悪夢ー25 | タイトルのないミステリー

タイトルのないミステリー

おもにミステリー小説を書いています。
完成しました作品は電子書籍及び製本化している物があります。
出版化されました本は販売元との契約によりやむを得ずこちらでの公開不可能になる場合がありますのでご了承ください。
小説紹介HP→https://mio-r.amebaownd.com/

私が頭の中の光景を打ち消そうとしているうちに緑子はこの手にあった少女の写真を取り上げた。私はまるで宝物を取り上げられた子供のように緑子を見上げる。

「思い出した?」

「あ…否……」

「何も?」

「何も…だ」

今、頭に浮かんだ事を口にする事など到底出来ないと思った。しかし私の頭の中には色んな光景が折り重なるように浮かび上がる。まるで記憶の扉がいきなり開いたかのように。次から次へと溢れる得体の知れない物に取り込まれそうになる。色んな記憶が交錯してどれが自分の記憶でどれが夢だったのかさえ分からなくなる。夢も私の記憶の一部だったのか。それとも夢を自分の記憶と取り違えているのではないか。何が何だか分からない、頭が割れるように痛い。私は頭を抱えてそこに突っ伏した。緑子の呼ぶ声が遠くで聞こえているように木霊する。

 そうしていつの間にか私は立っていた。前を見ると目の前の椅子に白髪の老人が座っていた。

「昨日は遅かったようだな」

「済みません、図書館で調べ物をしていました」

そう答えている私はまだ中学生のようだ。

「そうか、おまえはこの家の跡取りなのだ。余計な事に気を取られるんじゃないぞ」

「はい、分かっています。おじい様」

(おじい様?この老人は私の祖父なのか?)

答えながら私は自分にそう尋ねる。私の意志とは関係なく私は老人と会話をしている。そうして私の頭の中には別の光景がくっきりと浮かんでいる。何度も夢に見た光景だ。これは何なのだ、これも夢の一部なのか、私は確かにこの中学生の姿で老人と相対しているというのに私の意志はどこか別にあるようだ。私は老人の部屋を出て自分の部屋に向かう。そしてこれがあの夢に出てきた屋敷である事に気が付く。私は躊躇いも無く二階へ上がり手前の扉を開ける。中を見てそこは確かに自分が育った部屋だと思った。暗くて重い空気が部屋の中を重圧するかのように占めている。部屋の中の鏡の前に立った私はそれがどう見ても中学生の私であると確信する。私は鏡に手を伸ばす。そうして昨日見た事を思い出す。学校の帰り、私は公園の中から女の子の手を引いて出てきた青年の後をつけた。こんな事は初めてである、私は基本的に他人には関心が無いのだから。だが彼の笑っている顔に反して見下ろしているその目があまりにも冷たくゾッとする感じだった事に興味を注がれたのだ。そうして私は目の前で彼が少女を怯えさせ恐怖に震え上がらせながらじわじわとその手にかけていく光景を見てしまったのだ。私はその光景から目が離せなかった。全身が震えるような感覚が走った。落ちていく夕陽に染まりながら反射するナイフも流れる赤い血もまるで一枚の絵のように私には美しく映った。この世にこれほど美しい景色があったのかと心が震えた。少女の恐怖が私の心の中に入り込んできてその感覚が私をますます興奮させた。今まで何も感じないように生きてきた私の中に芽生えたえも言われぬ恍惚感。人の生と死という光景を目の当たりにして私は初めて自分が生きているという事を感じたように思った。

 それから三日後の事であった、山林の中で行方不明だったという少女の遺体が発見されたというニュースが連日報道された。少女の名前は西村未来、目撃情報が無く操作は難航している様だった。私はあの男の顔をはっきりと覚えている。端正な顔立ちの高校生か大学生くらいの男性だった。しかし私は警察にその目撃情報を流す事は無かった。余計な事に関わって祖父の機嫌を損ねたくないという気持ちも大いに働いたが、何より生きているという感覚を呼び覚ましてくれたあの青年には感謝に近い気持ちさえ抱いていたのだ。

 景色が変わった。私はいつの間にか大人になっていた。目の前で女の子が遊んでいる。三、四歳くらいだろうか、あの写真の子だ。隣に緑子が居る。今より少し若い感じがする。

「お父さん、お母さん」

女の子がこっちを見て手を振る。その姿を可愛いと思う。

「ほら、あなたの娘よ」

緑子がそう言って私を見て笑う。私は女の子に目を移す。

(私の娘…)

「チョコちゃん」

緑子が娘に向かってそう呼ぶ。そうだ、確かにあの子はそう呼ばれていた。娘が嬉しそうにこちらに向かって走り寄ってくる。あの笑顔は私に向けられているのか、そう思うとその姿がとても愛おしく見える。誰にも渡したくないとそう感じた。こんな感情は初めてだ。私は走り寄ってくる娘に手を伸ばす。娘の手が私に触れる、その瞬間目が覚めた。私はベッドに身を横たえていた。

(ああ、またか…)

緑子にあの写真を見せられて以来、私は毎夜のように色んな夢を見る。そしてそれらが全て私の失くした記憶に繋がっている事は明白だ。私の頭の中で溢れ出している記憶に私は蓋をする。私はあの少女の夢が全てだと思っている。あれこそが私の本当の姿なのだ。私は誰よりも娘を愛していた。娘を亡くした事で私は心が壊れるほどに嘆き、終には記憶さえ無くしてしまったのだ。他の記憶などいらないのだ。そう思うようになった。それでも溢れ出ようとする幾多もの記憶が私を苛む。そして私は分からなくなる。私の真実は何なのだ。私の中に混在する相反する記憶が私と言う人間を二分化する。

 私は加藤将人なのか、それとも澤山真人なのか。加藤将人であってはならない、私はそんな人間ではない。私は善人なのだ、だがこの記憶は何なのだろう。毎日そんな事ばかりが逡巡している。掃除をしながら考え事をしていたらいつの間にか緑子が背後に来ていた。彼女は妙な笑みを浮かべて口を開いた。

「ねえ、本当はもう何もかも思い出しているのでしょう」





   <悪夢―26へ続く>