看とりの時代 | モダンと暮らす、カカと生きる

モダンと暮らす、カカと生きる

脳出血で右半身マヒ&失語症になっちゃった〝カカ〝。
甘えん坊の個性派ビーグル〝モダン〟。

この大切なふたつの宝物を守るべく、介護&家事&稼ぎにいそしむ、お気楽のんびり屋な〝トト〟。そんな仲良し家族の日々をつづります。


ひゃー、怒濤の病院通い週間が
終わった~。
よーやった、トト!
自分で自分をほめてやりたい!

( *´艸`)( *´艸`)
有森裕子さんの名言ですが
そう言えば昔、カカ
似てるって言われてた( *´艸`)。
銀メダルとった翌日は
「感動をありがとう!」って
常連さんから何本も電話が入り
「忙しいとに、予約やないなら
    かけてこんで!」って
叱りとばしよったねー(笑)。
これは2005年。45歳のカカ。

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さて、と。ちょいと長文です。

要介護3  カカ
要介護2  父
要介護1  母

介護度が高いほど
大変だろうと思われるけど
実は、トトの精神的疲労は

要介護1  母        極高
要介護2  父        強高
要介護3  カカ    低、たまに普通

って感じかな。
介護度なんて、しょせん行政の
モノサシで測るもんだから
介護者との関係性や相性、
本人の状態や気質など
いろんな面で実態は
一人一人違うんだよね。

カカから毎日かかる
夕方の定期便(電話)。
タイミングで出られない時も
少なくないし
心底疲れてる時や
原稿に集中してる時なんかは
誰とも話す気になれなくて
つい出そびれることも
正直、ある。

でも、ほっこりすることは多い。
だいたい、その日のトトの動きを
報告して、あーだのこーだの
一方的に話すことが多くてね。
「へぇ~」
「ほんとねぇ」←ねぎらい
「かぁいい~」←モダンの話
なんて、相づちをうってくれる。
今日は、切りぎわに
「ではでは」だって!!!

「今、ではではって言ったと?」
「うん」
「いいねー!も一回言って!」
「ではでは」
「いいねー!かわいいねー!
    ありがとう!じゃまたね」
「またね」
という、やりとりだった。

というわけで、カカとは
我々ならではのスタンスで
うまくやっているが
新人アルツの母のサポートは
想像以上に、精神が疲労する。
いわゆる、まだらの状態で
境界線を行き来してるから
こちらのスタンスが定まらない。

高次脳機能障害と認知症は
まったく別物だけど
症状の出方としては
よく似たところがある。
カカに対しては両手を広げて
真正面から向き合う
覚悟と思いがあったけれど
母には、そうはなれない。
なんと言うか
他人様にはわかりづらいけど
以前から母は
千と千尋の神隠しの
「カオナシ」を思い出させる。
わき上がるような
胸苦しく、苦々しい思いを
かき立てるのだ。

いつの頃からだろう
母との価値観の違いや
考え方、生きるスタンスへの
違和感が加速していったのは。

掛け値なしの愛情と絆が
祖母との間にはあった。
身勝手さに振り回されても
無条件の信頼が、父にはある。
しかし、常に母に対しては
冷めた目で見ている自分がいる。
そして、決して
両手を広げることはない。
ある時期、そんな自分が
ひどく親不孝で冷たい人間に
思えて苦しんだ。
習い性で、しかたない…と
思いきかせて母に接する
自分の偽善を嫌悪した。
やがて、それもこれも
ひっくるめて開き直り
自分のスタンスを決め
母とつきあうようになったら
ずいぶん、楽になった。

その母が、変化の途上にある。
私の母とのスタンスも
変わらざるを得ない。
そういうことなのだろう。

祖母と母は
実の母娘でありながら
あまり相性は良くなかった。
母と父との幾度もの厳しい局面で
祖母は全力で母や私を守ったが
母からは祖母への
感謝を感じなかった。
母がある時、カカに対して
身勝手な態度をとった時
祖母は
「すまんやったね。アレ(母)は
    本当の意味で、地を這うような
    苦労をしとらんけん…」
と、カカに頭を下げたそうだ。

95歳で亡くなった祖母の
最晩年の2年ほどは
母が介護した。
(もっとこうしてやれば…)
と思うところは山ほどあったが
主介護者が母であること。
また祖母が、そんな母の
淡白な介護を泰然と受ける様子に
これは母と娘の最後の対峙だ
手を出してはいけない、と
静観することにした。

最期の瞬間、祖母は
母の顔をじっと見つめたまま
息をひきとったそうだ。
想像するにそれは、よく耳にする
感謝の念で…というより
闘い合った者が、最期に
相手を凝視するそれでは
なかったのだろうか。
母は、そうは取らず
「あたしの顔をずーっと見てね
    少しはありがたいと
    思っとったとやろうか」
と、まんざらでもない顔。
私は母のその言葉と表情に
残念な人…と感じた。

最後までかみあわなかった
祖母と母の関係性が
母と私の間で
再来しているようにも感じる。

そうかもしれない。
看とるとは、その人との
関係性を見極めるために
対峙する総決算の舞台かも。

それなら
逃げるわけにはいかないね(苦笑)。
きっちりと
母(の魂)との因縁を昇華しよう。

母と、父と、
やがては、モダンやカカとも。
それぞれと自分との
関係性を見極める。
看とりの時代が始まったようだ。

一緒にランチをとることが増えた。
この日は、想夫恋の焼そば。
無心に食べる姿は
それはそれで可愛いのだが(苦笑)
いらぬ一言で、損をする人だ。