『求めよ、さらば与えられん』
この言葉は『新約聖書』マタイ伝の7章にある言葉。
ルカ伝の11章にも同じ言葉が出てくる。
この2つの福音書は同じイエスの辿った道のりを描いているが、
内容的に違った描き方がなされている部分もあるが、
この部分はイエス・キリストが山上で信徒に向かって話した言葉。
いわゆる「山上の垂訓」と呼ばれるところ。
上記の言葉に続いて、『訊ねよ、さらば見出さん。門を叩け、さらば開かれん。』
と出てくる。
この意味は、一念を持って当たれば願いは叶えられるという意味でもある。
これを、四字熟語で表現すれば「一念通巌」。
書き下し文にすれば、一念岩をも通す。
別の表現を借りれば、「念ずれば花開く」といったところ。
それがわかってはいるが、ままならぬのが世の中。
白河法皇の言葉に「賀茂河の水、双六の賽、山法師、是ぞわが心にかなわぬもの」とある。
72代の白河天皇として、その後法王となり院政を敷き、
生涯、我が世の春とばかり、その権勢を謳歌した白河法皇だったが、
この3つのことは「天下三不如意」としていた。
意のごとくならないものも当然ながらある。
されど、人生というものは『求めよ、さらば与えられん』というところでもある。
いつも願って願って止まないのか、手を拝むようにこすり合わせているといえば、
この季節に出てくる「蠅」。
おそらく、その動作を見ながら詠んだであろう小林一茶の句
「やれ打つな 蠅が手をすり 足をする」とある。
人は蠅と見るや すぐにハエたたきを持ってきて叩き潰そうとする。
そこで一茶が、「これこれ、よく見てごらんなさいよ、
蠅が拝むように手をすり合わせたり、足さえも擦り合わせているんだから、
後生だから助けておやりよ?!」
と言っているようなそんなユーモア溢れる句。
言いつつも、蠅の「手すり」のわざほどにも及ばないのが凡庸なる人の「一念」。
求めても、なかなか叶わない...
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<了>