いよいよ第8回川口シティオペラ公演「天国と地獄」原題(地獄のオルフェオ)の超喜歌劇の上演が迫ってまいりました。
地域参加型のオペラです。プロとアマチュアの最高のコラボレーション。かつてパリ万博が催され、エッフェル塔が完成された1800年代中期の時代のオペラ界では軽歌劇(オペレッタ)と言うジャンルは確立していませんでした。
そんな中ドイツ出身のオッフェンバックがオペラ作曲家としてパリにおいて大活躍!。作品を発表するやいなやたちどころに大評判で当時のパリっ子たちに認められ、たちまちの内に大人気の超ロングラン公演を実施。オッフェンバックは当時従来のオペラにはなかった喜劇的芝居場面を増やし、楽しいダンス場面を増量すると言ったいわゆる楽しいオペラを目指して数々の喜劇オペラを発表。オッフェンバックはパリのモーツアルトと称賛されました。
とくにこの「天国と地獄」は大人気で一世風靡!このブームはパリだけに留まらず、噂は音楽の都のウイーンにまで波及し、ウイーンの作曲家達はおおいに刺激されました。当時民衆は軽いオペラを望むようになり、ウイーンで生まれたワルツの舞踏人気も相まって楽しい喜劇的オペラが量産され、ウイーンの作曲家達が大いに活躍。やがてオペラ界においてオペレッタ(軽歌劇)のジャンルが確立されるに至りおおいにウイーン子に受け入れ得られました。いまではこの「天国と地獄」や「こうもり」等は日本の第九のように年末の年越し作品として大いに取り上げられています。私の留学経験したドイツの歌劇場などでは年末31日にはこの演目を上演し、終演後劇場関係者による年末の忘年会年越しパーティが催しとしてありました。
オペレッタと言えばウイーンが本家のように思われるがオッフェンバックが活躍した、パリこそがオペレッタの源流と考えても過言ではないと言えます。
なんといっても初日を終えてからの人気に支えられた超ロングラン、この事はオペラにおいてはなかなか観られなかった現象でオッフェンバックが自身のオペラの為に買い取った劇場は今でも現存します。パリオペラ座から近くのパリで一番長いアーケード商店街にあるブッフパリジャン座です。雨が降ってもいける劇場、まるで川口リリアみたいです。(川口リリアはJR川口駅西口前(傘は不要です)
人気のオッフェンバックのオペラが花の都パリから音楽の都ウイーンで合流し、やがてヨーロッパ中でもてはやされました。このオペレッタもやがてロンドンからアメリカに上陸、それがアメリカのジャズやブルースと出会い、ミュージカルといったジャンルが確立されるに至り、今日の劇場文化の一躍を担っています。
日本においても大正期、邦題「天国と地獄」として上演されて、いきなり大ヒット。浅草オペラとして大人気で、人々は挙って浅草オペラ見物に殺到しました。
この時からです。日本の教育現場での運動会では徒競走時のBGMとして「天国と地獄に」のメロディ-がもてはやされましたのです。結果ほとんどの日本人は耳なじみ良くこのメロディ-に親しみを感じるはずです。
のはCMソングとして古くから耳なじみのいいメロディで、〇〇堂のカステラのCMソングが今でもメディアで流れて人々の耳を楽しませてくれています。オフィス松山では、いわゆるカステラオペラと命名している人気の作品です。
そんな中オフィス松山は地域参加型オペラに最もふさわしいと作品と位置図け、川口シティオペラの上演作品にこの「天国と地獄」を挙げています。
誰もが楽しめるオペラ・見ても楽しい・演っても楽しいオペラ・舞台も会場も一つになって劇場空間を楽しめるオペラ。
これこそが地域の文化でもって地域コミュニケーションの向上や・こども達の出演による若年層育成番組としての活用になると確信するいい事尽くめのオペラです。”みんなが楽しめるオペラ”これがオフィス松山が推奨する地域の為の地域による地域オペラです。
リリアの音楽ホールはどの席からでも舞台が見やすく音響の素晴らしは日本の誇るべきホールと位置づけられています。
オフィス松山はパリ滞在時モンマルトの墓地で妄想ですがオッフェンバックに出会っています?。
チケットが無くならないうちに、がおすすめです。オフィス松山はこのオペラをパリのモンマルトル墓地に眠るオッフェンバックに捧げます。
熊本復興支援チャリティです。
さあ オペラ”天国と地獄”へいらっしゃい!オペラで笑って梅雨をぶっ飛ばそう!