明日は明日の風が吹く

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日常の出来事。

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新国立競技場問題のニュースが毎日のように報道されているが、そもそも東京にオリンピック開催招致しなければ、こんなにややこしくならなかった。


「東京でオリンピックを」と言った 言いだしっぺの張本人はさっさと知事を辞めて、後を継いだ人も不祥事を起こして辞任してしまった。

問題山積みの後に現知事になった方は気の毒だが、自分でなりたくてなったのだし、オリンピック問題は承諾済みのはず。


嵐を起こす災いの人がもうひとり。組織委員会のトップ。

今までも失言を繰り返して度々問題になっている「失言のデパート」本家本元。


新国立を建設することに反対はしないが、病気というのかしきたりなのか日本人というのは、何でも形から入りたがる。

個人の家を建てるときに考えることは、外観や使いやすさ、コストを考えて、いかに安くおさえることができるかだと思うが、新国立は自分の持ち物になるわけじゃないから、自分がお金を出すことないから、将来のことを無視して目先の利益だけを目を向けて、どんぶり勘定でデザイン重視で決めたのだろう。



俺は元々東京オリンピック開催に反対派だ。                            オリンピック開催を招致した国や都市がその後、どんな末路を迎えたかは、過去を振り返れば想像はつくはずだ。

新国立もオリンピック開催という期限付きでなければ、もっと時間をかけて慎重に計画を練れてコストのかからない立派な新国立競技場ができるはずだ。



電気柵の感電死事故やドローンによるいたずら、道路にブロックを置くいたずら、食品偽装、スートーカー事件、歩きスマホによる事故にファミレスなどでのアルバイト店員によるいたずら写真、情報流出など数え上げたら、どれだけ出てくるか記憶できないくらい事件事故が起きているが、ほとんどが事件事故が起きてから、再発防止をしているのが多いように思う。


台風や地震などの自然現象、天災による災害は、経験や想像できない予測不可能な出来事を未然に防ぐことは難しいため、災害が起きてから事後防止の為に対策を検討することは間違ってはいないと思う。


だが人による事件事故やいたずらは、ある程度予測することが可能なはずである。危機管理能力があれば、人が脳で考えられることは未然防止の対策をできるのだが・・・


戦争もテロもない銃社会でない日本人は、平和ボケしてるのか、ほとんどが事後対策するばかりだ。

誰かが命を亡くしてから、法律を見直そうとかしているようだ。

ひとつしかない命、ゲームのようにリセットしても元に戻らない命。

後悔しない、後悔させないためにも命を守る対策をしてほしい。

又吉の「火花」が直木賞受賞したというニュースをみて書店に本を求める客がいるそうだが、富岡製糸場などの話題になったものに日本人は、すぐに飛びつく習性があるようだ。

日本人だけでなく世界中の人はみな同じだと思うが、にわかファンになるだけでブームがすぎたり、別の話題がでれば忘れてしまうものではないだろうか?


ほんとにファンはどんな状況やどんなブームがきても、ふりまわされたりしないものだと思う。


漫才ブームのときのように、すぐに忘れ去られた漫才師と何年も長く残ってる息の続く漫才師がいるように見極める目を養いたいものだ。