どうも

 

御朱印集めしようと思ったら

 

今回は集められなかった…

 

ワタシです

 

これには、深い(?)理由があるのでぃす

 

イジメる?

 

 

本日行ってきましたは、満徳寺…

 

縁切寺満徳寺資料館

資料館なんです…

 

なぜなのか…

 

まず、なぜここに来ようと思ったのか…

 

群馬に、徳川家が許した縁切り寺のひとつがあると聞いたから…

 

すごいじゃん

 

そもそも、群馬県は徳川家康の先祖がいた地域

 

最終的には日光東照宮に移りましたが…

 

ここ太田市には、世良田の東照宮があります

 

こちらは、前回立ち寄らせていただきましたね

前回ブログ

 

そして、ここ満徳寺はその徳川家発祥の地であり、先祖が建立したと言われている場所なのです

 

新田義貞が、太田市では誇りなわけですがw

 

新田氏の没落後は、満徳寺も廃れてしまっていたようですあせる

 

しかし、徳川の世が来て、満徳寺は鎌倉の東慶寺に並ぶ駆け込み寺として地位を確立したそうです

 

更に、大坂夏の陣(真田丸♪真田丸♪)の後に、秀頼の妻であり家康の孫娘千姫が入寺したことにより、縁切り寺としての地位は更に高まったそう

 

駆け込み…

 

江戸時代と昔…まぁ、今でも若干離縁(離婚)は軽いものでもないんですが

 

昔は、そんなもんじゃなかったのは想像するに語りますね

 

そんな時代の唯一の女性の希望の地だったわけですね

 

尼寺であることから、男性は立ち入り禁止

 

更に、御上の力で離婚ができる…

 

本当、希望の地だったでしょう

 

記録では北は福島、南は千葉県は鴨川から駆け込みがあったそうですよ…

 

ちなみに、基本は男性の問題や親の問題が多かったのですが…

 

女性側の問題(不倫・他の男性との結婚目的)も結構あったようで(書いてあって驚いた)

 

当時にしては、かなり調査してから話し合いに持って行ったそうですね…

 

結局いつの時代も、人は人だったんだなぁ…

 

ちなみに、そういった場合のペナルティもあって

 

駆け込みに二度目はなかったよう

 

他にも、もちろんお尋ね者なんかも寺には入れない

 

そんなこんなだったんですが、明治以降は徳川の威光もなくなったもんで

 

廃寺と化してしまったんですね…

 

なかなかすごい場所だったのに、相変わらず残念だなぁ群馬県

 

ちなみに、知らない人が多いんでしょうが(自分も知らないw)

 

東照大権現こと家康さんの位牌(本物は資料館にあります)

 

その他、何代もの将軍さんたちの位牌(本物は資料館)

 

意外とすごい

 

さて、お寺としての機能はなくなってしまっていますが…

 

縁切りと縁結びはいまだ健在

 

トイレです

 

トイレです…

 

黒が縁結び、白が縁切りです…

 

縁結び

 

縁切り

 

こうします

 

そんなわけで流して終了(動画どう貼り付けるんだ?)

 

駄文おつきあいありがとうございました

 

御朱印は、そんなわけでなかったです