悪魔に魂を売ってそうなったと言われるほど上手かったイタリアのヴァイオリニスト、パガニーニの演奏技術は独学だった。
アインシュタインの科学も独学だった。大学には行っていたが、彼は講義には一切出席しなかった。
魔法を使って治していると言われた精神科医のエリクソンも独学と言って良いと思う。

師を奉っているうちは、師の半分にもならない。
親鸞は法然を敬ってはいたが、法然の教えと明らかに反することも教えた。
そして、親鸞には、実際は沢山の弟子がいたが、親鸞自身は、「私は一人の弟子も持っていない」と言った。
師や弟子の関係なんて、手ほどきが終わったところで解消すれば良い。
慢心もいけないが、会社で、いつまでも創業者に平伏しているような人間ばかりなら、その会社も長くはないだろう。
むしろ、師や創業者を否定しなければ発展はないというのは、それが自然なことだからである。

木枯し紋次郎の剣は、全くの我流で、度胸と経験を頼りにしていた。
紋次郎は、武士と戦うことになった場合、腕で劣ることをはっきり自覚していた。
紋次郎が、食べるものもなく、餓えながら農作業をやらされていた年齢には、武士の子達は栄養のあるものを十分に食べてみっちり剣術を仕込まれていたのだから、敵うはずがない。
しかし、達人の武士を相手にしても、紋次郎は機転を利かせて勝ってしまう。
それは正々堂々の戦いではないかもしれないが、それでも、達人の武士は紋次郎に切られて死ぬのだ。
紋次郎は架空の人物であるが、宮本武蔵だって、決して正々堂々の戦いを信条とせず、不意打ちや、敵をむかつかせるといった心理作戦もためらうことなく駆使した。
武蔵もまた、独学の剣士だった。

私のコンピュータープログラミングも独学だ。
学校はもちろん、企業の研修で学んだこともない。
だから、プロなら恥ずかしくてやらないと言われるやり方も特に抵抗はない。
紋次郎と同じで、正式にコンピューターサイエンスなんてものを学んだ者に叶う訳がないと思っているので、かえってうまくやれるのである。
例えば、マイクロソフトAccessは素人が使うものだと言われるが、私はこれを使って、大手の開発会社では3人で3ヶ月かかると言ったシステムを一人で1ヶ月で作ることもよくある。
何かの本で読んだが、ある有名なQ&Aサイトは、大手開発会社が数億円の見積りを出したものを、大学生が一人で数万円のバイト料で作ったらしい。

決して、素人の方が良いというのではないが、素人でも、謙虚で観察力があれば、専門家以上のことができることもあるのである。
だから、何でもやってみることだ。
だが、謙虚に、そして、探偵のような観察を忘れないように。
本格派は、この2つを忘れてしまうものなのだ。









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