いつでも行けると思いながら行かなかった。

 

レーガンが亡くなった時は非常に悲しく思えたが

ニクソンの時はテレビすら見なかった。

 

ケネディ信者が出す本は沢山読んだ。

暗殺されたというドラマチックな最期に惹かれていた。

マフィアがからむストーリーも面白い。

オリバーストーンの戦争や政治映画も色々見た。

つまり

ニクソン大統領って最悪と思っていた。

 

そんな私がニクソンライブラリーの案内です。

 

*前回記事 ニクソンライブラリーその①大統領になるまで*

つづきです。

 

長いので興味のある方だけご覧になってください。

 

+++++++

 

 

当時をそのまま再現された大統領執務室です。

 

レーガンライブラリーでは警備が厳しく人も多く

おごそかな説明の中遠目で見学でした。

 

が。

 

こちらは座って写真撮れます。

正確には

「どうぞ座って。写真撮りましょうか?」と

撮ってくださいました。

 

なんてマイナーフレンドリーなPresidentLibraryなんだ。

もっと写真映えする格好してくればよかった!

 

壁には沢山の鳥の置物がありました。

ニクソンは各国首脳に平和の象徴として

鳥の置物を送っていまして

中国に送ったものが特に有名です。

 

 

 

そしてニクソンの政策で公約であり1番重要だったのは

ベトナム戦争撤退でした。

しかもそれは多くのアメリカ人を犠牲にした戦争であった為

「アメリカの名誉ある撤退」で世論を納得させる必要もあった。

 

そしてベトナムへ。

 

当時の新聞や映像などが

時系列で並んでいます。

 

ベトナム戦争の経過が展示されていて

重い気分になります。

 

 

モハメッドアリはベトナム徴兵制度を拒否しました。

当時の様子、当時の資料などそのまま保存されています。

 

撤退は1973年迄徐々に行われます。平和に向けてのグラフ。

 

カンボジアやラオスの侵攻、失敗。

結果、交渉の為にという目的で北ベトナム攻撃を増やし

キッシンジャー秘密交渉3年以上かけた結果、

パリ和平協定調印。

 

 

アメリカ軍は完全撤退し

その後のベトナムは無茶苦茶です。

北ベトナムが南を侵攻して全面攻撃。

サイゴン陥落。

そのまま今も社会主義国家ですが

1995年にアメリカと和解しています。

 

 

ベトナム問題は深い。

民主主義の為にと戦ったアメリカ軍、

最後は他国の事に関与しすぎた、もうやめよう。

 

最後ニクソン・ドクトリン、つまり

自国の事は自国でしろ。アメリカはもう関与しない。という事になり

サイゴン陥落の時もアメリカは関与しませんでした。

 

今のアメリカもそういう傾向ですね。

だからトランプが出てきた。

 

ベトナムの展示を見ていると

ただ「戦争反対」という事だけではない

色々な思いが出て考えさせられました。

 

 

キッシンジャーまだご顕在です。

 

 

 

 

次。

 

 

 

 

反戦運動やヒッピー達やリベラル層で大騒ぎだったアメリカ。

 

アポロ11が月面着陸した事で

 

反戦運動から一気に興味はアポロへと移りました。

展示も一気に明るくなります。

 

 

アポロ11から17(1969年から72年まで)。

月面着陸はニクソン時代の明るい話題であり

ニクソンの名前は月面に残されている唯一の大統領です。

 

乗組員と大統領の会話の録音テープもここで聞けて、

全部聞いてきましたがワクワクしました。

 

そしてアメリカ環境保護局を初めて設立。

 

ヘルスケア、

自然や生態系、大気や海を守る対策に力を入れました。

 

 

ベトナム戦争やヒッピーの間で流行った麻薬撲滅も進めます。

 

外交では長年対立関係であった中国との対談。

毛沢東との2ショットです。

 

北ベトナムの援助国であった中国と和解することで

北との和平交渉を有利にもっていく事が目的でした。

ソ連と中国との関係もこの時微妙だったので

両国にとっていいタイミングだった。

 

中国との関係には大きなコーナーが出来ていて

ニクソン政権の中でも重要視されているのがわかります。

 

 

ここで沢山の贈り物のやりとりがありました。

それらも残されています。

 

首相であった周恩来からの案内状。

 

写真撮りませんでしたがプレスリーとの2ショットもありました。

世紀の2ショットとして今でもアメリカで話題で

映画にもなっています。(ケビン・スペーシーが出てる)

観てみたいと思いましたね。

 

ニクソンの様々な功績。

知らなかった事が多かった。

私は興味を持たず、知ろうとしなかった。

 

このベルリンの壁はなんと

ロサンゼルスが地元である

カールスジュニアからのプレゼントなんだとか。

 

ニクソンは地元である

ディズニーやカールスジュニア、In-n-outから

多くの支援を受けていました。

 

 

外交手腕は評価されていますが

経済面ではドルショックをはじめ

アメリカ経済は不況のままでした。

 

 

そしてここには沖縄返還の展示がなかった。

探したのですが見つかりませんでした。

沖縄返還交渉の時に日本と約束した事を(日米繊維交渉)

日本が守らずニクソンはかなり怒っていて

 

中国訪問の事やニクソンショックの事も

日本には一切事前に連絡はなかったそうです。

「やられたからやりかえす」という事でしょうか。

 

ついでに書くと

ずっとドルは360円の固定でしたが

このニクソンショックの為替変動になったことで

その後一気に円高になりました。

 

 

外交政策の成果を沢山感じた中で

日本のものが全くなかった。

約束を守らなかった日本に対して

友好的ではなかったのかなと感じました。

以前は吉田茂のものがあったそうで探したのですが

見当たりませんでしたね。

 

そして大統領の1期目(4年)がおわり2期目に続きます。

 

多大な功績を認められたニクソン政権の

大どんでん返しが始まります。

 

 

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