墜落症候群

墜落症候群

墜ちていくというのは、とても怖くて暗いことのはずなのに、どこか愉しい。

Kindle化した自作小説たち

 やる予定がある人は見ない方が吉。

 

 なんというか吐き出し口がなかったためにここに書き殴りたくなっただけなのだが、死月妖花に俺の休日がグチャグチャにされようとしている。

 死月妖花っていうのは数十時間くらいかかるよ~っていう名目のフリーホラーノベルゲームで、村とか薬とかオカルトとか、漂ってくる匂いがちょっとひぐらしっぽいゲーム。荒っぽさはあるが、めちゃくちゃ細部まで作り込まれていたりして、積みゲーをしまくっている俺の最近のメインゲーとなっていた。

 そして、このノベルゲー、なんと全体の文章量中どのくらい読んだかをパーセンテージで表記してくれるのだ。

 もう俺は残りのパーセンテージがある程度まで減っていたので、この休日中に死月妖花を終わらせよう(そして次のゲームをしよう)と思っていた。なんだかんだ測ってはいなかったが数十時間くらいはプレイしているだろう。

 最終編と思しき編でも真相がすべて見えてくるタイプではなかったが、資料が充実している作品だったので、主人公たちが知る事実ではすべては明らかにならないが、あとは資料を探って各々真相を確かめてくださいね、という形かと思っていた。

 ところが。

 100%まで進めると、衝撃の事実が明かされると共に、この物語の真のボリュームが明らかになったのだった……!

 

 現在45%……?!

 

 多分だけどこれまで30時間くらいはやっている気がする。それでも今日びエロゲとかだったら十分なボリュームだろう。

 それがこれから2倍だと!? 俺は死月妖花を終わらせてゼノブレイド3のDLCを進めようと思ってたのに……! こんなはずじゃなかった……!!

 

 総プレイ時間60時間ってそれFate並じゃん。マジでエロゲ全盛期のクソ長超大作レベルではないですか。

 どうしてくれようか……。

 真相編がどのようなノリなのかはわかってはいないのだが、ボリュームで言うとこれまで以上のものであることだけは確かだ。

 もちろん、ここまでやってクリアしないというのはありえないのだが、流石に今回の休みに一息に終えられるレベルではない。

 また、ゲームをやるスケジュールを整理しないと……。

 恐らくゼノブレイド3のDLCの方を先に終わらせることになるだろうな。

 

 結構ゲームを次々やるタイプならばわかるだろうが、なんとなくゲームのボリュームを考えつつ、スケジュールを立てたりするものなのだ。

 死月妖花、思わぬ伏兵だった。絶対最後までやるが、どういう風にプレイしてやろうか、それが考えどころだ。

 いささか懐古厨的な話題になるかもしれないが、久しぶりにカゲプロについて考えた。

 きっかけとしては、俺は普段はほとんどシャワーを浴びるだけなのだけれど、少し前に温泉に一人旅をしてから、入浴剤を買ってゆっくりと湯船に浸かるというのをたまにやっていて、今回はその時にたまたま音楽をかけていたのだ。

 音楽をじっくり聞くという機会も最近はあまりなく、たまにはアルバムをまるごと聞くのもいいかと思い、カゲプロのアルバム3枚を聞いてみることにした。

 そして、以前からカゲプロの成功と失敗について書きたいと思っていたこともあり、簡単に記事にしようと思った。

 完全に昔とった杵柄という感じでしかないのだけれど、現在は廃墟となっているこのブログは、元々はカゲプロの考察についてもよく取り上げていて、その時はアクセスカウンターが100万回くらいに達するくらいにはよく閲覧されていた。

 そんなカゲプロ考察ブログを運営していた者として、あくまで簡単にではあるが、アルバムを聞きつつ振り返ったカゲプロの成功と失敗について語ってみたいと思う。



 まあじんさんのカゲプロのアルバムの1番目には同人盤があったのだけれど、現在配信サイトで聞くことができる1枚目という意味で、メカクシティデイズを聞きながら思ったこと。

 まずカゲプロの成功したのは、



・カゲロウデイズがやっぱりめちゃくちゃパンチが強い。



 ことが挙げられるだろうが、しかし、ムーブメントに至ったのは、



・作品ファンであることを示すメカクシ団=パーカーという記号が使いやすく、流行ったこと。



 これが一番だろう。俺もカゲプロのファン人気に乗る形で、考察ブログを中心に色々と若者と交流を図り、今考えると痛々しいけれど、青春ごっこを楽しんでいたように思う。



 そして、あくまでカゲプロというコンテンツは成功した。大成功としたと言っていいと思う。ボカロPから自分が歌うようになり有名になったのは米津さんを始めとして数多くいるけれども、ボカロ曲があるコンテンツに成長し、ノベライズ、コミカライズ、アニメ化とメディアミックスへと発展した例で最も成功したのはカゲプロだろう。マネタイズもかなりうまくいったと言える。アニメDVDも小説もかなり売れた部類だろう。

 にも関わらず、どうしてカゲプロに失敗という文字がちらついてしまうかと言えば、端的に言えばもっとうまくいくと思われていたからじゃないだろうか。

 作品の面白さとして考えると、まあしょうがないことではあるのだけれど、どうしても楽曲時点がピークで、小説も頑張っていたのだけれど楽曲を越える良さがあるとは言えず、アニメ化はシャフトが手抜きをしたのもあるけれど、単純に脚本が良くない。

 しかし、今でも俺はカゲプロには物語としての面白い要素はきちんと詰め込まれていたと思う。特にアニメ化の時にそれがうまくいかなかったのはどうしてだろう。



 俺はカゲプロファンの中でも、多分初期には多かった考察をして楽しんでいたファンだ。

 どのように楽しんでいたかと言うと、カゲプロの楽曲は一つ一つが物語を作っているのだけれど、それぞれが一つの世界観の中で繋がりを持っていた。それがどのように繋がるのか、どのような時系列なのか。あるいは歌詞はどんな意味があるのか、PVにはどんな意味があるのか。ある意味では深読みを楽しんでいたわけだ。

 そんな中、もしこうなったら面白いという妄想はかなりしていたわけで、そんな自分がカゲプロのメディアミックスの時に一番面白さとして損なわれたと思ったのが、



・ヘッドフォンアクターの時に魅力的な敵役として登場した白衣の科学者を、うまく物語に取り込めなかった



 ということだった。

 ヘッドフォンアクターにおいて、実験体がいる街を丸々一つ作っておきながら、それを簡単に爆弾で破壊してしまうような、あるいは電脳空間の中でAIの完成を目指し、成功例以外は完全に捨て去ってしまうような、そんな魅力的な敵役だった白衣の科学者の設定は、小説やアニメにはうまく生かされていない。

 特にアニメでは悪役の組織が色々とゴチャゴチャしていて、まったく整理されていない。

 物語というのは大体問題を解決することで進む。ダークな要素のある異能力バトルという見方もできるカゲプロにおいて、敵が強大な組織であり、それをなんとか突破していくというプロットにできなかったのは(あくまで俺から見てだが)致命的だった。

 最終的な敵がメドゥーサに集約され、物語が個人的な小さなものにまとまってしまい、例えばメドゥーサなど異能を研究する科学者の組織というような、対立する大きな悪役を打ち出すことができなかった。これが俺がカゲプロの面白さが減じてしまったと考える理由だ。

 また、考察勢としてはまだ設定が固まっていなかった時点で出されたメカクシコードなどの楽曲がどのように物語に当てはめられるか、それが楽しみだったのだが(初期の楽曲だからこそ、歌詞に色々解釈の余地があった)、そこはあまり活かさずにただ過去の出来事として流されてしまった気がして残念だった。



 そんな感じで、考察を上回るような面白い物語というアテは段々外れてしまい、どちらかというとキャラクターコンテンツとしての側面が強調されていくように感じたカゲプロだったが、2枚目のメカクシティレコーズにおける、ロスタイムメモリーはやはり白眉の出来だと感じる。この楽曲の良さは、



・ループモノとしての作品の構成を活かし、過去を受け入れ先に進もうとする主人公と、過去に縛られ進めない主人公を二重に描写していること。

・PVに第一曲目の人造エネミーの要素をうまく取り入れていること。



 にあると思う。



 そんな感じで今聞き返しても、楽曲のクオリティーの高さを確かに感じながらも、ヘッドフォンアクターの物語のよさを感じると、どうしてもっと活かせなかったのだろうと苦々しく思ってしまう部分もある。

 それでもカゲプロは俺にとって、かなり入れ込んだコンテンツであるということに変わりはない。だからこそ、色々思い入れて、ただ単純に楽しんでいたファンよりも余計なことを考えてしまうんだろう。

 そんな風に思った。

 にじさんじのましろくんのSCP配信から興味を持って、梨さんのかわいそ笑を読みました。

 なかなか面白いホラーでした。

 アマゾンのレビューを見ると結構賛否だけれど、いわゆるホラー小説として書かれた本ではなくて、ネット上のオカルト板やブログ、記事、インタビューなどをまとめた感じになっているので、ある程度ネット知識がある方が面白いかもしれません。

 とはいえ、そこまでネット黎明期を知らない俺のような人間でも面白く読めました。オカルト板のまとめを楽しく読んだことがある人なら十分面白いと思います。

 梨さんはSCPなどの記事を書いている人で、それを紹介しているましろくんの配信で知ったのですけれど、そういった方面に明るい人なら当然知っているというか、この本も当然読んでいることでしょう。

 

 というわけで考察ですが、俺自身の考察というよりは、いくつかの考察を読んで、それらをつまみ食いし、しっくりした筋書きを自分なりにまとめたものになります。かんたんにやります。

 

 大体の人が本を読めばわかることだと思いますが、この本は横次鈴という人を貶めるために、いくつかの怪異譚を彼女を主人公に書き換え、まとめたものになっています。

 この本を読んだ人も彼女を呪ったことになり、また呪い返しの影響を受けることになるという、読者参加型のホラーとなっています(また作中QRを読むことにより、追加の情報を読むことができます)。

 

 この本の考察が分かれるところとしては、横次鈴という人物が死んでいるかどうかということだと思います。

 俺は死んだと考えています。

 死体写真や殺害時の音声などが作中に登場しており、表紙にも「死んだ人のことはちゃんと可哀想にしなきゃ駄目でしょう」と書いてあるからです。

 これは横次鈴という人物のツイッターが今も存在し、自己紹介欄が更新されていることとは矛盾してしまうのですが、まあ確かにこのホラーは明確な答えが求められるものではないのでしょう。この本の執筆を依頼した女性に悪意がある以上、情報がどこまで正しいかわからないからです。

 ですが、流石に夢の中で死体写真や音声まで取れてしまうと、リアリティレベルがかなり損なわれてしまうため、現実に横次鈴の死体は存在した、という体で考えていこうと思います。そうすると一人の女性が横次鈴への憎しみから、どんどんおかしくなっていく様が一つの物語としてわかりやすくなるように思うのです。

 

 登場人物

 

  横次鈴に憎しみを抱き、どんどんおかしくなっていった。作中で横次鈴や洋子を名乗ることがある。横次鈴を殺害し、死後その存在を貶めたのは、好きだった男が鈴に惹かれたため。

 梨 作者。に依頼されて本にまとめた。

 横次鈴 今回の被害者。明るい女性であり、が好きだった男に好かれていた。

 洋子 大学でに心霊写真を見せられた女性。は洋子の名前を騙り、作者に依頼した。

 

 第一話

 

 この話を作者にしたのはである。

 は度々、自分と交流があった誰かの視点を騙り、物語を作ることがある。

 この話で横次鈴として語られているのは、横次鈴を騙っているであり、ベッドにあったのは横次鈴の死体である。

 は嫉妬から横次鈴を殺害し、成り代わってそこで生活していた。

 殺人から生まれた災いを、自分を選ばず鈴を選んだ男へと流すため、コピー機による儀式を行っていた。

 数年経過後、死後、怨霊と化した横次鈴に呪いを流すため、コピー機による儀式に使われる顔は横次鈴のものになっている。

 

 アンソロに小説を送ったのはである。

 

 第二話

 

 ここで雑誌のインタビューを受けている女性のみ、本物の洋子である。

 切り抜かれた心霊写真を見せた友人というのは、である。は大学を休学し、連絡が取れなくなる。

 

 「りん」を名乗ってオーバードーズし、死体写真を投稿したのは

 は横次鈴を自殺を装って浴室で殺しており、その写真を掲示板に投稿した。

 男性が幻視したのは、の姿だろう。

 横次鈴の死体の写真はこの時点で呪いを帯びている。

 

 第三話

 

 メールを作者に送ったのはだが、このあらいさらしの迷惑メール自体を体験したのは別の女性だろう。

 横次鈴を殺害したは、死体を廃墟同然の公衆トイレに運び、あらいさらしの儀式を行った。

 横次鈴は、その死後、がその存在を更に貶めようという企てによって、更に呪いを強め、亡霊として存在するようになっていた。

 はその呪いを、横次鈴を選んだ男に流すため、あらいさらしに使用する名前を男のものにしていた。

 この話の後半で余裕をなくしてあらいさらしを体験した女性に電話をかけてくる男が、横次鈴を選んだ男なのだろう。男は横次鈴が失踪し、あらいさらしや掲示板に自分の名前が使われ、かつ横次鈴の死体を見てしまったことにより半狂乱になっていたのだと思われる。

 

 第四話

 

 最初の恥ずかしい小説のみ横次鈴が書いたもの。

 5/5の時点では横次鈴を殺害し、成り代わっていると思われる。

 その後、はサイトを乗っ取り、横次鈴を主人公とした怪異譚を書くが、縦書きで右上から左下に文章が流れることにこだわりがあり(その方が呪いが伝わりやすいと考えているのかもしれない)、長続きはしなかった。

 

 は夢という体で、廃墟同然のトイレに横次鈴の死体を遺棄し、写真を取り、喉を切り裂いた時の音を録音した際の経験を語っている。

 

 ヤバすぎる実話怪談宛に電話したのは洋子を装った

 声音が違う、口調が違うなど、前回とは別人というのが匂わされている。

 ただ、起きたこと自体は現実をなぞっていると思われる。

 大学を休学後、行方知れずとなっていたは久しぶりに洋子と再会する。

 は横次鈴を怨霊としようとする試みから自業自得ながら呪い返しを受け、横次鈴と同じ格好をすることによって、呪いを死んだ横次鈴に流そうとしていた。

 傍らにいる化け物は怨霊となった横次鈴だと思われる。

 

 第五話

 

 怨霊になった横次鈴の呪いを広めるため、あるいは自分がその呪いから逃れるため、は横次鈴の喉を切り裂いた時の音を利用し、HPで更に大多数にその被害を広げた。

 音声を聞いた者は呪いに取り込まれてしまう。また、この本を読むこと自体が、横次鈴の呪いに取り込まれる構成になっている。

 

 女は既に横次鈴の呪いに取り込まれ、異形と成り果てている。

 

 

 

 かんたんとか言いながら、めっちゃ長くなってしまいました。

 以上のように、横次鈴を殺害したが、横次鈴に成り代わり、死後の横次鈴を可哀想な存在にするために怪異譚と呪いを撒き散らしていく話を主軸と捉えると、わかりやすくはなるのかな、と思います。

 しかし、当然矛盾点は出てきてしまうとは思うので、わかりやすい大味な考察という感じです。

 ただ、書いていて思ったのですが、もしかしたらは、横次鈴を殺すことまではしておらず、オカルトにハマって幽霊に殺される形で自殺してしまった彼女を、一つの都市伝説として成立させるために奔走したのかもしれないとも思いました。

 そう思った理由は、まずはムカついたから横次鈴をターゲットにしたと言っていますが、そのような軽い動機の割には、横次鈴を怪異化し、書籍によってその呪いを更に拡散させるという試みはあまりにも煩雑過ぎることです。横次鈴を貶めたかっただけのはずなのに、は呪い返しによって自ら異形に成り果てています。これはムカついたというだけにしてはやり過ぎではないでしょうか? あまりに動機に比べて自分のメリットがなさすぎる行為に思えます。また、四話の夢において、あくまでは自殺した横次鈴を発見し、その物語を引き継ぐというようなことを語っています。

 かわいそ笑は百合だ、みたいな記事のタイトルをネット検索で見た気がするのですが、例えば、横次鈴とが実は親しい仲で、は横次鈴に歪んだ愛情を抱いていて、しかし、横次鈴は男と付き合ってしまい、男との関係性に思い悩み、オカルトに傾倒したこともあり、自殺してしまった。

 は横次鈴が自殺するきっかけとなった男にあらいさらしやコピー機で呪いを流し、匿名掲示板で男の名前を連投、そして、実は横次鈴自身が試みていた色々な怪異譚の主人公を自分にすることで、自らを怪異化するという試みを引き継ぎ、自ら第二の横次鈴を名乗り、死後の横次鈴を決して消えることのない亡霊としてネットと本に刻み込んだ。そこには百合的な異質で重量級な執着があった。そんな風に考えることも可能なのかもしれません。

 その場合、今、現存するツイッターで「かわいそ笑」と言われ続けているのは、であり、幽霊になった方が幸せなような状況を必死に耐えている。そういう風に解釈もできるのかもしれません。

 百合説の場合、大筋の考察は変わりませんが、一話は本当に横次鈴の友人視点であり、横次鈴も実際に異質なオカルトに傾倒しており、右上から左上に流すという考えが横次鈴からに引き継がれたと考えることもできると思います。その場合、アンソロ依頼やHPに掲載した小説までは横次鈴がやったとも捉えられます。は横次鈴の試みを彼女から引き継いだのです。

 百合ではないにしても、はよっぽど横次鈴に執着していないとこれは成し遂げられないと思います。

 いずれにしてもこうして考察してみてやや見方が変わった物語でした。

 ある一人の人間を怨霊の化け物にしてでも世界に刻み付けたいという思い。それは執着なのか憎しみなのか愛なのか。

 そんな感じでかわいそ笑の考察でした。

 読んでいただいた方はありがとうございました。

 ブルアカについて少し書いてみたい。ブルアカで一番いいと思ったのは悪が共感しがたい悪として描かれているところだ。

 

  まず、学園モノのテンプレとしては、ドタバタで、生徒が萌えキャラで、主人公の先生がちょっとエッチだけど生徒に寄り添う善意の人で……と、言ってしまえば一昔前のモノと言っていい。

  ただ、中国の開発なので、シナリオにちゃんとソリッドな、厳しい側面を入れ込むことができている。ヨースターのソシャゲはいくつかやったことがあるのだが、シリアスな面が強調されたゲームの場合、あまりにも状況が厳し過ぎたり、専門用語の羅列が多く、日本のユーザーとしては気持ちが少し萎えてしまうという部分があった。

 ブルアカが優れているのは、ヨースター的なシナリオのソリッドさを、平穏な学園モノの対比として置いたことだ。悪役は生徒たちを利用し搾取し、『それこそが大人だ』と開き直る。それに生徒と寄り添う先生を対比として置くことで、先生が主人公として輝いている。

  ディエス・イレというバトル系ノベルゲームの傑作を書いた正田崇先生は、物語を考える時に敵から考えると言っていた。物語というのは基本的に問題を解決する筋書きであることが多い。バトルものとしては問題というのは敵キャラという形で現れる。どういう敵がいるかというのはとても重要で、ブルアカにおいてゲマトリアという敵性集団は、先生という主人公にとてもマッチしている。ブルアカの魅力としてゲマトリアをすぐに挙げる人は少ないかもしれないが、メインである学園モノとしての側面が輝くのは、ゲマトリアが陥らせる危機の状況が容赦がないからだとも言える。子供たちに寄り添う先生との対比に子供たちを利用するゲマトリアを置く。こういうストレートなコントラストのよさは今の日本の物語ではなかなか味わえない。

  日本の物語というのは、もう進み過ぎてしまっていて、王道の物語というのはあまりメインストリームでは見ないかもしれない。鬼滅の敵は過去に同情すべき事情が描かれるし、あるいは呪術やチェンソーは、主人公側もダーティな振る舞いをするという方向性となっている。

  その意味で、悪は悪を貫いており、共感性が少ないキャラとして描かれ、それに対比として萌え学園モノの不殺的な善意の先生主人公を置くというブルアカのアプローチは、もはや日本では生み出されないものかもしれない。しかもそれが、とても面白いのがよかった。

  エデン条約編は広く評価されているが、上に書いた日常と敵の対比が一番よく現れている編とも言っていい。

  一番の盛り上がりであるヒフミの主張と、タイトル回収はある意味とてもクサいシーンなのだけれど、今の令和の時代に、ここまで正々堂々とクサいシーンを正面切って描ききれるゲームが他にどこにあるんだろうか? もう日本ではできないことをブルーアーカイブはやっていると思った。日本の最前線で評価される作品とは別軸の、少し古い作品のよさが確実にあって、俺の中でブルアカの評価を確固たるものにしている。

  ヒフミのシーンもそうだが、ブルアカはノベルゲームで言うイベントスチル(一枚絵)がとても美しく、映画的な盛り上がりを強調している。

  ヒフミの主張から繋がるのは、先生がこの世界にその立場として来た意味というか、まさにその役職の意味を発揮する、これもある意味での伏線回収としての活躍だ。

  その後の仲間が集結してくるイベント戦も熱い。

  先生のカードの力が発揮されるのも、メタ的で恥ずかしさもあるんだけれど、ブルアカはもう真正面から来るので逆に清々しい。『ちょっと恥ずかしいけれど、お前らこういうのが好きだろ?』という全力ストレート。それがとても心地いい。

  中国の日本のオタク文化に影響された層においては、もう既に原神で世界を獲っている現状があるものの、ブルアカのような少しレトロなタイプの学園モノについても、もはや今の日本には出せない味を出している。

  もちろん、今の日本のチェンソーマンのような『物語に慣れてしまった人が一周回って好き』みたいなところまで追いついてくるには時間がかかるかもしれないが、逆に今の日本が失ってしまった王道展開を描けるのはもはや中韓だけなのかもしれない。

  チェンソーマンについてもジャンプ連載を毎週楽しみにするという自分にとって『いまさらこんなことが起こるとは』というエポックメイキングだったが、ブルアカについても中国のヨースターが王道学園モノを描き、日本には出せない味を演出してみせたという点で目から鱗が落ちた。

  ヨースターのシナリオの一つの到達点として、間違いなく今やる価値のあるゲームだ。

・あくありうむ。はホロメンがやっているプレイ動画でしか知らない
・ざっくりと感想は調べたので、ある程度終盤の展開は知っている

 という感じなので、自分自身は未プレイですが、あくありうむ。のネタバレが含まれていると感じる場合があります。

 オチが結構賛否らしいのですが、Vtuberがヒロインのギャルゲーで身分差のある恋愛を題材にしていて、終盤にメタ展開があるという構造は結構面白いのではないかと感じ、勝手に妄想しました。



 燃え盛る屋敷からギリギリで抜け出し、僕はあくあの手を引いて走っていた。
『テオ、あくあさんを連れて逃げなさい! こちらのことはこちらでなんとかします!』
 姉さんの声が頭の中でまだ反響している気がする。しかし、今は姉さんの言った通り、あくあの身の安全を第一に考えなければいけない。
 フランソワ家の家督争いは僕が子供の頃に決着しており、父は叔父を追放することになった。しかし、叔父は貴族の権力争いからは身を引いておらず、現在では反乱軍を率い、父と戦争をしていた。
 けれど、あくあと日々を過ごしている途中で、戦争は終わり、反乱軍は壊滅したとの報を知らされ、僕はすっかりと安心してしまっていた。
 姉さんが言っていた、執着心の強い人間の怖さというものを、僕は完全には想像できていなかったのだ。
 叔父は反乱軍の壊滅の折、父の隙を突いて、少数精鋭を率いて次代の跡取りの僕がいるフランソワ家を強襲したのだった。
 ちょうど、戦争が終わったという報が来た油断。また、フランソワ家には十分な護衛がいるとは言えず、こうして火を放たれてしまった。
 姉さんとマリンさんとは燃え盛る屋敷内で離れ離れになってしまった。
「テオ、これからどうしよう……」
 現状を整理するために働いていた頭が、あくあの声で現実に戻される。
 あくあは汗ばんだ僕と握った手を、もう一度強く握りしめた。
「一度どこかに逃げ延びて身を隠せればと思ったんだけど、方向が悪いね……この先には海しかない」
 叔父さんの集めた少数精鋭の部隊は焼き討ちで僕を殺すことができなかったことを素早く察知し、更に部隊を分けてこちらを追って来ていた。
 まだかろうじて見つかってはいないようだが、それも時間の問題だろう。逃げ続けなければ捕捉されてしまうが、この先は海だ。しかし、引き返す余裕もない。正直、僕もどうすればいいかわからなかった。
「あくあ、ごめん。結局、君を貴族の都合に巻き込んで……」
「ううん、いいよ。テオは悪くない。ええと、そうじゃなくて……子供の頃はあたし、テオが貴族じゃなければって思ってたの」
「別れる原因になったから?」
「そう。貴族じゃなくてもテオはテオだし、だったらテオが貴族じゃなかったらよかったって。結婚しちゃえばずっと一緒にいられるなんて、すごく単純で、今考えるとあたし、すっごく子供だったね」
 僕は胸が痛くなった。あくあは今、子供の頃から成長したことを言っているのだけれど、もしあくあが子供の頃に言っていたような、夢のような話が現実だったらと思ってしまったのだ。僕とあくあが、二人とも農民だったなら。いつまでも穏やかな生活があったのかもしれないと。
 しかし、あくあはそんな僕の淡い想いをきっぱりと断ち切る。
「でも、テオのメイドとしてお屋敷で過ごして思ったよ。貴族として生まれて育った日々が、あたしが好きなテオを作ったんだ。テオが貴族として生まれたから、あたしとテオは、出会ったのかもしれない」
 確かにそうかもしれない。でも――
「だけど、僕が貴族だから、あくあともちゃんと結ばれることができないんだ! 挙げ句、こんな馬鹿馬鹿しい争いに巻き込んで……僕は何をやっているんだろう」
「テオ、それでもあたしは、貴族のテオと出会えてよかったよ。あの日、歌を聞いてもらって、あの雨の日にテオと別れて、それからのあたしはずっとテオのことを考えてた。あたしの人生は、テオでいっぱいだった。それが幸せだったよ」
 不甲斐ない僕を全肯定するように、あくあが僕の両手を、その両手で包み込んでくれる。
 無条件の愛情。
 僕はそれを受けるに足る人間だったろうか。
 僕とあくあが秘密の恋人同士になってからのお屋敷の日々。僕はそれを楽しみながらも、心の奥底ではきっと罪悪感があった。僕ではあくあを本当の意味で幸せにすることはできないのではないか。
 身分差がある以上、当然公表すれば僕が想像する以上の非難を浴びるだろう。けれどそれ以上に僕は、あくあに当たり前の幸せを与えられないことが、辛かった。
 告白をした時の熱を帯びるような気持ちを忘れたわけじゃない。だけど、僕の心には最後まで身分差のことが引っかかっていたんだ。
 あくあはそんな僕との関係を受け入れてくれた。でも、彼女は過去の後悔から僕にあまりにも献身的であり過ぎる気がした。
「おい! こっちだ! 跡取り息子がいたぞ!」
 そんな時、僕たちの耳にそんな粗暴な声が聞こえてきた。
 あくあとの間に渦巻く感情から、つい歩を緩めてしまっていたか。
 僕とあくあは再び必死に走り出すが、しかし、差が詰められるのはもうどうしようもないことだった。
 僕は貴族して身体を鍛えているけれど、あくあはあまり運動が得意とは言えない。彼女を連れている時点で、荒くれ者とはいえ戦闘に卓越した男たちを振り切るのは不可能だった。
 屋敷からは逃げ出せたものの、徐々に包囲網を縮められていたことから生じてしまっていた悪い想像から逃れられなくなる。
 このまま、あくあもろとも殺されるか。剣すらないがこの身一つで最後の抵抗をするか。それとも――
 僕が唇を噛み締めると、またあくあが強く手を握ってきた。
「テオ、いいよ」
 僕の考えていることがどこまで伝わっているのか。あくあは微笑みを浮かべて頷く。
 その笑みにこれまでどれだけ心を救われてきただろう。
 僕は泣きそうだった。
 岩場の陰に潜み、息を整える。磯の香りが強く漂った。もう海はすぐそこだった。
 近くには、あくあと再会したあの日、マリンさんから借りていた小説のモチーフとなった断崖絶壁の崖がある。許されざる悲恋の逸話のある崖だった。あまりにもお誂え向きすぎて、皮肉にすら感じた。
 それでも僕は、あくあを男たちに殺されたくはなかった。
 これは僕の、最後のわがままだ。
「あくあは僕のことを受け入れて、認めてくれたけど――僕は僕自身のことをそこまで好きじゃないんだ」
「あたしの好きな人のことを、テオはそんな風に言うんだ」
 あくあは冗談のように頬を膨らませてみせる。
「さっきあくあは、貴族としての僕が好きと言ってくれたけれど、僕は逆に農民として生まれたら、あくあとずっと一緒にいられたのかな、って思ったよ」
「うん。それもよかったかもね」
「僕とあくあに身分の差がある以上、こんな状況になるまでもなく、普通に結ばれることはあり得なかった。僕はもちろんどうにかしたかったけど、でも実際はあくあに告白した日に、君が言った通りだ。大勢の人を悲しませることになる。姉さんも、父さんも、領民の皆も」
「そうだね」
「僕はあくあと過ごせて本当に幸せだったし、楽しかった。でも、本当の意味で君とずっと一緒にいられるのか、君を幸せにできるのか。心の奥底から自信はなかったんだよ」
「あんなに情熱的に告白してくれたのに?」
「ごめんね。格好つけちゃったかもしれない」
 僕とあくあは顔を近づけて見つめ合う。
 視線を逸したのは僕の方だった。
「あくあ。ごめん、」
「テオ、あたしたちがずっと一緒にいられる方法が、まだ一つだけあるよ」
 僕の言葉を遮るようにして、あくあがそう言った。
 それを聞いて、僕はあくあと気持ちを一緒にしているとわかった。
 そのまま顔が近付き、唇を交わした。
 抱きしめ合う。伝わってくる鼓動が、何より僕たちの気持ちが一つになっていると伝わっている気がした。
 男たちの粗暴な声が響いてくるが、どこかそれは遠い。もう僕たちには関係のないことだから――
「あくあ、行こう。僕はどうしても君をあんな奴らの好き勝手にされるのは耐えられない」
「うん、行こう。テオ」
 あくあの震える手を抑えるように、今度は僕が強く握った。
 照れたようなあくあと微笑み合い、そのまま歩いていく。
 数分とかからず、崖の先端まで僕たちは辿り着いた。
「あたしたち、きっとずっと一緒だよね」
「うん。僕たちはこの時だけは、きっと一緒になれるんだ」
 貴族や農民なんて関係なくて、身分差という区別もない。
 だってこの瞬間、お互いを愛し合い、気持ちを一つにしていることだけは、誰にも否定なんかできないのだから。
 僕とあくあは思い切ったように手を握り合ったまま飛び降りた。
 強烈な風を感じながらお互いを手繰り寄せ、一つの生き物になったように固く抱き締める。
「あくあ、愛してる!」
「あたしも――!」
 吹き荒ぶ風に負けないように叫んだ。次の瞬間、すべてが黒の水に叩きつけられ、飲み込まれていった。



 スマートフォンのけたたましい音をようやく止めて、僕は起き上がった。この夢を見る時は、いつも酷い頭痛がした。だから悪夢と言えるかもしれないが、幸せな夢とも言えるかもしれない。
 大切な人と死んでしまう夢だけど、大切な人と最後まで一緒の夢でもあるのだから。
「はぁーーーーっ。頭痛いな」
 ため息を盛大に吐きながら僕はベッドから起き上がる。夢の中のような中世ではなく、そこは現代で僕は一人暮らしをしている。

 多分、ネット上の誰に言っても、頭がおかしい異常者と言われてしまうに決まっているが、僕にはテオという少年の記憶があった。
 それが多重人格なのか、都合のいい妄想なのか、はたまた並行世界の自分みたいな荒唐無稽な話なのか、僕にはわからない。
 自分でも気持ち悪いと思うくらいなのだ。人に話すことは絶対にないだろう。
 僕は顔を大雑把に洗うと、パソコンの電源を入れ、真っ先にyoutubeを開いた。
 まだ朝なので当然配信はない。配信のアーカイブを開く。
 しばらく待機画面が流れるのをそのままにし、その間にコーヒーを淹れた。
「皆さん、こんあくあー」
 湊あくあの配信が始まり、僕は改めて自分の夢に赤面し、大きなため息を吐くのだった。

 テオという少年の記憶は、かなり鮮明で、前世の記憶なのではと思う時もあるのだけれど、そんなことはあり得ないというのはわかっている。
 それにテオが自分自身と思えるかというと、そんなことはない。
 でも、恥ずかしながら彼に少し共感するところもあって、テオは羨ましいことにあくあと一緒に過ごしていたけれど、結局、結ばれて家族として認められることは永遠になかったわけだ。
 それと並べるのはおこがましいのかもしれないけれど、今の僕と湊あくあにだって越えられない壁がある。ある意味では身分差以上の壁がある。
 湊あくあはPC画面の中にいて、僕はもちろん彼女と付き合うことなんてないに決まっているし、それどころか一生会うこともないだろう。
 好きかどうかで言われれば、きっと間違いなく好きなんだけれど、いわゆるガチ恋的な感情と、一般的な恋愛感情が同じかどうかはちょっと意見がわかれるだろう。
 でも、僕には夢だか妄想だかわからないテオの一部分が少しだけ残っていて、そのせいでクルーの中でもちょっとだけ重めの感情を抱いているかもしれない。
 僕なんかが湊あくあに近付こうなんて、間違っても思わないけれど、きっと彼女が配信を続ける以上、僕は一生彼女を応援し続けるだろう。
 彼女が配信をやめてしまっても、その幸せをずっと祈り続けるだろう。
 僕にはきっとテオの欠片が入っているから、そんな恥ずかしいことを本気で思っていた。
 テオとあくあには身分の差があった。
 僕と湊あくあには次元の差がある。
 どちらも覆しがたい差だ。
 テオとあくあは想い合っているけれども、僕の想いなんかはただの一方的な関係なのかもしれない。
 それでも、僕は湊あくあを大切に思っている。
 一生応援し続ける。一生大切にし続ける。
 僕は信じる。
 こういう想いがきっと見えないところで絆として繋がっていって、湊あくあと僕たちクルーだって絆がちゃんと繋がっていると思うし、テオとあくあが死んだとしてもその絆は消えたわけじゃないんだ。
 そして、その絆がどこかで実を結んで、僕の知らないところで、テオとあくあが幸せになってくれればいいなと思う。
 本当のハッピーエンドが訪れてくれればいいな、と僕は妄想する。

 その世界ではテオとあくあは自分たちが好き合っていることを周囲にバラしてしまう。きっともの凄い反対を受けることは間違いないだろう。
 でも、テオとあくあは一つずつ障害を乗り越えていくだろう。マリンさんに協力を取り付け、お姉さんを説得し、最後の難関の父親に挑んでいくことだろう。
 僕が知っているテオは頼りないところもある男だけれど、熱いパッションも持っている。そして、その隣にはあくあがいて、彼を支えてくれている。
 最後の最後にはご都合主義のハッピーエンドが訪れて、きっと皆が幸せになれる結末が待っている。

 二人がタキシードに花嫁衣装の結婚式を迎えるのが、僕には見える。

 僕は信じる。
 二人の絆を。
 そして、この世界にもきっと通じている、Vtuberの、視聴者の、それだけじゃない、もっと広い意味での僕たちの一人一人の想い、その誰かを大切に想う気持ちは、きっとなにかを救えるんだってことを。その一つ一つはか細いとしても、それがたくさん寄り集まれば絶対に不可能だって可能にできるってことを。

 奇跡が起こって、それはきっと叶うって、僕は信じてるんだ。


 

 もうこのブログはまったく更新していないし、また見る人もほとんどいないだろう。

 だから単に備忘録的に書くが、チェンソーマンのアニメが『やってくれた』。

 

 チェンソーマン原作信者の俺にとって、そもそもアニメは1話から、デンジやマキマの演技や、戦闘シーンなど納得がいっていない部分があったが、その後、youtubeの配信者の同時視聴なども見てみて、気分を切り替えた。もう監督が監督なので、原作通りにならないのは仕方ない。アニメとしてのクオリティは素晴らしく、漫画以上に表現がよいと思える部分もある。アニメはアニメとして楽しめばいいではないか、と。

 

 ところで、俺にはアニメ化に際し、楽しみにしているところがあった。それは序盤にラスボスと目されて出てくる銃の悪魔の出現シーンである。これは原作でも印象的なシーンで、やがて敵として現れることになる銃の悪魔が、いかに圧倒的なのかが斬新な表現で描写されていた。

 これがアニメではどのように表現されるのか、楽しみにしていたのだ。

 

 それがこのアニメ5話で描かれたのだが……。

 結論から言うと、カットされた。

 原作では非常に印象的な銃の悪魔の被害状況のナレーションの内容が、アニメにはまったく描かれず、また補完もされなかったのである。

 

 これには俺も驚愕し、一時的にとても気分が落ちた。

 この何もわかってないスタッフにアニメ化してほしくなかったとすら思った。

 アニメ化していないのなら、チェンソーマンのアニメ化を楽しみにすることができるが、しかしこのような形でアニメ化してしまえば、チェンソーマンのアニメ化違うんだよな……という気分でこれからずっと過ごさないといけないのだ。

 今では少し気分が落ち着いているが、動揺はしばらく収まらず、普段はしないアニメまとめサイトのコメント欄に数時間張り付くということをしてしまった。それくらい誰かと意見を交換したり、共感してほしかったのだと思う。今では少し落ち着いた。

 

 それでは実際、銃の悪魔の説明は原作とアニメではどこが違ったのだろう。

 アニメでは、アキの子供時代が描かれ、それが銃の悪魔によって破壊され、マキマが銃の悪魔が5分で120万の人間の命を奪ったと説明するが、はっきり言って説明不足である。

 原作では、アキの子供時代の破滅を背景に、以下のナレーションが流れる。

 

『日本に26秒上陸 5万7912人死亡
 アメリカ124秒上陸 54万8012人死亡
 カナダ7秒上陸 8481人死亡
 中国37秒上陸 31万6832人死亡
 ソ連210秒上陸 15万5302人死亡
 メキシコ2秒上陸 6088人死亡
 インド15秒上陸 2万9950人死亡』

 

 銃の悪魔は大陸間を高速で移動し、数秒から数十秒だけ世界各国に上陸、その短い間だけで数万から数十万の人間を殺戮した。そして、その高速移動をしたからこそ、銃の悪魔の破片がこぼれ落ちたというマキマの話に繋がってくる。

 アニメ版ではこのナレーションがカットされ、また、代わりになる補完情報がまったくの皆無であったため、『銃の悪魔が世界各国に現れたこと』『高速で移動し短期間で各国で殺戮を行ったこと』などを理解することがそもそも不可能になっている。

 銃の悪魔がアメリカのテロをきっかけに出現したという表現しかないため、まとめサイトのコメント欄では、アニメでチェンソーマン初見の人が、『銃の悪魔はアメリカに出現し、そこから固定砲台で世界各国を狙った』という勘違いをしていた。

 またアメリカ人で、『アキは当時アメリカに住んでいた』と勘違いした人もいたらしい。

 それは『世界各国に高速で移動して現れた』という情報が、そもそもアニメ版に存在しないため、理解が不可能だからである。読解力の問題ではない。

 つまり、過去シーンのアキはアメリカに住んでいて、またそのアメリカが破壊されただけで120万人が殺傷されたと勘違いしても仕方ないし、またアメリカから狙撃したと思われても仕方ないということである。

 アキは当然日本人で日本に住んでいた。アキの過去シーンは日本に銃の悪魔が現れた26秒を表現したものなのだ。

 このナレーションカットは今までのバトルシーンの物足りなさとは訳が違う。『序盤に登場するラスボス格とされる存在の情報が決定的に欠けている』という、初見の視聴者を悪い意味で勘違いさせるレベルのどうしようもないものである。

 つまりこのシーンは原作を読んだ人からは物足りないし、アニメから入った人には銃の悪魔がよくわからないという二重な意味でのダメなシーンになっているわけだ。

 俺はこのシーンだけは楽しみだったので非常に残念だし、漫画でもこれから楽しみなシーンがダメになるのではないかと不安でならない。

 漫画ならではの表現を、アニメならではの表現にするのは否定しないが、情報はちゃんと補完してほしい。丸々カットではなく、アニメとして表現してほしい。これは当たり前の感情だし、アニメ化として当然備えるべき部分だと思っている。

 本当にしっかりしてくれ……チェンソーマンアニメ……。

 個人的には原作の第二部もあまり面白く感じないため、本当に第一部も面白かったのかという疑念が芽生えてくるくらいだ。

 第二部部分の売上が伸びておらず、原作ファンの評判が悪いためアニメ化からの原作の伸びが期待できるかわからないが、気になる人はチェンソーマンは原作で一度読んでみてほしいと思っている。第一部(11巻まで)は間違いなく面白いと思う。きっとアニメ版にはない斬新な表現が楽しめると思う。

 

 久しぶりにゲームレビューを書きました。Amazon用に書いたものですが、こちらにも投稿してみます。

 ゼノブレイドシリーズは特に2がスイッチで1番に好きなくらいに好みでした。そこから考えるとゼノブレイド3は残念に思う部分はあったものの、それでも十分に面白い作品だったと思います。

 

序盤からメンバーが6人揃っていることの弊害 ※ネタバレあり

 クリアまでプレイしました。間違いなく楽しめることは楽しめました。
 ただ、一応ナンバリングタイトルということもあるので、1、2との違いについて書いてみようと思います。
 ちなみに自分はゼノブレイド2が1番好きです。スイッチでやったタイトルの中でもベストタイトルだと思っています。
 軽くゼノブレイドシリーズのネタバレを含むと思います。

 今回のレビューの肝になるのは、タイトルにもしたように最初からパーティメンバーが6人揃っていることです。
 これにはメリットとデメリットがあります。
 まずはシナリオ面のデメリットから書きます。
 ゼノブレイド1・2では、メンバーは段々と揃っていく形でした。ゼノブレイド1では故郷と幼馴染についての復讐を軸とし、ゼノブレイド2では運命的に出会ったヒロインと共に、墜落する巨神獣と呼ばれる浮かぶ大地から逃れ、皆が生きていける楽園を目指します。
 基本的に主人公に旅の目的があり、違う国に移る中で他のパーティメンバーと出会います。出会う相手とは種族の差異があったり、属する国が違ったりして、背景が大きく違います。このバックボーンの差異による衝突や相互理解というのが、キャラクターを立たせるのに役立っていたのだと思います。
 表面的なキャラクター性だけではなく、背負っている背景が1人1人違う中で、旅を共にしていく。これがゼノブレイドシリーズの冒険感・旅情感を際立たせていました。
 しかし、ゼノブレイド3は初めてからしばらくして、いざ旅をしようという時にはもう6人のパーティメンバーが全員揃ってしまいます。しかもそのメンバーは全員10才の状態で生まれ、10年の寿命しかなく、ケヴェスとアグヌスという2国に分かれ、寿命をエネルギーとして奪い合う戦争をしているというかなり複雑な状況です。ケヴェスから3人、アグヌスから3人、特別な機会を得て、戦争の運命から逃れた6人が旅に出る訳ですが、この状態でいきなり6人に感情移入していくのは難しい。出生や人生がかなり特殊な上に、これまでずっと戦争していた同士が共同生活を送るに至るまでの衝突も十分に描けているとは感じませんでした。
 プレイを進めると、段々とこのメンバー達が仲を深めていく良さは感じられるものの、これまでのシリーズのように1人1人が深堀りされるとは感じなかったし、世界観が狭いように感じてしまいました。
 その理由は何かというと、ゼノブレイド3の世界は実質1つのルールで縛られており、メンバー6人は全員背景が同じなのです。だからこそ、文化の違いによる衝突や相互理解による深堀りが十分にできなかったのではないかと感じました。メンバーが1人1人加入するのではなく、6人一気に揃うのもそれに拍車をかけています。
 異様な自然でない世界観がどのように成り立ったのか、その1つの大きな謎が物語を牽引していて、それはそれで面白くはあったものの、これまでのゼノブレイドのように色々な国を旅して、様々な背景のキャラクターと出会い、そして最後には世界の存亡をかけて戦うというような、物語のスケール感が感じにくかったのが大きかったです。
 敵側がわかりやすく悲劇を愉しんでいるようなキャラ付けなのもあり、どこかセカイ系やデスゲーム的というか、箱庭の中の話という感を強めている気もします。

 以上がシナリオ上のデメリットです。メリットとしてはこれまでのシリーズでバトルが1番スムーズだったかな、というのがあります。
 最初から最後まで基本的には6人のバトルというのは変わらず、少しずつ要素を足していく形で、チュートリアルも十分にあったので、これまでで一番戦闘はやりやすいと感じました。
 雑魚相手には開幕インタリンクで蹴散らせばよく、ボス格にはチェインアタックを使って経験値を稼ぐなど、終盤までほぼレベリングを意識することなく進めることができました。

 ここからはネタバレありの感想です。



 自分が一番シナリオ上で『よくやるなあ……』といい意味で思ったのは、ゼノブレイド1でもあった主人公と同じ顔をした高位の敵と対決する下りです。
 また、ミオというヒロインの寿命問題も、世界の秘密がわかり、ドラゴンボールみたいな感じで蘇らせるのかと漠然と予想していたのですが、あんなウルトラCを用意しているとは思いませんでした。
 思わずテンションがおかしくなり、笑ってしまいました。
 あんな寝取りだか寝取られだかわからない方法で突破するとは思ってもみませんでした。プロデューサーも傲慢な敵を挫くのに、最近の流行を取り入れたのでしょうか?

 ラストについては、冒頭やシナリオ中である程度そうなるということが示されていたというか、ファンタジー系の物語ではよくある系のオチに感じました。冒険の最中に得たものは目に見える形で何も残らないけれど、心に残ったものを支えにそれからの人生を生きていくという感じです。
 ただ、結局どういう理屈でそうなったのか、そういう説明が薄い気がしたので、そこら辺は追加ストーリーを楽しみにしたいと思います。

 総合して、十分楽しめるタイトルではあったものの、終盤は戦闘の量が重めで少し手が止まりがちになったり、主人公やラスボスのキャラが少し薄めだったりして、感情移入が十分ではなかったかな、と思いました。
 敵側が生死の悲劇を愉悦するというテンプレ、主人公側がとにかく性善説で前に進もうとするというテンプレに思え、お互いに様々な事情が絡み合い、ぶつかり合うしかないというような必然性や盛り上がりを感じにくかったです。

 それでも1つのゲームタイトルとして楽しめたことには違いないのですが、ゼノブレイド2に続くタイトルとしては、シナリオの冒険感や規模感が進化したとは言い難いかな、と思いました。ゼノブレイド1と比較すると、シナリオの完成度、憎しみの連鎖、神の支配から抜け出すというような強いメッセージ性を感じられない。ゼノブレイド2と比較すると、様々な背景を持つ仲間やラスボスたちのキャラ立ちや、王道の冒険ストーリーの魅力に及ばない。
 少しコンパクト目なシナリオの佳作という感じです。



※とてもネタバレを含む追記

 クリアしてからしばらく経ち、やはりラスボス戦がちゃんと盛り上がりきらなかったことが満足度が落ちる原因となっているかもしれないと思いました。
 自分的には一番盛り上がったのは上にも書いた通り、ミオの寿命の問題が解決されたり、その後の世界の謎が解き明かされる辺りでした。
 ラスボスの魅力が薄いのは、造形がテンプレ的な悲劇嗜好のキャラクターになってしまっていること。前に進むことを恐れる集合的無意識と、前に進むことを望む主人公達という単純な二元論になってしまっていること。
 しかし、本質的にはこの世界観は、2つの世界の衝突により、消滅の可能性がある世界の時間を、敵であるメビウスが止めているというものでした。
 2つの世界のその先に再生が待っているとしても、それは確定されたものではなく、この時間を動かせば世界はなくなってしまうかもしれない。
 そう考えると、主人公の側に絶対の正義はないということがわかります。
 明日になれば世界は消滅するかもしれないし、再生するかもしれない。その二択であった時に、それならば永遠に今日に留まればいいのではないかと考え、それが実行できた時、今日に留まり続けることはかなり人間的な感覚だからです。
 その対立軸をはっきりさせ、ラスボス側に『お前たちは決して勇者ではなく、魔王となる可能性も孕んでいる。選ばれた存在が、その他大勢に消滅の可能性を強いている』と言わせたらよかったと思います。主人公達は決して正しい選択をしているとは言えないのかもしれない、それでも進みたいという意志こそが、意味があるものだと思うからです。
 そういったそれぞれのバックボーンがあるけれども、それでも主人公達側にはやりたいことがあり、それを押し通すといった決断や選択がちゃんと見えるとよかった。
 進もうとする側と留まろうとする側という善悪二元論的なものではなく、もっと決意がはっきりとプレイヤーに見えやすい形にできたら面白かったのではと思います。
 例えば、プレイヤー側がゲーム冒頭に示された通りに、ラスボスを倒したら何も知らないままの子供時代に戻されてしまうことを明示されても、同じ思いでラスボスを倒せたでしょうか?
 そう考えると、そういった色々な未来の可能性を考えても、それでも進むということを示すために、『ラスボスを倒したらどうなるのか』『それでも未来に進むのか』というのを十分に描写すべきだったと思います。

 ちょっと書き殴りたかっただけなので特に作品の詳細とかは書かない。

 やり終えてからずっと不完全燃焼感があって、なんでなんだろうとずっと思って、作品のOPをYoutubeでくり返し聞いてたりしたんだけど。

 結局、俺は物語にある人物の人生が始まってから終わるまでを描いてほしくって、ちゃんとその人物の人生の意味をきちっと描き切って欲しいのだ。

 中途半端な描き方をするくらいなら、いっそ主人公を殺して欲しい。それくらいちゃんと物語をちゃんと終わらせて欲しいって気持ちがあって、ふゆからくるるはなんというか輪廻的な要素もある作品だから、世代を越えて関係が繋がっていくという展開自体は仕方がないというか、そこがメッセージ性なんだろうけれど、主人公の空丘夕陽についてはもっとちゃんとなんとかしてほしかった気持ちがある。

 次世代に繋がっていくとしても、主人公が親友を失った事実については変わらないし、それをどう乗り越えていくかも充分に描かれていない気がする。だからこう、これまでの四季シリーズみたいに、主人公の人生と世界の謎がばーん! ってダイレクトに繋がっていっている気がしなくって、そこがとても寂しいのだ。

 群像劇として描かれていて、見どころは色々あると思うんだけれど、やっぱり自分としては主人公のその後をもうちょっと見たかったかな、という気持ちが強い。

 缶詰少女も、あまり評価がよくないレビューとかも見てきたけれど、個人的には大好きで、それはやっぱり最後に主人公の持っている衝動がどこに繋がっていくかがちゃんと示されたのが好きだったのもあったと思う。そこから四季シリーズや渡辺遼一の同人作品や、はてはウェブノベルにまで手を出していったのだし。

 

 ふゆから、くるる。に自分が完全に面白いという感想を抱けないのは、主人公の描かれ方が充分ではないのではないか、という上に書いたこと以外に、やはり、人生観として次に繋いでいく、子孫に繋いでいくという価値観に自分自身が共感できないからかもしれない。

 そう。結構人生観的なことも考えてしまう作品ではあるんだけれども、その根底にある将来に繋ぐために子孫を作っていく、みたいなテーマに俺はやはり感情移入できない。まあこう書くと情けない気持ちもあるけれど、そういう生物として当然! みたいな価値観を手放して、自分一人の人生の中で最大限物語を楽しむことに全力で生きようと決めたのだ。

 最後にプレイヤーとの交信シーンみたいなのもあるけれど、やっぱり基本的にはその子の幸せを信じて、未来に送り出すというかそういうイメージがあると思う。

 日本において、どれだけの人が自分の子供の幸福を願い、送り出すような気持ちで子供を育てようと思うんだろうか?

 そこまで考えずに子供を産んでしまったり、未来は暗いから無責任に子供を産むのはどうなんだろう? みたいな考え方があるような気がする。

 きっと自分たちは幸せになることを望まれて生まれてきて、だから自分たちも誰かが幸せになることを祈る、そんなことを子供が考えられるだろうか?

 

 いや、もちろん前提として、これはSF作品であって、現実とは異なる世界観を軸とした創作なのはわかっているのだけれど……。

 それでも人生観について考えさせられる作品にしては、現代の価値観とはちょっと違うところに基準を置いているような気がした。

 

 だけど、ここまで書いて思ったけれど、その基準のズレみたいなのはもちろん悪いことではなくて、人と違うからこそきっと物語る意味があるんだろうし、ここまで考えてしまったり、言いたいことが出てくるのって、ふゆから、くるる。みたいな作品じゃないとなかなか起きないと思う。

 だから単純に面白い! だけで終わらない作品をこれからも渡辺ファッキン遼一先生には作ってほしいね。

 願わくば次は自分の嗜好にも合っているといいんだけど……。

 主人公と犯人が対峙するところとか、好き同士ではない関係の中の行為とか、場面場面で印象に残るシーンは沢山あったので、次回作を楽しみに待ち続けたいと思う。

 

 万人が満足するものじゃないかもしれないけれど、作品として充分な完成形じゃないかもしれないけど、それでも渡辺先生にしか描けない味みたいなものがあって、だから俺はこの人の作品をプレイし続けたいんだと思う。

 

 ちなみにこれは余談だけど、冒頭から6シーン分エロシーンがバンバンバン! って続くのはちょっとかったるかったというのはありましたね……そこからの事件編も尺が長いというわけではないので、もう少しこういう謎がある作品特有の「こっからどうなっちゃうの!?」みたいな気持ちを引っ張りたかった気はする。そういう意味では缶詰少女とかはるまでくるる、なつくもゆるる辺りの方が物語の牽引力は感じたかも。

 この作品はエロシーンの尺が長いことも含めて、本質はかなり穏やかな祈りに似た作品じゃないかな、と思う。

 それだけに主人公の憤りが異質で光っている部分になってるし、OPも恐らくそこら辺を絡めた表現なんじゃないかな。

 OPは格好いいので色々な人に見てみてほしい(まあここから見に行く人もいないでしょうけど)。

 新美研(新美術研究部)は一応部活と名が付いているものの、私と先輩の二人しか所属していない。実際には部活として正式に認可されていない。同好会の扱いだ。というかこの設定、漫画とかでよく見るけれど、現実にやるとただ単なるゲリラ活動だ。放課後の特別教室を不法占拠しているに過ぎないし。
 ちなみに新美研は美術室の第二準備室を無断使用している。美術室は美術部が使っているし、第一準備室は美術関連の備品が置いてある。第二準備室はまったく普段使われておらず、埃が溜まって蜘蛛の巣が張っている。職員室から先輩が鍵をパクったため、第二準備室は先輩しか開けることができない。
 二人きりの秘密の部活というわけで、入った当初は私もドキドキしたりしていたものの、しかしこの部活には余計な闖入者がいるのだった。
 ホームルームが終わり、少しばかり自分の席で読書をして時間を潰した後、今日も私は第二準備室に向かう。入る時はいつも少し気を遣うが、第二準備室は美術室と隣接する第一準備室とは違い、かなり外れにあるので(本当に美術室の準備室として作られたのか疑うくらいだ)、ほとんど人通りはないのだった。
 私が扉を開けると、先輩が一人で机の前に佇んでいた。
 いや、正確には先輩一人じゃない。机の上にはめどみちゃんが並べられていたのだから。
「こんにちは、部長」
「ああ、君か。すまないねえ。今日のめどみちゃんはもう使ってしまったんだよ」
「いえ。めどみちゃんを使うのなんて部長くらいですから」
 私はついつい不機嫌そうな声を出してしまう。しまったと思う私と、不機嫌になる理由を先輩にわかってほしいと思う私が半分半分くらい。
 ただいまの新美研の活動内容って、要するに部長である先輩がめどみちゃんを毎日毎日使うだけなのだ。それを私が眺める。以上。
 そうなのだ。私が新美研に所属して活動する内容なんてないのだ。ゼロ。
 ぶっちゃけ、私は先輩目当てで部活に入りました。だからさ、本当に二人きりで誰も知らない部室で時間を過ごすってことにかなり期待を抱いていた。だけど、先輩はめどみちゃんにしか興味ない。正直、嫉妬してる。しかもかなり高いレベルの嫉妬だ。
 私は改めてめどみちゃんを見る。めどみちゃんは開かれていた。そうそう。私が部活に来るまでに時間を潰すのは、ある程度人払いをするためというのもあるし、先輩のめどみちゃんに対する作業時間を確保するためでもある。
 当たり前の前提としてめどみちゃんは全裸で、そう素っ裸で、開きだ。
 開きってわかる? アジの開きとかあるじゃん。アレ。
 人間の開きって表現として正しいのかわからないけれど、スパッて感じで肋骨の間からお腹にまで包丁が通っている感じ。
 胸の肉も削ぎ落とされていて、肋骨が丸見えになっている。ついでに包丁が肋骨の間に入っているから、ぐばあって感じで肋骨がダイナミックに展開しているのだ。
 おっぱいが切り落とされているのに、肋骨がむき出しだからエッチってなかなかの趣味の持ち主だと思わない? 先輩はやっぱりどうして人にはないセンスを持っていると思う。
 がしかし、足がM字開脚してるのはどうなんだろう? やっぱり、先輩も男子高校生なのねって感じがしてちょっと悲しい。だけど、今回は通俗的な方向性に振っているだけかもしれないけれど。
 ちなみにめどみちゃんの顔に目を移すと、唇から何本も指がはみ出している。どうやら右手と左足の指を切り落として口の中からうまい感じに覗くようにさせているようだ。
 目玉はくり抜かれ、ツインテールに結んだ髪ゴムにくくりつけられている。
 私は一通りめどみちゃんの観察をし終えた。そんな私を先輩はじっと見張っていたみたいだ。
「今回はどうだ?」
 その声は少し焦っているようにも聞こえた。
「全然ダメですね。なんか先輩らしさを見失っている感じがしますよ?」
 私は少し意地悪なことを言ってみる。ただ、これは私が感じていることから外れているわけではない。
 以前の先輩はめどみちゃんをうまく使えていた。
 めどみちゃんの死を、生きている人間よりも美しい人形のように成立させていた。
 だけれど、最近の先輩は残念ながら迷走している。
 この理由に私は心当たりがあった。
「何が悪いんだと思う?」
「めどみちゃんをどう使うか、どう並べるか、それ以前にめどみちゃんを使うことそのものに根本的な問題があると私は思いますけれどね」
「それではめどみちゃんを使うなというのか? それでは……僕は一体どうしたら……」
「好きにしたらいいじゃないですか。私がなんて言おうと先輩はめどみちゃんを使うんでしょうか。めどみちゃんを使いたいんでしょうから」
「そうだな……。ふむ、もうちょっと自分で考えてみるよ。いつも付き合ってくれてありがとう。響野」
 思い出したように私の名前を呼ぶ先輩に、私は「はーい」と生返事して、今日は帰ることにした。

 先輩は根本的に間違っている。
 確かにめどみちゃんは練習用の人間だから何度でも使うことができる。
 普段は物言わぬ人間であるめどみちゃんを、何回でも解体し、何回でも並べることができる。
 しかし、だからこそ、めどみちゃんは永遠に完成しないのだ。
 どんなに飾り付けに満足したとしても、めどみちゃんは一晩明ければ元に戻ってしまうのだ。
 めどみちゃんは一日一度使える。一日に一度死ぬ。一日の終わりに蘇る。
 だけれど、先輩が目指す死体の芸術というのは、その死が一回限りだからこそ映えるものなのだ。死が何度でも訪れるものならば、その一回性は損なわれてしまう。
 だからこそ、先輩の初期のめどみちゃんアートは素晴らしかった。そして、くり返す度にその精彩さを欠いていった。もう先輩はめどみちゃんを完成させることはできないだろう。

 私は先輩の死体芸術を完成させる方法を一つだけ知っている。
 それは私しか教えられない方法で、私だけが先輩の芸術を完成させてあげることができる。
 私のめどみちゃんに対する強い嫉妬心も満足させることができる。
 私は先輩と二人きりの部活に入った理由を達成させることができる。
 すべてを解決できるウルトラCを私は知っているんだ。

 私は近々告白するだろう。
 めどみちゃんの代わりに私を使ってほしいと。
 めどみちゃんと違い、一度きりの生命だからこそ、一回きりの死体だからこそ、先輩はきっと私を完成させることができるから。
 泣き叫び、狂い喚く私に、どうかトドメを刺して、きっと素敵な作品に仕立て上げてくださいね。
 でも、別に失敗してもいいですから。
 一回きりの私を、先輩が使い切って、作品を作るということに価値があるんです。
 どんな結果に終わったとしても、そこにきっと意味が宿って、先輩の芸術を、一歩先に進めてくれるはずだから。

 

 

 

あとがき

 

 以前の作品のリメイクです。

 偶然ですが、ちょっと自分のブログを読み返す機会がありまして、やっぱり最新の夜に沈むとかとは狂気の度合いが違う感じで好みだったので、ざっくり書き直してみました。

 やっぱり人を殺す話っていいと思います。

 というわけで以前のバージョンのURLも貼って、今回の記事を終わらせようと思います。

 

https://ameblo.jp/allaround999/entry-12179196615.html

 私は床に直に敷いたマットレスの上に足を投げ出していた。
 寝転がってはいない。
 壁を背中にして、脱力しているのだ。
 私の長い黒髪が背中と壁に挟まれて、下手に身動きすると痛いので、少しの身じろぎすらも億劫で、じっとしている。
 だらりと首を下に向けるも、自分の大きいおっぱいに阻まれてお腹は見えない。
 壁と背中に挟まれる長髪はボサボサだし、おっぱいを包んでいるのもよれよれのTシャツ一枚だ。
 花奈辺りが見たら、「だらしがない!」と怒ってくるかもしれない。
 そこで私が「逆に花奈はブラとかつけて気を遣う必要がなくていいよね? 背中と胸がどっちも同じくらいの厚さだから」と言ったら完全に戦闘モードに入ることだろう。
 花奈は胸が小さい自分のことを普段あまり気にしていない風なのに、私がからかうと怒り出すのだ。
 自意識に完全に囚われている私からすると、誰かの言葉であそこまで左右される心持ちというのは、少し不思議な気がする。
 胸とは厚い脂肪に他ならない。でも、その向こうには無防備な心臓がある。今もとくんとくんと脈打っている。
 誰だって私の心臓がそこに鼓動していることを知っている。だから心臓は何にも守られていないと私は思う。
 誰かが貫こうと思えば容易く破られ動きを止める私の心臓。
 息苦しく思えて、私は溜息を吐く。
 ぽたぽたぽた、という台所からの水音が聞こえる。
 あの音を止めなければ。
 早く立ち上がらなければ。
 無音の深夜、無気力に飲まれている場合ではない。
 そうだ、コンビニにでも行こう。
 でも、私は結局動けないでいる。
 夜に飲まれそうな気分でいる。

 気が付くと、私は夜の街を歩いている。
 記憶が不確かだが、確か……コンビニに行ったのだったか。
 やたらと眩しいコンビニだった。目が開けられないくらい眩しかったことだけを覚えている。
 私はコンビニ袋をぶら下げていることに気が付いた。
 しかし、そのコンビニ袋は空だった。
 コンビニに寄ったのに袋が空なんてことがあるだろうか?
 どこかに中身を置いてきてしまったのか?
 そこでようやく私は気付くが、自分の服装もラフなTシャツとホットパンツ姿ではなくなっている。
 闇に溶け込むような黒いコートを着込んでいた。コンビニに行くだけにしては、少し重い服装にも思える。
 私は街道沿いを歩いている。
 誰にも行き合わない。
 深夜とはいっても、いくらでも人はいそうなものなのに。
 いや、でも人がいない方がいいか、と私は思い直す。
 今、人と会ったら、ナイフで刺し殺してしまいそうな気がするから。
 私は無防備な心臓の音に耐えられない。その音を他人に気取られるくらいなら、相手の心臓の音を先に止めた方がマシだ。
 世界に私だけしかいないみたい、と呟いてみたいものだが、しかし、車の通行はあるので、なんだか中途半端だ。
 しかし、私の想像は飛躍する。
 運転席の人間、そこに見える上半身の下は、大小様々な触手を生やしているのではないか?
 私以外の人間は、もう全部バケモノと化しているのでは?
 だとしたら私には都合のいい世界だな、と思う。
 バケモノならいくら殺しても構わないだろうから。きっと罪にも問われないだろう。
 私は街道を歩いていく。
 果てがないはずの街道にも果てがある。行き止まりとか突き当たりではなく、『果て』がある。
 そこは暗い闇だ。何もない黒だ。深い深い夜だ。
 私は躊躇することなく、その中に踏み込んでいく。

 目を開けると、私はベッドの上で壁に背を預けている。
 しかし、私は声を出すことができない。一切の身動きができない。
 呼吸すらも止まっていることに気付く。
 私の心臓はもう鼓動していない。
 そのことに私はひどく安心する。
 もう止まっているのだから、もう終わっているのだから、これ以上他人を恐れる必要はない。
 自分が他人に危害を加えることに怯える必要もない。
 マットレスがじんわりと濡れていることに気付く。
 見れば、部屋は浸水し、マットレスの厚みの分は重く揺らぐ黒い水に満たされている。
 黒い水は水位を増し、私の脚を浸していく。
 それは酷く粘性があり、そして酷い匂いだ。
 まるでコールタールみたいだ。
 それは確実に不快なはずなのだが、私にはその不快さを跳ね除けることはできない。
 ただ受け入れるだけだ。
 どれだけ悪いことが起きても、自分には選択肢すら与えられていないことに、なんだか気がラクになる。
 黒い水は部屋を満たしていく。
 私は黒い水に包まれる。
 私という輪郭は解けて、黒い水と一つになっていく。
 もう思考も手放され、私という存在は消えていく。
 その時、生まれてきて初めて安心することができた。

 私は、夜に沈む。