陰火-13 | タイトルのないミステリー

タイトルのないミステリー

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    三.

 

「こんにちは」

「あら、美月ちゃん、久しぶりね」

ここは美月の通う高校の近くのベーカリーショップである。昔からあって明星の生徒はよく利用している。味の評判も良い。三年前に改装したらしくお店の雰囲気もとてもお洒落である。

「叔母さん、毎日お弁当作ってくれるから中々買いに来れなくて」

「あら、それは良いじゃない。パンは売れて欲しいけれど毎日パン買いに来る子がいると心配しちゃうわ。お母さん、お弁当作ってくれないのかなって」

実はこのベーカリーショップの前は入学した時から毎日通っていたのだが足を踏み入れたのは三学期になってからである。佳保里に連れられて入ったのである。佳保里は倉田にここのパンは凄く美味しいって聞かされたらしい。倉田には母親がいない、父親も忙しいらしく息子の弁当まで手が回らない、なので倉田はこのベーカリーショップに在学中ほぼ毎日のように通っていたらしい。店主夫婦の人柄も気さくで親しみ易い。

 今日は珍しく叔母が体調を崩して朝から寝込んでいたので美月は弁当なしで登校した。自分で作る事も考えたが久しぶりにここのパンが食べたいと思った。今、美月を出迎えてくれたのは中澤朱美という女性である。朱美は昨年の夏からこのベーカリーショップにパートで入っているという事だ。朝七時から午後一時までの勤務らしい。その後、彼女が他で仕事をしているのか家庭を持っているのかは知らない。 そう言う立ち入った話をするほど親しいわけでもない。でもいつも明るく迎えてくれる彼女の笑顔に美月は何故かホッとする。どこか懐かしいようなそんな気になる。

「倉田君が卒業しちゃって来なくなっちゃったからちょっと寂しくなったわ」

「でも、その分、佳保里が来ているでしょう」

「そうそう、週末になると殆ど。倉田君がここのパンを食べたいって言ってくれているらしくて。二人、仲良くやっているのね」

「そうなんです、ちょっと羨ましいくらい」

「美月ちゃんにはまだそんな人現れないの?」

「私、好きな人さえいないんですもの」

「あら、女子高校生って大抵、恋の話とかで盛り上がったりするんじゃないの」

「みんなはそうなんですけどね」

美月は相変わらず男子生徒が近寄ってくる事が苦手だ。

「告白してくる男子生徒はいないの?」

「そんなの全然」

美月は顔の前で大きく手を振る。

「明星の男子は見る目がないのねえ。美月ちゃんは凄く可愛いのに」

「そんな事言ってくれるの朱美さんだけです」

「きっと、美月ちゃんにも今に素敵な彼氏が出来るわよ」

「そう、ですね」

美月は少し視線を逸らす様にして棚に並んでいるパンを見る。

「あ、今日のお勧めはどれですか?新作とかあります?」

「あ、そうそう、先週、店長が新しく作ったのがあるわよ。クルミ入りでミルクたっぷりのカスタードクリームを練り込んだシナモンロール」

「美味しそう、じゃ、それ貰います」

「良かった、結構評判良くて朝、作った分はもうあと二つしか残っていないの」

「ほんとですか?じゃ、二つとも貰います。叔母にも買って帰ります」

「あら、それなら帰りにまた寄れば?店長に頼んで昼から焼く分、取っておいてもらうわ」

「良いんですか?」

「勿論」

「ありがとうございます」

「美月ちゃんは叔母さん思いなのね」

「いつも良くして貰っているんです。前にも話しましたけど親のいない私を引き取ってくれて実の子のように大事にして貰っていますから」

美月がそう答えると朱美はじっと美月の顔を見る。

「叔母さん夫婦に子供はいないって言っていたわよね」

「ええ。あ、朱美さんにはお子さん、いらっしゃらないのですか」

「あら、私こう見えて独身なのよ。子供いるように見えるかしら?」

「あ、済みません。そうじゃないんですけどなんか、こんな事言ったら変ですけどお母さんみたいな感じがして」

「お母さん?」

「あ、ほんと、済みません。こんな大きなお子さんがいらっしゃるわけはないんですけど、なんか、お母さんって言うか、お姉さんなのかな。凄く親しみ易いって言うか、」

朱美は見た目二十代後半から三十前後と言ったところだろうか。だから美月の様な高校生にもなる子供など居る筈もないのだが彼女と喋っていると美月は何故だかそんな気がしてくる。

「あら、良いのよ。そんな風に言って貰えて嬉しいわ」

「朱美さんみたいなお母さんならきっと子供は幸せでしょうね」

「そう、ね。でも、私はお母さんにはなれないの…」

少し低い声で朱美はそう答えた。

「え?」

「あ、いらっしゃいませ」

美月が聞き返そうとしたら新しく入ってきた客に向かって朱美は声を掛けた。その時、ほんの一瞬であったが朱美の見せた寂しそうな表情を美月は見逃さなかった。そして何だか罪悪感が湧いた。踏み込んではいけない他人の心の中を覗いてしまったような、そんな気分になった。

(ああ、駄目だなあ。きっと余計な事言っちゃったんだ…)

パンを買って店を出た後、美月はそう思った。美月にも人に立ち入られたくない領域はあるのだから朱美にもそう言う部分があって当たり前だ。こんなまだ高校生の一介の客に過ぎない美月が立ち入るべきではないのだ。優しく話してくれるからと言って馴れ馴れしくなったりしては駄目だと美月は自分に言い聞かせる。

 

 

  <陰火-14へ続く>