■映画『思悼(サド)』はまったくもってSADでした!T▽T | 韓国・ソウルの中心で愛を叫ぶ!

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「父と息子――悲劇が始まる」


●朝鮮最大の父子の確執を再解釈


今回の秋夕連休中に妻と観てきた映画『思悼(サド、사도)』(イ・ジュンイク監督)ですが、おそらく個人的に韓国映画の今年の一本となるだろうと思います。ソン・ガンホさんとユ・アインさんの名演技が本当にミモノです。ヾ(≧∇≦)〃♪


映画は、朝鮮王朝最大の父子の確執として知られる第21代・英祖(ヨンジョ、ソン・ガンホ扮)とその子・思悼世子(セジャ:王の跡継ぎ、ユ・アイン扮)の対立と思悼世子の死、そして思悼世子の子として、朝鮮後期の最高の聖君となる第22代・正祖の誕生を描いています。


わずか2歳で王世子に冊立され、幼くして「孝経」を暗唱したといわれる神童で、わずか14歳で代理聴政(王に代わって政治を行うこと)まで行った思悼世子が、老論派の臣下の恨みを買い、父との仲を裂かれて、結局、放蕩の限りを尽くした挙句に精神に病を来たして、宮婢や宦侍をほしいままに殺し、最後は王に反逆したとして、米びつに閉じ込められて8日後に亡くなった。


そのような明確な史実がある以上、はっきり告白して私も、単に臣下が党派争いに明け暮れた悲しい時代の王位2代に渡るただの悲惨な出来事だと思ってました。それがこんなに重大なメッセージを持っていたなど、この映画で初めて知り得ました!



●実際は王家三代に渡る犠牲の物語


映画はその二人の父子の心を描いています。すなわちこれは、いついかなる瞬間も王でいなければならなかった父親と、一瞬でも息子でありたかった世子の、歴史に残る最も悲劇的な家族史でこそあるわけです。


ドラマ『トンイ』で描かれたように、卑しい身分の淑嬪崔氏を母に持つ英祖は、在位期間中、ずっと王位継承の正統性論議に苦しめられ、学問と礼法において完璧な王になるため、絶え間ない努力をします。そんな王は、40歳を過ぎてから授かり、神童ともいわれた思悼世子にあまりに大きな期待を掛けます。しかし、学問と礼法を重要視する英祖とは違って、思悼世子は芸術と武芸に興味があり、自由奔放な生き方を願い、英祖はそれを理解せず、二人の距離は次第に広がっていきます。


これは、人情を超えて儒教的な義を追及する朝鮮という国の、その頂点に生きる存在である王家の三代に渡る犠牲の物語です。王も世子も、そしてその子の世子孫も、王室の法度のために、気が狂うほどに恋しい親子の情を犠牲にしていくしかない運命にもだえ苦しみます。それはそれは涙ぐましい三者三様の心の叫びに、会場からは何度もすすり泣きが起こっていました。(T▽T)


それは王のこの言葉にすべてが語られています。「お前と私が王と王の息子として出会っていなければ、今日のようなことはなかったろうに(너와 내가 왕과 왕의 아들로 만나지 않았으면, 오늘 같은 일은 없었을 것이다)」


そして、その三代の犠牲のすべてが、実は次代の“聖君”正祖を生み出すためという一点に目的を持つそれぞれの犠牲であったということにこの映画の感動があるわけです。


「思悼世子」という名前は、英祖自身が「世子の死を悼む」という意味でつけた尊号です。本当の名前は荘献世子でした。


ということで、これはDVDで観ては駄目だと思いました。映画館の大スクリーンでなければとうてい見逃しそうな、あまりにも深い心の世界の話であるためです。皆さん、ぜひとも映画館での鑑賞をお勧めします!(*´▽`)



















映画『思悼(サド、사도)』(イ・ジュンイク監督)予告編。

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