【地味な趣味だった自転車】 | 銀輪鉄道

【地味な趣味だった自転車】

小学校の頃、サイクリングの楽しさに目覚めた僕は、中学になると 益々のめり込んで行った。
だけど、一緒に多摩湖方面や小田原行った相棒とは学区域が違い、離れ離れになり、中学では中学の別の相棒を探さねばならなかった。幸い、インターネットなんか存在しない時代にあっても、「一旦出掛けたら一日で山坂もある100km以上の行程を走って来る。」なんて、馬鹿げた発想と行動を好しとする友人は、3年間で5人位見つける事が出来、連中と度々ツーリングを楽しむ事が出来たし、親の協力と理解?もあって、2年生の頃から新聞配達(っていうか、週一のショッパ配布)のバイトのお陰で、幾らか身分不相応な部品購入や改造にも精を出す事が出来た。
僕を含めた それらウチの学校の同学年自転車小僧どもに云える共通点は、まあ、今で言う 【非モテ】 って奴で、良く言えば 大人しい性格、個々には面白い奴等なのだが、彼女が居る奴なんて1人も居らず、況してや 【ひたすら暗い趣味】 と看做されていた サイクリングなんてやっていたら、もう完全に そういう甘酸っぱい青春?の道を自ら拒絶したも同然な野郎共であった。
ここ最近10年内外で自転車に乗り始めた諸兄には信じられない事であろうが、女性サイクリストなんて、雑誌には出ていても、例えば道志街道では一人もお目に掛かった事は無かったのである。実際、当時あの道は、ほぼ全線に渡ってダートだったし、鶴も大丹波もみんな砕石だった。そんなところに輪を掛けて、オンナ子供も気軽に糞小便垂れられる お手軽エイドステーションの如き コンビニなども皆無な時代に、テニスのラケットを持つ娘は沢山居ても、ミキストに跨る麗しのオネーさんなど、生息しよう筈も無く、そもそも 「ロードレーサー」 は、極めて特殊な存在であって、それをツーリングに使用する人は非常に稀であり、同時にフィールドも限られていたのである。


 
さて・・・、そんな 非モテ確定 な中学時代の相棒の1人とは、自転車の新調成った事もあり、色々走り回ったが、最初に手始めに行ったのが、双方小学生時代のジュニアスポーツでのラストラン?になった相模湖であった。お互い、未知のルートと目的地という事もあり、ルートラボなども無いから、国土地理院の白地図か、クルマ用の道路地図帳であらましを把握するしかなかったが、それでもほぼ正確な距離を弾き出していた事は、我が事ながら溜飲の下がる想いである・・・が、しかし、些か大垂水峠 (ちなみに この峠を、オートバイで知ったか、自転車で知ったかで、概ねその人の自転車歴の見当がつくが) を過大に評価して挑んだ為、早く到着し過ぎてしまい、湖畔の蕎麦屋が開店するまでの1時間ほど、漸く朝日が昇り始めた僅かな木漏れ日の中寄り添うように・・・男同士でただガタガタと凍てつく冬の寒さに凍えていたのであった。
その年の冬に登場した 【あったか~い!】 自動販売機は、そこには無かったのである




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本家アメブロの自転車記事だけ抜粋して御紹介してみました。
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