「昨日の腹痛の患者、どう?」

 朝からナースステーションに行って、

昨日、入院した患者の状態を聞いた。



患者は五十七歳の男性、吉冨さん。

昨日、腹痛と発熱で外来に来た患者だ。

外来の検査で、肝臓の中に膿が溜まる病気、

肝膿瘍(かんのうよう)が見つかった。



血液検査でCRPや白血球が上昇していたので、

入院して抗生物質の点滴を開始した。

抗生物質で叩ければ(抗生物質で菌を押さえ込むこと)

病状は改善するが、

抗生物質が充分に効かなければ、

肝臓の膿瘍に細いチューブを入れて

ドレナージ(膿を外に出すこと)をしなければならない。



「まだ、熱は三十九度もあって、痛がってるよ」

担当のナースの久光さんが答えた。

「そうか、じゃあ、今日はドレナージをしないといけないかな」

「それはいいけど、先生。

昨日から付き添っているあの同居人とかいう男、何とかしてよ」



「何とかって?」

「結局、昨日は吉富さんが心配やからって泊り込んだのよ。

最初は家族控え室の長椅子で寝てたのに

夜中に見回りに行ったら、

吉冨さんのベッドで二人で一緒に寝てたのんよ」



「はぁ~、何、それ。

あの付き添いのおっちゃんとそういう関係やったんか」



吉冨さんは身長170センチくらいだが体重は90キロ。

腹はでっぷりしていて頭は薄くアゴも肉がついてブヨブヨ。

顔じゅう硬そうな無精ひげがボーボーだ。

そしてその同居人というおっちゃんは、

背の低いやせた体型、

髪の毛はスポーツ刈り、

出っ歯で前歯が一本抜けている。



二人とも、いかつい体格のマッチョな逞しさもないし、

ニューハーフのような妖艶さもない。

なよっとした中性的な耽美さも、もちろんない。



元々、男同士で同居しているというのは怪しいとは思っていたが、

男同士の付き合いとしてもボクの持っている

一般的なイメージとはかけ離れているので、

まさかそれはないだろうと思っていた。

甘かった。



男同士が付き合っていようが、

今の時代、まったく抵抗も違和感もない。

好きにやってくれ、という感じでボクは見ているが、

いくらなんでも見た目の汚いこのオッサン二人の愛だけは

想像できない、したくない。



でもそれだけ、ホモの世界は奥が深いということか。



「夜中の巡視のときに、

ここは患者さんのベッドですから

二人で寝ないでくださいって注意したら、

しぶしぶ起きて出て行ったけど、

朝の行くともうベッドの横の椅子に座っていたのよ。

先生、ここは付き添いは出来ないって言って、

あの同居人を追い出してよ」



「まいったなあ、朝一番の仕事がそれかよ」

吉冨さんのベッドに行くと確かに同居人が横の椅子に座っていた。



「吉冨さん、どうですか、痛みはまだありますか?」

「へい、右の脇腹が、まだズキズキ痛みます」

「そうですか」

椅子に座っていた同居人に

「すみませんが、ここは原則的に付き添いは

していただかないことになっているんですが。

今日は、朝からお仕事ですか?」



「ワイは仕事はしとらんよ。別に今日は用はないで」

「あ、そうですか。今日はまだ吉冨さんは発熱が続いているので、

昼から肝臓の中の膿を抜く処置をする予定にしています。

朝は病棟も忙しいので、今はいったんお帰りください」



「え、たっちゃん、そんなことせなあかんのですか。

先生、大丈夫ですか」

「いや、もちろん、ちゃんとしますよ。

ですから今日はとにかくお引取りください。

また夕方、処置が終わればその説明はしますから」



「ガンちゃん、帰ってええよ。オレ、一人で頑張るし」

(ワオ、気持ち悪いー。

いい歳をしたオッチャンが一人で頑張るとか言うか)



「たっちゃん、ほんまに大丈夫か。

ワイ、ここにおったってもええで」

「あ、イヤイヤ、それは困ります。

今は一旦帰って自宅で待機していて下さい」

「そうですか。ほな、たっちゃん。

ワイ、一旦帰るわ。また、夕方、来るさかい」

「すまんな、ガンちゃん」



二人の会話には、

男同士の友情だけではない確かな「愛」が感じられた。



「やっぱり、おかしいでしょ、あの二人」

「そうだよな。二人だけの世界があるな。

でも別にいいでしょ。他人に迷惑をかけているわけでもないし」

「あの雰囲気自体が周りに気分の悪さを与えているから、

充分迷惑行為でしょ。

今、流行のボーイズラブやったら、

きれいな世界だからまだ許せるけどねえ」



ボクはどっちにしてもゴメンだが、

ヒトの性癖だからどうでもいい。



昼の三時から、テレビ室(レントゲン透視を行う検査室)で

処置をおこなった。



エコーで肝臓の膿瘍(膿の溜まっている部分)を確認し、

そこに向かって皮膚からブツッ太い針を刺す。

針先が膿瘍にまで達したら、

その針の中に径が一ミリ程度のドレナージチューブを進めていって、

膿瘍内にチューブを留置(りゅうち)する。



そのあと針だけを抜くと

ドレナージチューブから膿がドロドロと出てくるという仕組みだ。



一時間あまりで処置が終わり病棟に戻っていくと

もうすでにガンちゃんが来ていた。



「先生、吉富さんはどうですか?」

「無事、終わりましたよ」

とドレナージチューブから膿がドンドン出てきているのを見せた。

「たっちゃん、よかったな」

「おお、ガンちゃん、おおきに」



吉冨さんはドレナージチューブが

皮膚から肝臓に入っているので自由に動けない。



そのチューブが完全に抜けるまで、

一週間程度はベッド上で安静にしてもらわなければならない。



ガンちゃんにはそれからも何度か、

面会時間は守ってくださいと注意したが一向に守らない。

朝も夜も、チョコチョコと面会に来る。

「あの二人、何をして生計を立てているのかな。

二人とも仕事は無職となっているし」

「さあね、ガンちゃんは朝から酒くさいし、

なんぼ言っても言うことを聞かないわ。

昨日も夜中に知らない間にガンちゃんがベッドに入っていて

二人でスヤスヤと寝ていたんやから」



「アチャー、アカンね。そりゃいくら言ってもダメだね。

でももうあと二、三日で

ドレナージチューブを抜いて退院できるから放っておいてよ」

「二人は一緒に寝ていても、

ほとんどしゃべらずにじっと静かにしているから、

周りの入院患者には迷惑はかからないけどね」



「ええ? そうなの? そのほうがよっぽど気持ち悪いなあ」



吉冨さんは十日間の入院で帰ることができた。

しかしその間、吉富さんはシャワーも浴びなかったので

毎日どんどん体が臭くなっていった。

看護師は二人が一緒にいることよりも

二人の体が臭いことのほうが耐えられなかったようだ。



「二人ともあんなに臭いのに、

よくまあ平気であんな狭いベッドで

寄り添っていられるなあ。オエオエ」



男同士のお付き合いは不潔な行為が多く、

HIV感染(エイズ)だけでなく、

普通はめったに感染しないような特殊な病気にかかることがある。

吉冨さんには

「手や体は常に清潔にしておいてくださいよ。

そうでないと、これからもエイズや

その他の命にかかわる怖い病気にかかてしまいますよ」

とアドバイスはしたが、

シャワーもまともに浴びないのなら、

もうこれはエイズ以前の問題である。