思い出すあの子 ~後先(あとさき)~ | たけちゃん先生 「奮笑記」

たけちゃん先生 「奮笑記」

小学校の教員になって随分になります。

これまでたくさんの子どもたちや、先生方と出会ってきました。

子どものこと、教員として自分が歩いた道、そして教育のこと・・・

自分の教員としての「記録」も込めて、書き綴りたいと思います。

「たけちゃん先生!K君、亡くなったでダウン

今も懇意にしてくれてる教え子から聞きました。

「何でや(原因)はてなマーク

「どうも自分で汗

「そうかぁダウン


5,6年生の担任をしました。

温和な男子でした。

祖母と弟との3人暮らしでした。

家庭訪問をよくしていたので、おばあちゃんとよく話をしました。

嫁のこと

息子のこと

嫁の実家のこと

孫への思い

若いおばあちゃんでした。

「この歳で孫の世話しやんなんねんで、先生宇宙人

「はあ。。。そうですよね」

若かった私には、そう返事するしかできませんでした。


宿題は全然してきませんでした。

できるのにしませんでした。

起立させて叱ろうとしても、彼の癒やされる風体に思わず心で微笑みながら叱ることもありました雷学力は中くらいでした。やればできる子でした。


体格が大きく、5年生の10月の体重測定で100キロを超えてしまいました注意身長も私ぐらいありました。

今なら考えられないけど、男子全員で体重計を取り囲んで体重計の針が一周するのを確認しました。

「うぉぉぉおーーーー」

と地鳴りのようにみんなが声を上げました右上矢印


「先生!うちの孫、よく食べますねんラーメンおにぎりハンバーガー

「はぁ~」

「焼きそばも一人で3玉、食べますねんナイフとフォーク

孫に食べさせてやることが、おばあちゃんの愛情表現でしたチーズ


ラグビースクールへ半ば強制的に誘いました。

送り迎えもしました。

ボールを持つとガリバーのように前へ進みました。

でも、すぐに転けました。

だから、転けずにモールの核になるよう指導しました。

結構いい成績を残せた学年でした晴れ


書いているとどんどん思い出が涌いてきます。

先生より先に亡くなったらいけません。

ダメです。

何でも順番があります。

後先の逆は周りを不幸にします。


合掌雪の結晶

安らかに眠って欲しいと思います。



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