■人工知能社会への背筋が凍る警告、『エクス・マキナ』です! | 韓国・ソウルの中心で愛を叫ぶ!

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ポッドキャスト韓国語マガジン“サランヘヨ・ハングンマル”の編集長が、韓国と韓国文化の見つめ方を伝授します。


「誰の言葉も信じるな…人間よりも魅惑的なエクス・マキナ」


●リアルな人工知能の問題点描く


なかなか食べ物の話題ばかり書いていますが、例年なら紹介したい韓国映画がいろいろあるのに、今年はあまり振るわない感じですよね。日本ではユチョン君の『海にかかる霧』が上映中だったりするんですよね。うらやましい…。ということで、半ば仕方なく洋画ですが、韓国で今年初めに観たSF映画『エクス・マキナ』(Ex Machina、アレックス・ガーランド監督)ですね。日本ではこれからだと思います。


これを紹介するのは、以前、『her』(スパイク・ジョーンズ監督)という映画を紹介しました(→過去記事)が、その流れですよね。あれは人工知能と男性の恋愛を描いた映画で、娯楽作品として特に深刻になることもなかったですが、今回、似たような人工知能と男性の恋愛を描いた作品でありながら、結末を見た時に背筋が寒くなるのを避けられません。そして、思い切り現実に引き戻されました。ふつうに考えれば、こちらがリアルな当然の人工知能の問題点であるということに気づかされます。やっぱり『her』はロマンスに過ぎなかったんです。


題名は「機械仕掛け」という意味のラテン語ですが、主人公のキャレブ君は、グーグルを思わせる架空の検索サイト会社に勤めており、社内で選ばれて、社長の住む山奥の家で、社長が開発中の人工知能の「チューリングテスト」を任されます。いわゆる人工頭脳が、本当の人間のような自立的な意識を持っていると感じられるかどうかを判定するのが、「チューリングテスト」です。問題は、その人工知能をテストする方法が、ふつうはテキストや音声で会話するだけのはずなのに、今回の場合は、完全に人間そっくりに作られたロボットとして登場し、それと会話をしてテストするわけです。


しかも、そのロボットというのが、実に動きや語りが人間の女性そのもので、しかもキャレブ君の好みにピッタリであり、すっかり心を奪われてしまうとともに、まるで生みの親である社長と彼女を奪い合うような、陰鬱な三角関係のようにまでなってしまうわけです。


キャレブ君を演じるのは、『スターウォーズ・エピソード7』への出演が決まっているオスカー・アイザック・ヘルナンデス君。ロボット役にはスウェーデン出身の注目女優アリシア・ヴィキャンデルさんですね。



●「身体を持たない知能」の恐怖


この映画を観て、私は三つのことを考えました。一つは、完璧な「自意識」を持つように見紛う人工頭脳をつくるなどという試みは、やっぱり怖い、やめたほうがいいよ!ということ。二つ目は、なぜなら、そんなことははなっから不可能であるということ。不可能なのに、可能なようにしようとすることで、わざわざ人間に錯覚を起こさせる、人間を騙す装置をつくってしまうことになるからということ。三つ目は、やっぱり機械は人間とは違う!人間が最高だ、人間に帰ろう!ということです。


具体的に、人間と人工知能が違うのは、私たちは身体性を持っているということだと思います。『her』の時はロマンスでしたから、それもまた、外界と頭脳とをつなぐインターフェイスの問題に過ぎないと考えて、それなりに幻想を膨らませるのが楽しかったですが、今回、リアルな問題として向き合うとぜんぜんそうではないということに気づきます。


私たちは肉体があるために、有限の命が実感できるわけです。それゆえに、命を傷つけ、壊すことに悲しみを感じ、恐怖を感じて、基本的にはそうできない。つまり私たちの「優しさ」、「愛」の発祥地は肉体にこそあるわけですね。これは喜びや怒りなども含めたあらゆる感情や、夢、希望、失望、およそ生きるためのすべてのフィーリングというものが、その身体性のゆえに起こってきているということが真実なわけです。


だから私たちは言語においても、「頭に来る」だとか、「腹が座る」だとか、「目をむく」だとかいうようなこと、「背筋が凍る」だとか、「手をこまねる」だとか、「浮き足立つ」だとかという表現を使うことで、身体を通して心の共感を得ているわけです。これらは身体が、私たちの感応の器官であるだけじゃなく、おそらく思考の主体そのものでもあるからなのだと思います。


つまり、機械である人工知能が恐ろしいのは、その「自意識」の主体が「身体」ではないということです。基本的にいくらでもコピーが可能な電磁気上の情報集合体に過ぎないということです。そこから出てくる、インターフェイスによる反応などというものも、所詮はすべて「計算」され尽くした「出力」に過ぎないために、私たちは絶対にその機械の「真意」を探ることができないばかりか、身体性ゆえに予測可能な私たち自身のほうが、実は常に機械の支配下にあらざるを得なくなるということなのです!!(´ぅ_ ;`)



●未来の混乱はすでに始まっている


それは実はすでにそうなっているわけです。それが、たとえば今、私たちが検索エンジンを使う時に現れてくる「結果」が、私たちに合わせてカスタマイズされているというようなことであり、「あなたへのお勧め」という便利そうな名前で、商業目的によってすでにコントロールされているというような事態なわけです。


「便利」を追求した結果、自然に私たちは人工知能のいいなりに社会を形成し、その下で手足となって労働を受け持つようになっています。それが、私たちが今、ロボットというものを考えた時にも、基本的に「私自身が何も考えなくても、自由に私を満たしてくれる手軽で便利な友達」のような存在を期待して、その管理者的な位置をそれに与えてしまっていることなどからすでに始まっています。私たちはせいぜいそれがインターフェイス的に、いいかえれば「表面的に」、ヒューマンライク、つまり「人間っぽければそれでいい」とだけ考えているわけです。


そもそも人工知能の「チューリングテスト」というものも、ある人間が、相手がコンピューターであると「気づかなければ」合格なのだ、などといってしまっている時点で実に危うい!それなのに、すでに去年、チューリング博士の死後60周年にあたる2014年6/8に、イギリスのレディング大学で、チューリング・テストに受かった“人類初の人工知能”が生まれてしまっているのです。「もう機械は人間を騙す能力を身につけた」と宣布されたようなものですね。


この映画の中の主人公の混乱は、まさに私たちの身に、当然起こってくる未来社会の混乱そのものだと思います。私たち人間がそのような社会でどんな危機を迎えるかをテストされる映画『EX MACHINA – エクス・マキナ』お勧めです!めっちゃ面白かった!(((°`∇´°;)))

























映画『エクス・マキナ(Ex Machina)』予告編。

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