音楽表現とは 1=○か×か、白か黒か、では語れない繊細な差 | 愛の夢のつづき

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指が楽に動き、音が美しく響くピアノ奏法と
楽譜を深く感じ取る音楽表現法を
札幌、東京、大阪、オンラインで指導 している野谷恵です。

人は進化できます。具体的な進化の方法をお伝えしています。
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千差万別という言葉がありますが、

 

心から感動して泣ける演奏と

 

音符を並べただけの演奏の間には

 

確かに、

 

千も万もの違いはあります。

 

 

では、その違いは

 

ゼッタイに埋められないものなのか?

 

感動的な演奏は

 

ごく一部の天才にだけ許されたことなのか?

 

そうではないと考えています。

 

 

 

 

非常に繊細な違いを

 

感じ取れるように、

 

つまり敏感になれれば

 

その差は少しずつ縮められて、

 

思ってもみなかった表現のレベルに

 

到達することは可能です。

 

 

 

その繊細さを獲得し、

 

違いを感じながら磨いていければ

 

人を泣かせる演奏家になれます。

 

 

でも、

 

その繊細さを獲得する学びが難しいのは

 

算数のように、

 

1+1=2 ○

 

2+2=3 ×

 

という分かりやすい勉強ではないところです。

 

 

例えば、タッチは

 

浅いのが○

 

深いのは×、

 

ではなくて、

 

いくら弱くという指定でも

 

浅過ぎてピアノを鳴らせないのは良くないし

 

いくら強くという指定でも

 

深すぎて割れる音は音楽的とは言い難いです。

 

 

タッチのスピードも、

 

鍵盤をゆっくり降ろし過ぎると鳴らないし

 

速過ぎるときつい音になります。

 

 

その中間の千差万別を、

 

使い分けて音型を表現します。

 

 

演奏の極々一部であるタッチでさえ

 

上記の文章では書ききれていません。

 

 

そして、演奏の極々一部であるタッチ

 

気を遣ったら、

 

音楽表現への集中力が足りなくなっては困りますよね。

 

 

 

 

肝心の音楽表現も、繊細に考えると

 

多くの要素から成り立ち、

 

「心を込めたらOK」とか、

 

「恋愛すると表現豊かになる」とか

 

そんな単純なものではないのです。

 

(演劇の大御所、山田五十鈴さんは

 

表現力について、色事が芸の肥やしになる説に

 

「芸はそんな甘いものではない」と一蹴されました)

 

 

 

表現の基本に

 

音程の差と変化、

 

音価の差と変化、

 

それらの差と変化による

 

「書かれていない強弱」と

 

「書かれている強弱」の差と変化、

 

1拍目の重要性、

 

最低限の1単位である1小節の感じ方、

 

音符を読むのではなく

 

音型を読み、

 

音型が連なってできる

 

短い単語のようなモチーフ(短いフレーズ)や

 

1つの文章としてのフレーズを感じ、

 

それがひとつであることを

 

表現するわけです。

 

 

 

フレーズの中で

 

必ずポイントや山があり

 

エネルギーはそこへ向かって増していき

 

山で感極まり

 

気が済んでエネルギーは減り

 

フレーズを閉じる、というのが

 

一応基本ですが

 

作曲家がわざと違う表現で

 

違うエネルギーの動きを書くことで

 

印象深い曲にしたりもします。

 

 

音楽は言葉にはしきれないので、

 

文章を読んで、

 

「なるほど」と思っても

 

なかなか実現はできなくて

 

訓練が必要です。

 

 

 

楽譜に総て書いてあると言っても

 

日本の教育では

 

「音符」の読み方を教わるけれど

 

子供の頃から教えるべき

 

上記のような「表現の基礎」や

 

音と音の関わり方つながり方、

 

その弾き方の違いを教わっていない、

 

つまり、

 

「音符」は読めるけれど

 

「楽譜」は読めないということを

 

感じているピアノの先生方ともお話ししました。

 

でも、

 

子供のころにまで戻れなくても

 

意識と訓練で

 

そういったことはできるようになっていきます。。

 

 

 

耳の感受性の高い人の場合

 

とても良い演奏の

 

良い部分をその場で盗んで

 

それに近い表現ができたりします。

 

 

 

でも、耳と感覚では

 

その場ではできても保ちにくく

 

崩れる場合もあるので、

 

やはり、

 

目でも楽譜を覚えたいですね。

 

そして、

 

時間のコントロールは

 

訓練で変わります。

 

 

 

 

例えば、

 

私は若い頃

 

あるピアニストの大ファンで

 

ある曲の、

 

あるコンクールでのライブ録音の

 

白熱した演奏がしびれる程好きで、

 

それを身体に浸み込むほど聴いてしまい

 

不安定なテンポ感で体が覚えてしまいました。

 

(その音源は白熱した演奏で

 

聴く人を引き摺っていくけれど

 

テンポ感は良くない演奏だったのです)

 

そして、

 

ハンガリーの恩師が非常に苦労して(^_^;)

 

根気強く直してくださいました。

 

 

その過程で得た「方法」もあるのですが、

 

言葉だけでここへ書くと

 

誤解を生じかねないので

 

時間のコントロールのクセは直し難い

 

でも直せるということだけ、

 

分かって頂けたらと思います。

 

 

 

とても微妙なことですが、

 

1種類の音源を聴きすぎるのはアブナイという

 

例のひとつでもあります。

 

 

****

 

 

別ジャンルの素晴らしい演奏を

 

聴いてきた門下生が

 

何がどうだから素晴らしいのかを

 

分析できていた話を今度書きます。

 

 

 

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                 Megumi(野谷 恵)

 

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