北海道で親に置き去りにされてから7日後に発見された大和君の件について考察してみたい。
私も子供時代に父親に連れられて観光に行ったとき、どこかで父が隠れてしまい怖い思いをしたことがある。
父はしばらくしてから愉快そうに微笑みながら現れた。
親になると子供の怖がる姿を見たくなるのだろうか。
私も子供らが反抗すると、力で押さえつけようというような気持になることがあり、言葉や表情で脅かすことはある。
しかし私自身、父がしばらくの間隠れていた子供時代のことを今でも覚えているのだから、かなりのショックと怒りを感じたのだろう。
さて、大和君の件に戻ろう。
大和君が人や車に石を投げるので、それに対するお仕置きとしてお父さんは大和君を山間の道に置き去りにしたが、大和君が泣きながら車を追いかけて来たので車に乗せてやった。
しかしながら、お父さんは再び大和君を車から降ろし、三叉路のところに置き去りにして車で500メートルほど走り去る。
そのとき大和君のお姉ちゃんが車の中から後ろの方を見ると、大和君は車が走り去ったのとは違う方向に足を踏み出していたという。
そこには大和君の怒りが感じられる。
1度目に車から降ろされたときは、置き去りにされるという恐怖心にとらわれていた彼が、2度目に降ろされたときは同じような反応をしなかったのは両親にとって予想外のことだった。
怯えさせて言うことを聞かせようとした両親のしつけ方は間違っていた。
そのことを大和君によって思い知らされたのだ。
7歳の大和君は、自分が両親に対してぶちぎれて山の方に向かって行ったということなどは自覚もしていないし説明することもないだろう。
涙で車が去って行った方向が見えなくなり違う方向に行ってしまったのだろうという大人たちの意見に同意するだろう。
でも時が経って自分の気持ちを分析することができるようになれば、なぜ急に山の方に向かって行ったのかを彼自身もきっと自覚するに違いない。
この事件は端的に言えば、親子の権力闘争において子供が勝利したということになる。
これから先、両親は大和君を叱ることに引け目を感じるようになるだろう。
しかし、腫れ物に触るように息子に対応するのは当然まちがいだし、やはり心からの対話が最重要である。
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私も子供時代に父親に連れられて観光に行ったとき、どこかで父が隠れてしまい怖い思いをしたことがある。
父はしばらくしてから愉快そうに微笑みながら現れた。
親になると子供の怖がる姿を見たくなるのだろうか。
私も子供らが反抗すると、力で押さえつけようというような気持になることがあり、言葉や表情で脅かすことはある。
しかし私自身、父がしばらくの間隠れていた子供時代のことを今でも覚えているのだから、かなりのショックと怒りを感じたのだろう。
さて、大和君の件に戻ろう。
大和君が人や車に石を投げるので、それに対するお仕置きとしてお父さんは大和君を山間の道に置き去りにしたが、大和君が泣きながら車を追いかけて来たので車に乗せてやった。
しかしながら、お父さんは再び大和君を車から降ろし、三叉路のところに置き去りにして車で500メートルほど走り去る。
そのとき大和君のお姉ちゃんが車の中から後ろの方を見ると、大和君は車が走り去ったのとは違う方向に足を踏み出していたという。
そこには大和君の怒りが感じられる。
1度目に車から降ろされたときは、置き去りにされるという恐怖心にとらわれていた彼が、2度目に降ろされたときは同じような反応をしなかったのは両親にとって予想外のことだった。
怯えさせて言うことを聞かせようとした両親のしつけ方は間違っていた。
そのことを大和君によって思い知らされたのだ。
7歳の大和君は、自分が両親に対してぶちぎれて山の方に向かって行ったということなどは自覚もしていないし説明することもないだろう。
涙で車が去って行った方向が見えなくなり違う方向に行ってしまったのだろうという大人たちの意見に同意するだろう。
でも時が経って自分の気持ちを分析することができるようになれば、なぜ急に山の方に向かって行ったのかを彼自身もきっと自覚するに違いない。
この事件は端的に言えば、親子の権力闘争において子供が勝利したということになる。
これから先、両親は大和君を叱ることに引け目を感じるようになるだろう。
しかし、腫れ物に触るように息子に対応するのは当然まちがいだし、やはり心からの対話が最重要である。
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