本来、宗教は、美しい装飾と幽玄な音楽の中での儀式を重視した。
それによって、自我、左脳、顕在意識が引っ込み、没我になり、右脳が活性化され、潜在意識が現れる。
もう一度、改めて言うと、宗教は、装飾、音楽、儀式の3つが鍵である。
現在の宗教は、形骸化しているので、これらがない。
形だけはあっても、神秘はない。
その3つを持っていれば、個人であっても本当の宗教を持っていることになる。

この3つの宝で、無意識の領域に入り込める。
宗教が形骸化しても、魔法結社などでは、この3つを大切にしていた。
そんな魔法結社では、無意識に参入することで、どんな願いでも叶えることができた。
ただ、あまりに願いを叶えることができたので、その方面ばかりに突き進み、どれもやがて崩壊した。

音楽は、現代では、最も得やすく、この点では、過去のいかなる宗教団体や魔法結社も上回る。
しかし、形の面は難しいように思える。
だが、問題はない。
私は、滝行もできるし、峻険な山の頂上で座禅したり、砂漠のど真ん中のピラミッドの中で瞑想できる。
遠い神秘の惑星で眠れるし、太陽の中で純粋な存在となって無限に溶け込むこともできる。
全て想像の中でだ。
想像の中で、毎日滝に打たれていれば、実際の滝行をするのと同じだ。
ほんの数日、滝行の真似事をするより、想像の中で毎日行じる方がずっと良い。
古代の荘厳な寺院の中で、美しい少女の巫女や崇高なる神官と共に荘厳な儀式を行うことを想像し、音楽だけは実際に聴く。
そうやって無意識に接触すれば、現実を自由自在に構築することは訳がない。
ただ、普段から、肛門を引き締める訓練を、気がつくたびにやることだ。
でないと、自我が弱くなったところで、意識の中から怪物が現れ、精神を病んでしまうからだ。
丁度、覚醒剤を使って意識を吹っ飛ばしたら、必ず精神が大きなダメージを受けるようなものだ。
想像の中で毎日欠かさず行に励み、超人へと変貌すると良い。









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