■[熊本地震] 「日本の市民意識と韓国の反省」報道溢れる | 韓国・ソウルの中心で愛を叫ぶ!

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ポッドキャスト韓国語マガジン“サランヘヨ・ハングンマル”の編集長が、韓国と韓国文化の見つめ方を伝授します。

日刊紙『国民日報』の記事で、熊本現地の秩序意識とソウルのそれを比較している報道写真。
「地震被害を受けた日本の熊本の道(左)は、ゴミまでも清潔に置かれてきれいに見える。
反面、平穏なソウルの鷺梁津の道は住民らの訴え(壁の横断幕)も空しく煙草の吸殻が溢れている」



熊本の震災発生から10日が過ぎましたが、現地の被災状況が長引く中で、韓国では、まず政府が10万ドルに及ぶ救護物資を軍の輸送機で熊本空港に送り届けたということ、主に熊本県と姉妹結縁を結ぶ忠清南道の忠南大や鮮文大を中心に、大学生たちが自発的に日本のための募金活動をしてくれていることなどが報道されていますね。


さらに元慰安婦のハルモニたちが、「私たちは日本人と闘っているのではない。見ているだけではいられない。少しずつでも募金に協力してほしい」と日本への寄付を率先しながら呼びかけてくれていることも抜かすことができません。前回の震災の時も同じでしたが、ハルモニたちの姿勢は過去から一貫しており、韓国のオルシン(尊敬を受けるべき年配者)そのままの姿です。


また、熊本県上天草市と姉妹結縁を結ぶという京畿道楊坪郡の郡守が、「地震で被害を受けた日本の国民に、11万楊坪郡民と共に哀悼と胸痛む思いを伝えます。生命の脅威を受ける緊迫した危険な現場でも相手を配慮し、沈着に対処する成熟した市民意識が私たちにも鑑となっています。政府の指導力と国民たちが力を合わせ、難しい状況をよく克服されることと信じます」とメッセージを送っています。


この「日本の成熟した市民意識」に関しては、何より現地で取材中の記者らによる異口同音の報告によって、各メディアがこぞって報じています。韓国と比較しながら驚き、反省する報道がなされています。日刊紙『国民日報』は、地震の被害の後の熊本の街で、ゴミがゴミ回収所にきちんと整理整頓されて並んでいる姿と、ソウルの特に汚い、街頭に煙草の吸殻が散らばっている姿とを並べて報じながら、災害の中でも社会的秩序を失わない日本を模範としようという記事が出ていました。(→原典


ということで、他の主要日刊紙の記事からも、「日本の市民意識と韓国の反省」の報道を集めて下に訳してみました。これだけ読むと逆に「韓国人はどれだけ野蛮なのか」という感じになってしまいますが、それもまた性急な誤解です…。(^^;)


●『朝鮮日報』のTV朝鮮ニュース報道


「このような生き地獄のような状況でも、日本の市民意識は断然際立っていました。一つの例として避難所で取材している中、8歳の男の子が恥ずかしそうに近づいてきて水のペットボトルをくれました。ここで何をしているのかと尋ねると、自分も災害支援に来たのだといいながら、『水は充分にあるのでいくらでも持っていってください』と答えました。


ボランティアのために他の地域の人々まで災害地域まで駆けつけるなど、感動的な模範市民の姿を現場のそこここで目撃することができます。秩序整然と配給を受ける姿や、不足な物資供給の状況でも互いに譲り合う姿は韓国社会に対しても示唆するところが大きいです」と報道していました。(→原典「生き地獄の中で輝く市民意識」と映像


●『韓国日報』の「特派員コラム」


「現場で見届けた日本人の市民意識は特別でした。大きく怒る姿も落胆する姿もなく、多少あきらめたような表情が印象的でした。熊本市から福岡に脱出する数百メートルの自動車の列が代表的です。車線を間違った取材陣の車両が、割り込みをしなければならない申し訳ない状況も少なくありませんでした。ところが、誰一人クラクションを鳴らさず、前のほうにいた白い自動車が親切に空間を空けてくれました。統制要員一人なく、広大な交通状況が贅言もなく維持されました。韓国ならばどんな状況が起こったかと思うだけで目眩が襲いました。


緊急避難所でおにぎり一つをもらうために秩序整然と並んだ人の波に不満を表出する人もいませんでした。皆がお腹を空かせていましたが、「責任者出て来い」などと怒鳴る人も、横入りをしたり、されることを警戒するような人もいませんでした。鬱憤を我慢できない韓国人の気質と、違うにしてもあまりにも違いました」(→原典


●「兄弟の痛み」伝える『東亜日報』


最後に『東亜日報』のコラムですが、全体は「熊本地震…根が同じ兄弟の痛み」という題名で、韓国の三韓時代から、九州がいかに韓国と近い関係にあったか、ということから、血を分けた「兄弟」の痛みを感じるという内容です。一部だけ訳してみましたが、これこそがまさに韓国的な「情」の世界であるという例としてご紹介します。


「『熊』の字が入った熊本も、百済の昔の首都である『熊津』から由来したという説がある。その昔、百済人たちが、『熊津の根』という意味で熊本を地名として定めながら失った国の首都をここに再び築いたという意志を込めたのではないだろうか。


熊本は1983年、忠南道と姉妹結縁を結び、30年以上友情をつないできている。地震被害復旧を指揮している蒲島郁夫知事は2014年の訪韓時に『私の体の中にも百済人の血が流れているはず』といい、『忠南道民と私たちは一つの兄弟であり、親戚だと思います』と述べた。


史上初の災難の前で、『茫然自失』の悲しみと悲嘆に陥っている熊本住民の血の中に、私たちの先祖たちの血が流れているかもしれない、と考えると胸が張り裂ける思いである。なんらの縁もない国であっても災難を被っていれば人類愛の次元で助ける。百済の先祖たちの後裔が暮らす熊本住民に温かい兄弟愛を送りたい」(→原典



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