トマト人間?魂はどこへ向かうのか
ワンネス~農作業と人間形成はとても似ている~
結局ひとつの事しか言ってない。。。それがワンネス。
後志地方のミニトマトの収穫は今が最盛期です。
最近のミニトマトはとても糖度が高くて、旨味も強く、味が非常によろしい。
リコピンの抗酸化作用や美容効果も高いため、特に女性に人気の食材ですね。
さて、ミニトマトのお世話には、”脇芽とり”や”脇芽かき”と呼ばれる作業があります。
主となる幹と葉っぱの付け根に3本目の若芽が出てきます。
成長する程に色んな場所からどんどん生えてきます。
この脇芽をマメにとることで、木の成長はスクスクと上へ。そして、果実の付き方も大きく、味が良くなります。
※脇芽を放っておくと、第二の幹、第三の幹としてやがて花が咲き、実も付けますので、もしも主となる幹の成長が悪かったり、運悪く折れたりした場合には第二・第三の芽をバックアップとして育てることで、収穫を迎えることも出来ます。ちなみに早くから出てきた下の方の脇芽は成長力があるので、株分けするときに利用したりもします。
人間の成長過程にも重要な脇芽の存在
「脇目も振らず一心不乱に打ち込む」という言葉があります通り、一つの事に打ち込むことで、最大の結果を最短で得られるという意味ですね。とにかく前だけ向いて成果が現れるまでやり続けた者だけに果実は得られる、というのは共通です。
ただ、人間にはあらゆる才能が秘められているので、もしも最初に見つけた(気付いた)才能から路線変更するならばそれも良しなのです。その脇芽(別の才能)からも、やがては花開き、実を結ぶ。
どうせなら早いほうが良い!?そうですね。そうと決めたらそれに専念しましょう。脇見運転は危険です。あれもこれもと手を出さないように。
もちろん、あれもこれも出来る才能をお持ちなら、実を結ぶことから多くの学びがあるでしょう。
さらに哲学的に突っ込みますと、結局ワンネス・・・「人は何のために生まれてきたか?」この問題にぶち当たりますね。
主目的となるのは、魂が目指す到達地点であることに変わりないのですが、そうはいってもどう生きるかは自由なので、どの才能を伸ばして何になるのか、何を成し遂げようとするのか、人生の目的地はどこに定めても構いません。
ただ、人生の目的地に辿り着いたとしても、それは最高峰ではありません。魂が目指す最終到達地点からみれば、ひとつの通過点であり、その最終地点を目指すに当たって、何度も何度も回り道するならば、もの凄く時間がかかります。何度も目的地に到達し、富と名声を手に入れた人であっても、やはりそこが最高峰ではないことに気付くのです。まだ上があることに気付いたならば、そこで余命など色々考慮すると、不老不死が欲しい!と言い始めるわけです(^_^;)
とはいえ、トマト栽培の最終点と同じで、これ以上成長させない・できない『打ち止め』がやって来ます。
人であれば、死を身近に感じたり病に侵されたり、人生の邪魔が入ったりとお先真っ暗状態ですね。
もしも最短距離で魂の最終到達地点を目指すことができるならば、脇目も振らず一心不乱に進んでみたらどうでしょうか。到達したご褒美に不老不死が手に入るとしたらどうでしょうか。
”先に手に入る”わけですから、三次元のあれやこれやは、その後ゆっくり楽しめば良いわけです。
時間を気にせず。
仏陀が開いたといわれる悟りのその先に○○○はあります。いいところまで行けたとしても志半ばで亡くなってしまったら、ハイやり直し。
つまりそれが輪廻転生ということになるのですが、宇宙アナウンスにより今世以降、輪廻転生プログラムは終了しましたとので、やり直しは既に不可能ですから、今をお大事に。
詳しくは、サラスワティ推奨のこちらのメルマガ「雲風の冥界通信」をご参考にしてください。
ところで・・・あなたの魂の最終到達地点はどこでしょうか?
どうやったらそれに気付くことが出来るでしょうか?
今のあなたは何処に向かって何をしているのでしょうか?
その答えはアカデミーで探求してください。