■高校時代に読んだ『納屋を焼く』の再解釈!≧∇≦)〃♪ | 韓国・ソウルの中心で愛を叫ぶ!

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ポッドキャスト韓国語マガジン“サランヘヨ・ハングンマル”の編集長が、韓国と韓国文化の見つめ方を伝授します。


「もう真実を話してみて」


●原作は村上春樹さんの短編小説『納屋を焼く』


名匠イ・チャンドン監督の『バーニング(버닝)』です。今月の初めに観たのですが、演技実力派のユ・アインさんとスティーヴン・ユァンさんが主演で、ヒロインのチョン・ジョンソさんもとても新人とは思えない、すばらしい演技でよかったと思います。♪ヽ(´▽`)/


イ・チャンドン監督というと、いつもとても重い問題作を世に投げかけている印象で、2000年のソル・ギョングさん主演の鮮烈なヒット作『ペパーミント・キャンディー(박하사탕)』しかり、ヴェネツィア国際映画祭で銀獅子賞を獲得した『オアシス(오아시스)』(2002)しかり、第63回カンヌ国際映画祭で脚本賞を受賞した『ポエトリー~アグネスの詩(시)』(2010)しかりなのですが、私にとっては何よりも『シークレット・サンシャイン(밀양)』(2007)ですよね。主演のチョン・ドヨンさんがカンヌ国際映画祭女優賞をもらっていますが、本当に忘れられない名作です。


ちなみに『シークレット・サンシャイン』の原題は「密陽」と書く慶尚南道の地名ですが、その漢字の意味を取って、「隠れた所に注ぐ日差し」を印象深く描いて、ラストシーンで庭の一角に日が当たっている場面が意味深く流れるのですが、今回の『バーニング』でもまったく同じようなシーンがあります。主人公が箪笥の中に日差しが注いでいることに気づくのですが、その元をたどると、窓の外に見える南山タワーからの反射日光だったというシーンです。


さすがイ・チャンドン監督だなあと、思わず懐かしい思いになってしまいましたが、『シークレット・サンシャイン』ではそれが、主人公が気づかない所で愛してくれている素朴な男性の愛のメタファーであり、今回の場合は、主人公にほんの短い間だけ、間接的な反射光のように注ぐヒロインの愛なのだろうと思います。


ということで、懐かしいといえば、まさにこの『バーニング』は、私も高校時代に読んだ、村上春樹さんの短編小説『納屋を焼く』を原作としています。原作のドライな春樹調よりも、とても生々しく脚色された作品としてかなり違った印象を受けるのも確かです。しかし、そもそも村上春樹さんの筆で脚色された「現実」を、また別に映画として脚色し直せばこうなるのだろうとも思えます。「彼女」の蜜柑をむくパントマイムや、アフリカ行き、「同時存在」に関する会話などがそのままであり、「納屋」は「ビニールハウス」に変更されていました。


問題は、そのヒロインの結末に対する解釈です。(ここから下は一部ネタばれが含まれるので、原作小説やこの映画をこれからご覧になる方は読まないほうがいいかと思います)



●高校時代の謎に答えが出た(→ネタばれ注意!)


原作小説は、「彼」が「納屋を焼く」といっていることがどうやらメタファーなのだけど、その「納屋」が何なのか、「焼く」ということがどういう行為なのかは謎のままです。「彼女」が消えてしまったことから、「彼」は「彼女」を殺したのか、殺人を「納屋を焼く」と表現しているのかとも思うのですが、それにしては「彼」のほうから、「彼女がどこに行ったか知らないか」という質問が投げかけられ、どうも本当に心配しているような感じです。もちろんそれが演技であるという考えもできますが、「彼」はわざわざそういう演技をして自分を守るようなことをするような人ではない気がします。


そういう疑問を残したまま、まあでも、そもそもこれはミステリー小説ではなく文学なのだから、事実を究明するよりは、そういう疑問を残すことの、何ともいえない、ひんやりした空気を描いた優れた短編なんだろう、と思っていたのが、高校時代の私の結論でした。


ところが、これが映画になってしまうと、どうしても解釈が必要な気持ちになってしまうものであり、そして監督も、解釈が充分にできるようにいろいろな手がかりを描いてくれていました。それを楽しみつつ、やっぱりそれでも文学作としてどちらにも決定はしないで終わらせるのもいいと思うし、そういう「空気」を描いた作品であることは確かだろうと思います。


その上で、私がいちおう出した映画の解釈は以下であり、はからずも、それがちゃんと原作のほうの解釈にもなっていることに気づきました。すなわち、「納屋を焼く」=「ビニールハウスを焼く」とは何のことか。それは「遊びで女性の心を燃え上がらせてあっさり捨ててしまうこと」です。それが「2ヵ月に一回くらいのペースで焼く」という言葉の意味です。では、なぜ「彼女」は消えてしまったのか。「自殺」です。映画の中で、そういえる決定的証拠は何か。主人公が無理やり入った彼女の部屋が、見違えるほどきちんと掃除されて整理整頓されていたことです。それをやるのは「彼女」本人以外にあり得ません。


実際、映画の中で彼女は途中、「誰にも気づかれないように消えてしまいたい」という切実な思いを打ち明けていました。そして、彼女が唯一頼みの綱としていた主人公が、どうしようもない衝動的嫉妬のゆえに、とてもひどい一言をいって傷つけてしまった後に、彼女はいなくなっています。しかし、主人公は自分の父親と同じように「怒り」によって周囲が見えておらず、彼にとってさまざまな誤解や錯覚をもたらす要素が積み重なっては、勝手に決め付けて、これまた父親と同じような行為に及んでしまうわけです。


もちろんこれは私個人の解釈です。でも私の中ではこれしかないと思いました。そして、そう思うと、原作のほうもそれ以外にはないような気がしてきます。ということで、まさか遠く10代の高校時代に読んだ小説の答えを、今になって韓国映画の中から見つけるようになろうなどとは思いもよりませんでしたね。ヾ(≧∇≦)〃♪



【あらすじ】 流通会社のアルバイトであるジョンス(ユ・アイン)は配達に向かう途中で、幼い頃に同じ街で暮らしていたヘミ(チョン・ジョンソ)に会う。 彼女がアフリカ旅行に行く間、自分の猫を見ていてほしいと頼まれたジョンスはいつしか彼女を愛するように。 しかし、旅行から戻ったヘミは、アフリカで出会ったベン(スティーヴン・ユァン)という正体不明の男をジョンスに紹介する。 ある日、ベンはヘミと共にジョンスの家を訪れ、自身の秘密の趣味について告白する。 そのときからジョンスは恐ろしい予感に縛られるようになるのだが…。























映画『バーニング(버닝)』(イ・チャンドン監督)予告編。

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