駅前糸脈

町医者をしながら世の中最前線の動きを感知、駅前から所見を発信。

また八月が来た

2014年08月01日 | 小考

            

 今日から八月。もう学校に行っていないから夏休みの実感はないが、八月は夏休みの思い出のせいか、八月十五日が巡ぐってくるせいか、お盆があるせいか特別な月に感じる。

 身に沁む寒風にもよみがえってくるものがあるが、それよりもやはり八月のじりじりと暑い日差しに思い出すことどもが多い。私の場合、寒風で思い出すのはなぜか青春の日々、夏の日差しで思い出すのは小学校の頃だ。

 「晴れた日には永遠が見える」という洋画があった。映画は見ていないがたぶん夏のことだろうと推測する。蝉の声が鳴り止まぬ境内の木立に降り注ぐ夏の日差しに、直接の記憶のない父や母の子供の頃まで思い出せる気がする。

 数多ある生物の中で人間を人間たらしめているのは今生一度きりの自覚と記憶だろう。記憶は夏の日差しや身に凍む寒風に触発されて思い出となって脳裏に浮かんでくる。思い出は過ぎた昔のことのようでも、実は仄かに明日への道も指し示しているような気がする。

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4 コメント

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詩人であり (柳)
2014-08-01 13:06:18
哲学者であらせられる。
歌人であり (arz2bee)
2014-08-01 14:46:56
 郷土歴史家にして、もはや町の風物詩の方にそう言われると面はゆい
晴れた日には永遠が・・・ (かぐら川)
2014-08-02 15:28:13
「晴れた日には永遠が見える」というタイトル(ことば)に、思わず反応してしまい、久しぶりに書き込みさせていただくことにしました。今日、県の東端のある美術館を訪れたのですが、東には県境の親不知に向かって海にせり出す丘陵が見え、気は澄み空は永遠を想わす高い空でした。昨晩は、69年前およそ3000人が虐殺された富山大空襲のその夜にあたっており、生き残った富山の市民は晴れ上がった暑い夏の日の朝をどう迎えたものだろうかとの思いに、痛いほど澄みきった空は、その空澄さゆえに、これでもかこれでもかと人間のおろかさをつきつけてくるようにも感じられました。70年前のできごとはまさに現代もこりずに繰り返されているのです。記事とは関係のない感想で失礼しました。
関係ないでしょうか (arz2bee)
2014-08-02 22:44:30
 かぐら川さん コメントありがとうございます。晴れた日には真実も見えるかもしれませんね。もとより私に何がとまではわかりませんが、一瞬が永遠に繋がる刹那があるような気がします。

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