るいネットさんのサイトより
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&t=6&k=2&m=295931
<転載開始>
司法とはいったいなんなのでしょうか?
公正に、判決される場所・機関。
そう、教わってきたように思います。

それが、司法も原子力村の一員だったとしたら、社会秩序はガタガタです。

少し古い記事になりますが、裏で利権(天下り=お金)を得ることが決まっていたのではないかと思わせる判決(ここでは判事)と事実経緯がありました。

+++++++++++++++++++++++++++++++++

「原発は安全」判決書いた最高裁判事が東芝に天下り 司法にも広がる原発マネー汚染
リンク より転載します。

四国電力伊方原発と東電福島第二原発の建設許可取り消しを求めた2つの裁判で、原発の安全性にお墨つきを与える判決を下した最高裁判事が、米国GE社と提携する原発メーカー「東芝」の役員に天下っていたことがわかった。判決があったのはチェルノブイリ原発事故から6年後の1992年のことで、脱原発の声を封じて原発ラッシュの流れをつくる一大転機となった。裁判官と原発産業の生臭い関係に、原発の危険を訴えてきた地元住民は絶句する。「司法よ、お前もか――」

【Digest】
◇東芝天下りの最高裁判事・味村治氏は元検事
◇「伊方」「福島第二」の二大原発訴訟
◇東芝役員の天下り官僚・大学長は20人
◇「伊方訴訟」でバレたデタラメ安全審査
◇「格納容器は絶対に壊れない」と国側きっぱり
◇海外大事故でも「日本の原発安全」と宮本勝美裁判長
◇「GE格納容器、燃料プールは脆弱」証言も裁判官無視
◇福島原発は地震で壊れない? というトンでも判決
◇チェルノブイリの『チ』の字もなかった最高裁判決 ◇東芝天下りの最高裁判事味村治氏は元検事

 原発メーカー「東芝」監査役に天下っていたのは元最高裁判事味村治氏(みむら=おさむ・故人)だ。経歴は次のとおりである。

 1924(大正13)年中国東北部生まれ。東京帝国大法学部を卒業して司法試験に合格。戦後1期目の司法修習を終えて検事となり、東京高検検事長・内閣法制局長官をへて1990年、最高裁判事となる。ときの総理大臣は海部俊樹だった。94年、70歳で最高裁判事を定年退官した後は弁護士となる。「勲一等旭日大授章」という最高位の勲章を受け取り、98年、東芝の社外監査役に就いた。監査役は約2年間で、その後2003年7月に死去した。

 味村氏が天下った「東芝」(本社・東京都港区、佐々木則夫社長)は、日立製作所、三菱重工、三菱電機などと並ぶ国内有数の原発メーカーだ。沸騰水型軽水炉(BWR)の開発元・米国ゼネラル=エレクトリック社(GE)とも縁が深い。

(中略)

  国内原発産業のトップランナー・東芝。そこに天下った最高裁判事・味村治氏。彼が下した「原発裁判」の判決とは、どんなものだったのだろうか。

◇「伊方」「福島第二」の二大原発訴訟
 問題の判決は2つある。「四国電力伊方1号炉訴訟」と「東京電力福島第二原発1号炉訴訟」。いずれも、国が出した建設許可に対し、予定地周辺の住民が「大事故の危険が高く、安全審査などの手続きに違法性がある」として許可の取り消しを求めたものだ。

 裁判はそれぞれ松山地裁と福島地裁で、.....この続き

(kの続きは、会員しか見れないので、以下、他のサイトリンクより、抜粋・転載します)

と、残念ながら、この記事ではここまでしか読めないけど、この「東京電力福島第二原発1号炉訴訟」の経緯を参考までに書いておくと、

東京電力福島第二原子力発電所1号炉原子炉設置許可処分取消請求(行政訴訟)
・1975年1月7日:周辺住民らが設置許可の取消を求めて福島地裁に提訴
 1984年7月23日:福島地裁が原告の請求を棄却
・1984年8月6日:一審判決を不服とした原告が仙台高裁に控訴
 1990年3月20日:仙台高裁が原告の控訴を棄却
・1990年4月3日:二審判決を不服とした原告が最高裁に上告
 1992年10月29日:最高裁は原告の上告を棄却
 <原告敗訴で確定>

(以上、抜粋・転載終わり)
++++++++++++++++++++++++++++++++

正しい判決をされていたのなら、福島第二原発の事故はもっと低減されていたかもしれません。

<転載終了>