧詫間峠と思われる箇所まで下り、北東の峠道を下った。その地蔵付近の谷間一帯、白くなっていたが、よく見るとヤマザクラの落ち花で埋め尽くされていた。

 

この峠道は平成16年発行の地形図(仁尾)の標高70数メートルまで延びている実線の道に繋がっている。この道は地形図では車道として記載されているが、実際はバイクやトラクター位しか通れない。コース図とガイドは→海軍陣地の山はミツバツツジ銀座~高尾木山回遊~

今後も好展望の戦跡山を紹介してほしい、という方は下のバナーを。