奥の細道

小さい頃に見失ってしまった本当の自分を見つけるための心の旅。道すがら、私の中の子供心が発する言葉に耳を傾けてみる。

親子の戦い

2016年06月22日 15時25分42秒 | 心の真実
北海道で親に置き去りにされてから7日後に発見された大和君の件について考察してみたい。

私も子供時代に父親に連れられて観光に行ったとき、どこかで父が隠れてしまい怖い思いをしたことがある。

父はしばらくしてから愉快そうに微笑みながら現れた。

親になると子供の怖がる姿を見たくなるのだろうか。

私も子供らが反抗すると、力で押さえつけようというような気持になることがあり、言葉や表情で脅かすことはある。

しかし私自身、父がしばらくの間隠れていた子供時代のことを今でも覚えているのだから、かなりのショックと怒りを感じたのだろう。

さて、大和君の件に戻ろう。

大和君が人や車に石を投げるので、それに対するお仕置きとしてお父さんは大和君を山間の道に置き去りにしたが、大和君が泣きながら車を追いかけて来たので車に乗せてやった。

しかしながら、お父さんは再び大和君を車から降ろし、三叉路のところに置き去りにして車で500メートルほど走り去る。

そのとき大和君のお姉ちゃんが車の中から後ろの方を見ると、大和君は車が走り去ったのとは違う方向に足を踏み出していたという。

そこには大和君の怒りが感じられる。

1度目に車から降ろされたときは、置き去りにされるという恐怖心にとらわれていた彼が、2度目に降ろされたときは同じような反応をしなかったのは両親にとって予想外のことだった。

怯えさせて言うことを聞かせようとした両親のしつけ方は間違っていた。

そのことを大和君によって思い知らされたのだ。

7歳の大和君は、自分が両親に対してぶちぎれて山の方に向かって行ったということなどは自覚もしていないし説明することもないだろう。

涙で車が去って行った方向が見えなくなり違う方向に行ってしまったのだろうという大人たちの意見に同意するだろう。

でも時が経って自分の気持ちを分析することができるようになれば、なぜ急に山の方に向かって行ったのかを彼自身もきっと自覚するに違いない。

この事件は端的に言えば、親子の権力闘争において子供が勝利したということになる。

これから先、両親は大和君を叱ることに引け目を感じるようになるだろう。

しかし、腫れ物に触るように息子に対応するのは当然まちがいだし、やはり心からの対話が最重要である。



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叩きのめされた愛の行方

2016年05月26日 23時51分38秒 | 恋愛
最近やたらにベッキーと川谷絵音の関係について考えることが多くなった。

誰がいいとか悪いとかではなく、あまりにも悲しい2人の関係に心が痛むのだ。

ひどくバッシングを受けて、そのうちに愛が死んでしまった。
愛が試練に耐えられなかったということなのだろうか。。。

誰もに反対される愛。誰も応援してくれない愛。

何をしても裏目に出てしまう愛。

縁がないということなのだろうか。。。


ミュージシャンでもあり詩人でもある川谷君は、ベッキーに対する呼びかけのように思える「無垢」という歌を作った。

その歌詞の内容が私の心に強くしみるので、ここに引用することにする。

           
              「無垢」

旅に出る約束をした。
よく晴れた日のことでした。
忘れないで欲しいな。
でもたまには忘れてもいいよ。
わがままかな。

絶対に帰る約束をした。
手紙を書いた。
雨も風も強い日でした。
「上手くいかないことばかりだけど、何とかやってます。」
そう書いた。
返事は来なかった。

いつのまにか時間は過ぎて約束を守れなくなった。
もう忘れてしまっただろう。
もう忘れてしまっただろう。
そう思って自分に言い聞かせた。

泣けてくるんだ。
泣けてくるんだ。
泣けてくるんだ。

元気にやってますか?
僕は君のいない世界ではなんとかやってます。
君にとっては僕がいなくなったんだけど。。。
勝手な言い方してごめん。

無垢な季節が来たら迎えに行くよ。
(引用終)


「もう好きではありません。」とペッキーは言ったし、それを聞いた川谷君も「これから一生音楽を続けていきます。」とふっきれたように言った。

恋は病気のようなものだと言われる。
病気からはいつか回復しなければならない。
そのときが来たのか?。。。

でも、熱が下がったときに、もっと穏やかで別の感情が訪れるはずだ。
その感情こそが、さめることのない真の愛かもしれないし無関心かもしれない。

時の流れがすべてを明らかにするだろう。

川谷君の歌詞にある「無垢な季節」が来るかもしれないことをなぜか心の奥で願ってしまうロマンチストの私なのだ。





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イメージではなく本質を大事にしよう

2016年03月29日 01時33分26秒 | 心の真実
今年は新年から芸能界や政界でスキャンダルが多い。

その騒ぎ方には日本人の精神的伝統が色濃く出ている。

特にベッキーと川谷絵音の関係に対する反応が生半可ではないことに驚く。

彼らはそんなに悪いことをしたのだろうか?

川谷は既に妻との関係が冷えていて、あとは離婚を待つばかりの状態だったのだから、ベッキーが横取りしたというようなことはなかったのだ。

ただ、川谷が離婚手続きを急がなかったために、不倫として騒がれてしまったのだ。

もし書類上離婚が成立した後に関係が発覚していたら、ベッキーと川谷はゴールデンカップルとしてみんなに祝福されたのだろう。

こんなわずかな違いで、ひどく批判されるか、盛大に祝福されるか、という正反対の反応が来るのだと思うと全くおかしな感じがする。

日本人はいまだに形式や古い倫理観に捕らわれているのだろうか?

31才のベッキーが恋をしたことを喜んであげられる人間は少ないということがわかった。

ネット上でも、ラジオのお笑い芸人の番組でも、かなり下品な表現でベッキーをさげすんでいるのを聞いて、すごく嫌な感じがした。

2人の関係において、特にベッキーが猛烈な批判の対象になっており謹慎しているのだが、川谷の方は歌の人気がますます上昇しており、オリコン1位、コンサートのチケットは即完売、という対照的な構図になっている。

これは日本がまだまだ男性上位社会ということもあるし、川谷がミュージシャンだということもある。

彼の歌を聴くと、その内容は彼の心からの告白のようになっていることに気付く。

だからこそスキャンダルがあっても、それを基盤にして素晴らしい作品が生まれるという得なサイクルになる。

もちろんそれは川谷の音楽的才能と言葉による表現力が並大抵でないところから来ているのだが、一方のベッキーといえば、ミュージシャンでも詩人でも女優でもないから、こういう経験をクリエイティブに還元することができず、マイナスイメージというダメージしか受けられなかった。。。

でもそこには彼女自身の責任もある。

なぜなら、川谷が歌の中で自分の感情をかなり正直に表現しているのに対し、ベッキーはナマの女性としての自分を視聴者に見せず、まじめで清潔というイメージを演じ続けているからである。

今回の件をきっかけにして、真の自分自身を見せることができるようになれば視聴者から真の人気を得ることができるのだろうが、いまだに川谷との関係を友だちレベルのものであると言い続けているようだ。。。

自分の感情を偽っていたのでは、本当のファンはできないだろうし、年齢的にも、優等生的なイメージを喜んで受け入れてくれる視聴者はいないだろう。一皮むけて大人になる時期が来ているのではないだろうか。




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キングオブコメディーの件について

2016年01月23日 04時37分33秒 | 心の真実
キングオブコメディーの高橋君が女子高生の制服を窃盗していたという年末のニュースによるショックは、私の中で長引いている。

私はコントや漫才が好きだが、心から笑える芸人はそれほど多いとは言えない。


そんな中でも、コントで好きなのは、サンドウィッチマンとキングオブコメディーだった。


キンコメの高橋君と今野君の組み合わせは対照的で絶妙だし、他のコント芸人にはないものだった。

今回逮捕された高橋君に関して言えば、犯罪者、あるいは変質者として切り捨てた人も多いと思う。

しかし、才能を与えられた人が犯罪を犯した場合、私はその人たちの心理を知りたいという欲求を抑えることができない。

なぜなら、才能というのは神から与えられたものであり、しかもその才能によって私は心に喜びを感じさせてもらっていたのだから、なおさらのこと、さっと切り捨てて忘れ去ることなどできない。

犯罪が悪いということは誰でも知っているが、人々に喜びをもたらすことのできる魅力的な人が、反社会的な行動に出てしまったという事実は、私の心に強い衝撃と落胆と悲しみをもたらしている。

だから、自分なりに彼の心理分析をすることによって、少しでも彼を理解し、ショックをやわらげたいと思うのである。


高橋君は子供のときから、かなり複雑な人生を送ってきたようだ。

ご存じの人も多いかもしれないが、ネットで調べたことに基づいて簡単に書いてみる。

彼のお父さんは、運送会社を経営していたが、ギャンブルや女性関係などで、5000万くらいの借金を作ってしまった。

高橋君のお母さんが息子の将来のためにと貯金していた200万円を、お父さんは勝手に使ってしまった。

高橋君が小学校5年生のとき、お母さんが高橋君の部屋で自殺してしまった。

成人してからも、お父さんの借金の返済のために、稼いだ金を自由に使うことはできないでいいた。

コントの大会で優勝したときも、賞金はすべて父親の借金の返済に充てた。

現在では年老いた父親と2人暮らしだが、父親は足が不自由で、介護が必要な身である。


まだ父親の借金が残っているので、高橋君が返済の責任を負い続けていかなければならない。

父親の放蕩のために母が自殺し、そんな父の面倒を見ながら、父の借金を一生返済し続けていかなければならない高橋君の人生は、かなりしんどいものであることは疑いの余地がない。


犯罪が悪いということは誰にでもわかることだが、子供時代に、彼の心の中で何かが壊れて歪んでしまったことも理解できる。

その問題を彼自身が理解して、専門家に相談するということがあればよかったのだが、彼は犯罪の道に足を踏み出してしまった。

誰も彼を教育しなかったからだ。

母は彼が5年生のときに自殺し、父は放蕩していたわけだから、高橋君は、しつけらしいものを受けていなかったのだと言える。

そして、母を死に追いやってしまった父を恨みながら一緒に暮らしていたのだから、精神的な歪みはエスカレートしていったはずだ。

別居したいと思っても、父親は看護が必要な体であり、借金もかなり残っているとなると、別に暮らすわけにはいかない。。。

そんな地獄のような生活を長年続けていたのだ。


だから、警察に捕まってもかまわない、という自暴自棄な気持ちで長年、学校荒らしをしていたのかもしれない。


彼の犯した犯罪を分析するにあたり、主に2つの点に焦点を合わせる必要がある。


1.なぜ窃盗に惹かれたのか?

子供のときに母親が自殺した。

自殺の理由が何であれ、残された子供は、自分は母親に捨てられた、愛されなかった、と思うのが自然だ。

父親は自分の莫大な借金の返済を息子である高橋君に依存してきた。

つまり、高橋君は小さいころから、親の愛を受けておらず、逆に、父の借金のために金を払い続けてきたのだ。

だから、愛されるという経験がない。

愛を受け取れないのなら、自分から奪おうというのが人間の心理である。

窃盗をするのは、人の物を取ることによって、愛を奪い取ったように一時的にでも錯覚するためなのかもしれない。

また、高橋君は、芸人仲間で飲食会をしたときに、仲間が食べ残したものを、こっそり食べているところを見られている。

それは、金がないというような理由ではなく、やはり、親から愛をもらえなかったということから、人の物を取るという行為が、愛をもらえないから自分で取ってやる、という、いわば代償行為のようになっているためだと思える。


2.なぜ女子高生の制服に性的興奮を感じていたのか?

ある人たちの意見によれば、ロリコンは生まれつきのものだとか、性癖は治らない、など、いろいろな意見があるが、個々のケースによって、一概には決められない思う。

高橋君の場合は、生まれつきの性癖などではないと思う。

まず彼はラジオの番組にゲスト出演したとき、結婚について訊かれ、「(父親の莫大な借金の返済があるから)金もないし、結婚はしないと思う。」と言っている。

つまり、家庭を持ちたいという気持ちはなく、盗んだ制服で性的興奮を覚えながら生きていくという道を選んだのだ。

しかしナマの女性を愛したくないのは、金がないからというよりは別の理由がある。

10歳のときに母親が自殺したことによって、結婚したらきっと女性が自分を捨てるだろうという恐怖心が潜在意識にある。


大人の女性に対する信頼感はまるでないから、真剣に付き合うなど恐ろしくてできない。


しかも、両親の関係は愛のあるものではなく、父が母を裏切ることばかりで母を自殺に追い込んでしまったのだから、家庭というものを地獄だと感じていた。

結婚などとんでもないと思うのも当然のことだろう。


女子高の制服には、清純、従順、服従、なとというイメージがあり、大人の女性と違って、制服を着た女子高生は自分が教育できる、コントロールできる、自分からは逃げていかない、というような安心感がある。

そんなことで、制服に興奮や愛着を感じるようになったのだろう。

しかしながら、女性を愛することは危険であると確信し、女性に対する信頼感が皆無の彼は、女子高生を真剣に愛するということもできず、裏切られる危険のない制服を相手に自慰をすることによってしか性生活を送ることができなかった。

しかしながら、最近では、普通の男性の中にも、ナマの女性と付き合うのが面倒だという独身主義者もかなり増えているという。

高橋君は好感度の高いイケメン男性だったから、今回の事件にはかなりの意外性を感じている人も多いだろう。

彼は頭のいい人だから、カウンセリングなどで自分の心理的問題を解決し、更生の道を歩んでほしいと心から願う。

芸能界への復帰はかなりむずかしいと思うが、彼がどれほど更生するかによって将来も決まってくるだろう。

高橋君の相方の今野君は、俳優としての道を歩み始めているし、高い評価を得ており、順調に俳優として伸びていくと思う。

でも、今野君のエキセントリックなキャラは、コントの世界でこそ最高の価値を発揮するように思えるので、何とかしてお笑いの道も続けて欲しい。


キンコメは既に解散してしまったけど、その動画はネットでも見ることができるから、しばらくは過去のコントをいろいろ見てみようと思う。






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年の瀬に感じること。。。

2015年12月25日 05時12分35秒 | 心の真実
年末になると、うきうきした気持ちが起こってくる。

それは、新年には何かいいことがあるのではないかというおぼろげな期待が心の底にあるからなのだろう。

しかし、そんなうきうきした気分とともに、1年の速さが感じられる今日この頃だ。

最初の子供が生まれてから年月があっという間に過ぎ去るようになった。

毎日やるべきことや解決すべきことがどんどん現れるからだろう。

自分の人生が子供たちの人生になってしまったのだ。

彼らが一人前になるまでは、時間がどんどん過ぎていくのだろう。

ただ、私自身の人生も充実したものにせねばならないと思う。

限られた時間の中で、子供たちのため、自分のため、そのバランスを取ることが現在の課題だ。

自分の気持ちが充実していなかったら、子供たちにとっていい母親にはなれないだろう。


私には子供たちとの関係に問題がある。

子育てにおいて、私にとって自信があるのは、子供たちに勉強を教えることだけだ。


精神的な支えという点で、私は真の母親になりきれていない。

子供たちの子供っぽい虚栄心やわがままや遊び好きなところを、大きな目で見ることができず、つい苛立ってしまう。

他人に期待するのをやめれば幸せになれる、ということを知っていながら、自分の子供たちには期待してしまい、変えようとしてしまう。

彼らはみな、私とは全く違う気質を持った人間だと思う。

そのことを受け入れたうえで、私ができるだけのことをしてやればいいのだろう。

私自身の未熟さ、子供っぽさ、母性本能の弱さ、心の狭さ、忍耐力のなさ、などを自覚して、これから自己啓発、成長していかなければと思う。

しかしながら、同性の子供(=娘)との関係は複雑だ。

息子たちもむずかしいところはあるが、娘と比べたら、何とか話し合って折り合いをつけることができる。

これは異性という点が潤滑油の役割を果たしているのだろう。

最近、毒親という概念があることを知り、自分の母親が毒親だということがわかった。

そのせいで、私には同性に対する信頼があまりないのだ。

娘との関係が複雑なのは、そこから来ているのだと思う。

しかし、それがわかっていたとて、そう簡単に関係を改善できるわけではない。

毒親によって心の中に残された傷が、自分の子供たちとの関係に悪影響を及ぼしていることは確かなので、まずは、自分の心の問題を、毒親という観点から解決していこうと思う。

今回は漠然とした内容になってしまったが、次回の記事では、もっと深く掘り下げていくつもりだ。





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