社会科学者の随想さんのサイトより
http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1061734428.html
<転載開始>

 【国会議員は,そんなに大臣になりたいのか? 結局,10ヶ月では,ろくな仕事もやっていないのに……】

 【いても・いなくても同じか,モノによっては邪魔というか,ひどくは有害にも感じられる大臣だとか長官だとかが多すぎる,とりわけ〈いまの安倍晋三政権〉の陣笠大臣たち】

 【「無用の用」だかしらぬが,大臣という名誉(?)職を議員たちに配分するのが政権の役目か?】

 【たとえば丸川珠代は,第3次安倍第2次改造内閣で,国務大臣(東京オリンピック競技大会・東京パラリンピック競技大会担当,2016年8月3日~)を務めている最中であるが,まったくに「用の無用」である大臣職にしかみえない。

 この女性議員,第3次安倍第1次改造内閣では,国務大臣(第22代環境大臣および内閣府特命担当大臣(原子力防災担当)を,2015年10月7日~2016年8月3日の任期でこなして〔?〕いたらしい。だが,そちらでは,まったくに存在感がなかった。

 ひな祭りで雛壇に座っている〈ひな人形〉程度の役目は果たしているけれども,それ以上の実際の効用,いいかえれば国民の利益のために,いったいなにをしてきたのか】

 【原発推進(⇒ 再稼働・使用年数60年への延長)論の愚,結局,麻薬中毒症と同一病状である原発依存症】



 ① 自民党では「赤呼ばわりされてきた」脱原発派の河野太郎議員に対する『朝日新聞』インタビュー記事は,紙面には掲載しないで,ウェブ版に登場させていた。

 以下〔だいぶ後段の ② 〕に紹介する小森敦司(『朝日新聞』)と河野太郎(衆議院選挙区神奈川県15区選出の自民党国会議員,生年月日は1963年1月10日)との,原発問題をめぐるインタビュー・対話記事が2016年10月13日,THE ASAHI SIMBUN DIGITAL に掲載されていた。
 註記)http://digital.asahi.com/articles/ASJBC3JCBJBCULFA00K.html
河野太郎表紙
 さきに指摘おくことがある。河野太郎は『原発と日本はこうなる-南に向かうべきか,そこに住み続けるべきか-』(講談社,2011年11月。⇒右側画像)を公刊していた。本書に表現されている河野の原発に対する基本姿勢のせいで,自民党内では同僚議員たちから「赤呼ばわり」されてもきた。

 本書は「3・11」が発生した年内に公表されていた著作であるから,この東日本大震災と東電福島第1原発事故を強く意識して執筆・刊行していたと思われる。河野太郎が「反原発の立場」から書いた著作であった。いずれにせよ,自民党内では原発廃止の立場を明確に意思表示している国会議員である。 

 もっとも,民進党(旧民主党)の国会議員であっても,脱原発の立場を標榜できない者が大勢いる。というのは,原子力村を構成し,原発産業との深い利害関係をもつ有力企業の諸労組を支持者にしている民進党議員が,けっこうな人数存在しているせいである。旧時代の社会党みたいな政党・議員がほとんど居なくなったいま,原子力村の権勢は依然,日本の国政のなかで強大な影響力をもっている。

 しかし,自民党の河野太郎が脱(反)原発の立場・思想で国会議員の立場を保持できているのは,東京都・首都圏内に近い都市地域から国会に選ばれている議員であるがために可能であると観察しておく。( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
衆議院小選挙区15区画像資料
出所)http://technocco.jp/k_map/0140kuwari.html 15区画像

 河野太郎は,第3次安倍第1次改造内閣において(2015年10月7日~2016年8月3日の任期),第91代国家公安委員会委員長・内閣府特命担当大臣(規制改革・防災・消費者及び食品安全)に就任していたが,いまの時点か振りかえってみるに,「単に国会議員としての箔を付けるためだけの大臣職就任」であったと観るほかない程度の仕事(任期)であった。

 河野が大臣であった期間中に,熊本で地震が起きていた。ここでこの「熊本地震」を説明しておく。

 2016年4月14日21時26分以降,熊本県と大分県で相次いで発生していた地震である。気象庁震度階級ではもっとも大きい震度7を観測した。地震が4月14日夜(前記時刻)および4月16日未明に発生したのにつづいて,最大震度が6強の地震が2回,6弱の地震が3回発生した。

 日本国内の震度7の観測事例としては,4例目(九州地方では初)5例目に当たる。一連の地震活動において,現在の気象庁震度階級が制定されてから初めて震度7が2回観測された。また,一連の地震回数(M 3.5以上)は内陸型地震では1995年以降で最多となっていた。

 --この熊本地震のときの河野大臣〔そして安倍晋三首相もそうだったのだが〕の現地に対する対応姿勢が,非常にまずかった。当時のその様子は報道されており,われわれの記憶にもまだ残っている。こういう経過となっていた。
   ※-1「安倍首相,今日中に屋内避難場所の確保を指示」(『産経ニュース』【熊本震度7】2016.4.15 12:32更新)。

 安倍晋三首相は15日午前,河野太郎防災担当相と官邸で会談し,熊本県を震源とする最大震度7の地震を受け,天候悪化に備えて屋外に避難している被災者のため,同日中に屋内の避難場所を確保するよう指示した。

 河野氏が会談後に記者団に明らかにした。河野氏は避難者の最新状況を確認して,午後の早い時間に再度,首相に報告する。
 註記)http://www.sankei.com/politics/news/160415/plt1604150042-n1.html

   ※-2 「〈熊本地震〉河野太郎防災担当相の当事者意識の欠落した発言に知事も不快感」(矩子幸平 2016年4月16日(土) 17:27)は,こう報告していた。

 4月14日に熊本で発生した大地震。止まることのない余震,刻々と被害の拡大が報告されるなかで,避難中の方々から口々に聞かれ,早くから報道されていたことは「余震による電気(や家具)の落下が怖くて屋外で避難している」という状況だ。避難所に指定された学校などにいったはいいが,余震を恐れて,屋外で毛布にくるまったり,自動車内で夜を明かしている光景が早くからニュースなどでも報道されていた。

 そんななか,政府は〔4月〕15日,「全避難者の屋内避難」の方針を出した。そして,河野太郎防災担当相による「今日中に青空避難所というのは解消してくれ」というメッセージが,熊本県の蒲島郁夫知事に伝えられた。それに対し,蒲島熊本県知事は,「避難所が足りなくて屋外に出ているわけではない。余震が怖くて部屋のなかにいられないのだ。現場の気持が分かっていない」と嫌悪感を示したと報道された。
 註記)http://mediagong.jp/?p=16564
 ② 河野太郎インタビュー記事:2016年10月13日

河野太郎『朝日新聞』2016年10月13日ディジタル版  以下の紹介では,小森敦司(質問者)の発言は◆,河野太郎は◇である。
 註記)http://digital.asahi.com/articles/ASJBC3JCBJBCULFA00K.html から引用。

 --事故を起こした東京電力は責任を果たせ,できないなら法的整理を。自民党きっての脱原発派としてしられ,5年前の福島第一原発事故のあと東電の法的整理論を唱えた河野太郎衆院議員が,経済産業省が検討を始めた東電に対する支援強化策に対し,フェイスブックなどで厳しい批判を続けている。

 昨〔2016〕年10月,第3次安倍改造内閣で初入閣し,事実上,脱原発の持論を封印していたが,閣僚を退任して「縛り」がなくなったのを機に,東電や原発をめぐる問題への対処法について語ってもらった。河野氏は筋を通すべきだとの「原則論」をあらためて主張した。
 補注)河野太郎が大臣だったその間,沈黙を守っていた事実を,われわれの側ではどのように受けとめればよいのか? 10ヶ月間とはいえ,観方によっては貴重な時間を「脱・反原発」のために充てることを,確実に故意的に禁欲してきた。東電福島第1原発事故の被災者たちや,原発廃絶のために運動している人びとから観た,この河野太郎衆議院議員の,一時的とはいえ計画的な休眠状態は,そう簡単に納得がいくような対応とはみなせない。 

 ★-1 人件費を切れ,発電所を売れ

 ◆ 福島第一原発の廃炉費用が巨額になりそうです。経産省はその費用を賄おうと託送料金に上乗せする策を検討しはじめました。どう評価しますか。

 ◇「東京電力はいまも一部上場で株が取引されていますから,事故の賠償や原状回復は自前でやるのが当然です。たとえば,ある企業が事故を起こして賠償するとき,国に向かって『お金がないので助けて』といっても,『オマエ,なにをいっているんだ』となりますよね。なぜ,東電だけ,そんな特別扱いをするのでしょうか」。

 「単純に考えたい。東電はその費用を捻出するために,人件費を切る,調達コストを下げる。それで足りないなら資産を売る。火力発電所を売ればいいじゃないですか。電力自由化時代,首都圏参入を考えて,どこかの企業が買うはず。なお足りないなら送電網を売る。それでも足りなければ,株式の減資や金融債権のカットをする。そうやって,逆立ちしても鼻血もでない,となって初めて,賠償はしっかりしないといけないので国が出て税金投入も,という話になる」。

 「それが筋なのに,やらないというのは,事故のあと,東電を法的整理せず,変なかたちで株式上場を継続させてしまったからではないでしょうか。私の主張は一貫しています。原発事故を起こしたのは東電。さっきいったようなかたちで,自分で責任を果たせ,と。それが,できないというのなら,法的整理しかありません」。

 ★-2 利益は懐に,ツケは国民に?

 ◆ 託送料金に廃炉費用を乗せるとなると,新電力の利用者も払うことになります。電力自由化をゆがめてしまう?

 ◇「ゆがめるどころか逆行している。原発でつくった電気を使いたくないと,新電力に契約を換えた人がたくさんいる。その人たちにも,東電の廃炉費用を出してほしいとは,いったい何事かと思います。そもそも託送料金は,決め方やその中身がよくみえないですよね。経産省は,そんなみえないところでやれば,世の中は怒らないだろうと踏んだのでしょう」。

 ◆ 電力会社でつくる電気事業連合会(電事連)も,原発事故の除染・賠償の費用も想定より巨額になるとの試算をまとめ,超過分の国庫支援を政府に要望しているとの報道があります。

 ◇「講演で,電事連のことを指定暴力団山口組と並ぶ反社会勢力だと,皮肉を込めていったことがあります。電事連は財務諸表も公開しない任意団体。そうした組織の要望を,国がまともに議論するべきでしょうか。だいたい彼らは,電源別コストの計算で,原子力は事故費用を入れても『安い』とずっといってきた。『安い』のなら,自分たちで対応してください,と。できないのなら,『安い』という説明はうそだったんですね,といいたい」。

 「これまで電力会社は,原発で儲かっていたんですよね。その利益を自分たちの懐に入れて,原発事故が起きて巨額の費用が発生したら国民・消費者に押しつける。そんな話を許してはいけません。電力会社は,これまでの原発による黒字分を返上するとでもいうのですか」。

 ◆ 電力業界としては,国庫から金を出させたい。

 ◇「国庫というか,消費者でしょう。財務省だって,総額がいくらか分からないなかで,国庫から出せるはずがない。繰り返しになりますが,金が足らないというなら,東電は,とっとと発電所を売ればいい,送電網を売ればいいんです」。

 ★-3 「もんじゅ」許した罪

 ◆ ところで,政府はこのほど,核燃料サイクル政策の柱だった高速増殖原型炉「もんじゅ」について,廃炉を含む抜本的な見直しをする方針を打ち出しました。河野さんは,かねて廃止を唱えてきましたね。

 ◇「運転していないのに,炉を安定させておくためだけに年間200億円かかるなんて話は,受け入れられませんよね。それにしても,ここに来るまで時間がかかりすぎました。半世紀,1兆円をかけて,実績といえるようなものが影もかたちもない。『何十年後に実用化します』といった方針のウラに,官僚の『うそ』がありました。政治家も『違うだろ』といわないといけなかった。その罪は重い」。

 ◆ 今回,文部科学省ではなく経産省が前面に出てきました。で,フランスが計画する高速炉「ASTRID(アストリッド)」に協力するというのですが。

 ◇「経産省にしてみれば,自分のところに予算が来るのはありがたい,でも,自力ではできないから,仏との共同研究を考える,と。しかし,アストリッドはどれだけ研究が進んでいるのか,日本になにが求められるのか,などがよく分かりません。高速炉の基礎研究をやるのは構わないと私は考えています。でも,それは,数億円の予算でできる基礎研究の範囲ではないでしょうか。まさか,『もんじゅ』のように,年間200億円はかかりませんよね,と釘を刺しておきたい」。

 ★-4 虚構の核燃サイクルに終止符を

 ◆ その経産省は,核燃料サイクル政策を維持する方針は変えず,難航している青森県六ケ所村の再処理工場もあくまで稼働させるとしています。

 ◇「経産省は,『青森問題』に手をつけるのが嫌なんですね。もし,核燃料サイクルを本当にやめるとすれば,経産相が青森にいき,もはや再処理は意味をなさなくなったので再処理しません,という必要があります。そのうえで,(すでに再処理工場のプールにもちこんだ)使用済み核燃料の貯蔵をしばらくお願いします,そのための費用は,別途きちんとお支払いします,とちゃんと頭を下げないといけない。それがスタートになるはずです。しかし,経産省の担当者は大抵2年で異動するので,この間,この問題をやるフリだけをして,ずっと逃げてきました」。

 「壮大なフィクション(虚構)が続いています。六ケ所村で使用済み核燃料の再処理をしたら,プルトニウムが出てきます。それは従来,『もんじゅ』で燃やす,といっていたのがダメになった,と。(プルトニウムとウランを混ぜたMOX燃料にして燃やす)『プルサーマル発電』があるけど,実際は誰もやりたくない。やはり,先ほど話したようなかたちで『青森問題』に対処しないといけないのですが」。

 ★-5 「イカ文明」にどう伝えよう

 ◆ 使用済み核燃料を再処理して出てくる高レベル放射性廃棄物ですが,まず,地下で300年程度,モニタリングすることが想定されています。

 ◇「300年前,赤穂浪士の討ち入り(1702年)があったときを思い描いてください。電力会社が,そのころに埋めたヤツの管理をしつづけているということですよね。電力会社はそんなに続くんでしょうか? そうして,さらに放射能の影響が消えるまでの10万年,地下深くに閉じこめておくというんですよね。10万年前は,昔習った旧人のネアンデルタール人の時代です。信じられない楽観主義です」。

 「オヤジ(河野洋平氏)が科学技術庁長官のとき,幹部でこんな議論があったそうです。最終処分場の場所はみつかっても,そこが最終処分場だと,はるか後世にどうやって伝えていこうか,と。オヤジはここが最終処分場と書いておけばいいといったら,日本語の文字が読める人間はそのころ,いるのだろうか,と。ならば絵文字は,といったら,下手な絵だと,むしろそれをみて掘り返されてしまうかも,と」。

 「私はそんな話を聞いて,原子力の未来はバラ色じゃないんだ,と思いました。福島の事故のあとに対談した音楽家の坂本龍一さんは,ある科学者の話として,人類のつぎの地球の支配者は『イカ』だ,と。で,このことをイカ文明にどうやって伝えたらいいだろうか,と語っていました。『イカ』にとっても迷惑な話ですね(笑)」。

 ★-6「40年廃炉」が最良の戦略

 ◆ 政府のエネルギー基本計画の見直しにあたって,今度は,原発の「新増設」を盛りこむべきだ,との声も電力業界から出ています。

 ◇「安倍政権は,『原発依存度を可能な限り低減する』といっているので,その方針にのっとって書けばいいだけです。40年で廃炉にしていけば,2050年に日本から原発はなくなります。それが最良の戦略と信じています。この4月,太陽光など再生可能エネルギーが一時,日本の電力需要の2割を超えたという情報を聞きました」。

 「瞬間的にせよ,政府の2030年度の再エネの目標値に相当する数字ですよ。もうそこまで来ている。原発は『安い』といいますが,再エネは燃料費がいりません。欧米の再エネ比率が3割,4割となったとき,日本はエネルギーコストで欧米にかなわなくなります。再エネを増やすほうが,合理性があるのははっきりしています」。

 ◆ でも,原子力村は強い。

 ◇ 「そりゃ,利権の固まりですから」。

 ◆ 最近の選挙でも,脱原発を唱える議員が減っている。

 ◇ 「しかし,昔は私1人だけでした。そのときと比べたら,いまは数十倍に増えています。最近開いた再生可能エネルギー関連の議員連盟の会合にも,たくさんの議員が来ました。今後を決めるのは,そういう議員を,『世の中』がどれだけ支持するか,だと思っています。つまり,あなたが選ぶのです」。
※〈人物紹介〉 河野太郎(こうの・たろう)※

 1963年神奈川県生まれ,米ジョージタウン大卒,富士ゼロックス,日本端子を経て,1996年に衆院神奈川15区で初当選。2002年生体肝ドナーとなり父・河野洋平(元衆議院議長)に肝臓を移植。

 2009年の自民党総裁選挙で次点。2015年10月,国家公安委員長・行政改革担当・国家公務員制度担当・内閣府特命担当大臣(消費者及び食品安全・規制改革・防災)に(2016年8月まで)。

 著書に『原発と日本はこうなる』,『「超日本」宣言-わが政権構想』(いずれも講談社)など。
 ③ 簡単ではないが,ひとまず,まとめ的な議論

 ② のインタビュー記事の応答からわれわれが読みとれるのは「原子力不要論」であり,「原発廃絶論」でしかない。このことは,分かりきった道理でもある。ところが,原子力村の利害共同体・関係諸集団はけっして,原発を止めようとしていない。なぜか?

 a)「原子力村の構成者たち」は,「3・11」の  “世紀に記録される原発大事故”  を起こしていながら,いまもなお,原発の新設じたいをも諦めていない。それどころか,その間において,はっきり目の出てきた『廃炉関係ビジネス』では「大儲けできそうな気配」を嗅ぎ分けている。

 すなわち彼らは,廃炉ビジネスに関係する多種多様な仕事・事業が,莫大な--それも企業予算の枠組など突きぬけた国家予算の次元において--「商売としてのもうけ口」をみこめることを,すでに見抜いている。原発問題をめぐる時代状況は,そうした新段階に移行しつつある。

 というしだいであるから,原発推進だとか脱・反原発だとかいった問題などはそっちのけでもって,なによりもさきに,ともかく金儲けになる原発関連事業があれば「この推進であれ・廃絶であれ」どっちでもかまわない。こんどはこちらの事業領域で「金儲けになりそうな原発関連業務」をみつけだしては,これに飛びついている様相が展開されはじめている。それがいま,原発関連業界を囲む「現実的な動向・利害状況」だという仕儀にあいなっている。日本国の内情を観れば,とくに社会保障費や教育関連費を配慮するとき,原発関連事業に投入されている金額はべらぼうな水準,しかも無駄使いが多い中身になっている。

 現在の日本国は,軍事費(防衛費)とともに原発産業に向けても,いかにも景気よく(気前よく)国家資金を投入してきている。かといって,高速増殖炉の実績とみれば,その成果を挙げているとは,とうていいえない。むしろ逆効果的でしない方向に,やたら無駄金を投じてきただけであった。

 この高速増殖炉(「常陽」と「もんじゅ」の2基)は,四半世紀以上の時間もかけていながら,なんら具体的な結果を出せないままにここまで来た。「もんじゅ」の場合,その着工が1983年1月25日,運転開始が1991年5月18日だった。しかし,商業運転に至るはるか以前の地点で,頓挫状態をつづけていた。

 また関連させて考えるに,軍事費のほうにおける効率の問題(目的追求効率性の観点)でいえば,こちらは「国防問題」にかかわる軍事効率的な運用性が基礎に置かれるものゆえ,通常の経済計算はまったく通用せず,まったく別の「敵軍破砕の撃破効率」(人殺しと兵器破壊の程度)が判断基準である。
 
 高速増殖炉は,投入した核燃料以上の核燃料を生産・獲得できる「夢のような原子炉」だからといって,その名称には『もんじゅ』と名づけていた。ところが,この『もんじゅ』,いまでは「ウドの大木」というかそれ以上に,国家の技術経済的な,事業の産業能率的な,国民の生活経営的なあらゆる側面からみても,無駄使いを,性懲りもなく反復してきた結果しかみせていない。結局,この高速増殖炉の体たらくぶりだけは,これまで変わりなく,さらけつづけてきた。

 そもそもの話,通常型の原発であってもこの新設などを予定しようとする〈理工学にも・社会工学的にもたいそう非合理的で,科学精神において神経をマヒ状態にさせたような基本姿勢〉が理解できない。商業運転に入ってからの原発を,40年以上も稼働させていきたいという技術面に関する感性からして,《悪魔の火》のとりあつかいに失敗してきた体験(とくに,1986年チェルノブイリ原発事故と2011年東電福島第1原発事故)になんら学んでいない。

 b) 昨日〔2016年10月14日〕『日本経済新聞』31面には,つぎのような解説記事が掲載されていた。ここに書かれている論点(主張)もしょせん,原発問題(安全の確保・危険発生への心配)を先延ばしておくための小手先戦術をめぐる理由づけでしかない。にもかかわらず,日本国における原子力村の中心部に居住する一員としての『日本経済新聞』の立場から,率先して「原発の延命政策」に手を貸すかのような記事作りにしかなっていない。ともかくこの記事,なにをいいたいのかに関心を向けて読んでみればよい。以下に引用する。

 --記事の題名は「〈ニュースな科学〉高齢原子炉 徐々にもろく 高浜原発『最長60年』認可 放射線や高温で,安全稼働へ先手の対処」である。

 原子力規制委員会は,関西電力高浜発電所1・2号機の運転期間の20年延長を認可した。いずれも運転期間が40年を超えた「高経年化炉」で,厳しい安全審査を経て60年まで使えることになった。現在は休止中だが,1号機は2019年9月,2号機は2020年4月にも再稼働できる見通し。高経年化すると,どんな点に注意や対策が必要なのだろうか。
 補注)ここでは前述中において河野太郎が,2016年「4月,太陽光など再生可能エネルギーが一時,日本の電力需要の2割を超えたという情報を聞きました。瞬間的にせよ,政府の2030年度の再エネの目標値に相当する数字ですよ。もうそこまで来ている」と断わっていた事実に注目したい。いまさら原発を再稼働させ,しかも老朽原発までもさらに20年を追加して延長稼働させるというのであるから,これは非常に危険な状況をみずから呼びこむ「日本のエネルギー資源構成論」になっている。実に愚かな選択肢をみずから引きこんでいる。

 〔記事本文に戻る→〕 原発は原子炉圧力容器内で核燃料に核分裂反応を起こさせ,発生する熱で湯を沸かし水蒸気でタービンを回して発電する。大量の放射線やセ氏300度前後の高温などのため,炉や配管は時間とともにもろくなり衝撃への抵抗力が弱まる。経年劣化といわれる現象だ。
『日本経済新聞』2016年10月14日朝刊原発画像
 代表的なのは核分裂によって生じる放射線の一種,中性子が圧力容器に当たって起きる「照射脆(ぜい)化」だ。圧力容器は厚さ10~20センチメートルの鋼鉄製だが,中性子のエネルギーによって原子の配列が乱れ粘り強さが低下する。鋼鉄は高温では粘りがあるが,低温だと硬くもろくなる。中性子の累積の照射量が増えると,もろさが増す温度が高温側へシフトする。この温度を「遷移温度」と呼び,脆化の指標に使われる。

 電力中央研究所は実測データや金属組織の観察結果をもとに遷移温度の変化を予測する式を考案し,日本電気協会の規格に採用された。60年運転時のもろさを推定できる。圧力容器の内壁にはあらかじめ複数の「監視試験片」が組みこんであり,何年かごとにとり出して粘り強さを測る。高浜1・2号機ではいずれも運転開始以降,4つの試験片を調べ,ほぼ予測式と合うデータがえられた。

 仮に60年時点で事故が起き,高温の炉を外から水で急速に冷やしたらどうなるかも調べた。炉の内外の温度差によって1センチメートルの深い亀裂が生じても,破壊に対する抵抗力は破壊力を上回るという。試験片に衝撃を加えて粘り強さを実測するにはある程度の大きさが必要だ。現在は角砂糖を5つ並べた程度だが,場所をとり個数も限られるため改良の工夫が進む。

 --記事の引用をここでいったん区切って議論を入れておく。以上までの『日本経済新聞』解説記事における説明は,60年間原発を稼働させてもこのもくろみを大丈夫だといわせるための研究が実際になされており,そのための努力が最大限に傾注されているといったふうな「宣伝のための報道:解説記事」になっている。

 さて,ところが「3・11」以後,原発が全基停止していたときでも,日本の電力は目立った不足もなく,やりくりできていた。原発が作る電力分がなければ,産業経済の活動・生活経営の運用に支障が出るといったごとき事態・次元からは離脱できてもいる。原発の再稼働は自然・再生可能エネルギーの開発・利用の支障・妨害にしかなっていない。日本における電源構成の内容は,「3・11」後における日本全体の改善努力が効果を挙げており,それ相応の成果を記録してきている。

 c) 2014年11月10日に記述されていた題名を「日本全国で『稼動原発ゼロ1年』達成-『自然エネルギー革命』を次のステージへと加速する起点の日に」と称したつぎに引用するある記述は,こう主張していた。
☆ 原発ゼロ1年の日本が現実に ☆

 2011年3月に東京電力福島第1原発で起きた壊滅的な3基の炉心溶融と,現在もなお深刻化する状況によって原発の危険性に対する認識が高まり,日本の原発はつぎつぎに稼働を停止した。

 原子炉を所有する電力会社は,再稼働に躍起になっているが,かつて全国の電力の30%を供給した54基の原子炉のうち福島第1原発の6基は廃炉が決まり,残り48基のうち46基(96%)は過去2年以上,まったく使用されていない。

 そして2014年9月15日,日本は原発からの電力に1キロワットも頼らず,大規模な停電もなく,「日本全国で稼働原発ゼロ」1年を達成する。
 註記)http://www.japanfs.org/ja/news/archives/news_id035086.html 
 断わっておくと,その後,2016年10月現在において稼動中の原子力発電所は3基である。

 にもかかわらず,自然・再生可能エネルギーの開発・利用を阻止・停滞させたいかのように原発の再稼働,そしてとくに,建設後40年が経過した原発までもさらに「20年間を追加して稼働させる」という,まさしく「原発の安全性」(裏返せば危険性)に注意して警告すれば,非常に大きな危惧を指摘しなければならない問題が目前に呈示されている。

 前段において紹介してみた『日本経済新聞』の解説記事は,これから60年間までも稼働させたい「原発の原子炉」,すなわち,とくに「核燃料に核分裂反応を起こさせ,発生する〈圧力容疑〉の耐用問題」について,読者に説得させるつもり=(狙い)だと受けとれる。

 原子炉以外の原発の装置・機械や関連の建屋・付属施設などは,そのほとんどすべてが取替・交換可能な設備であるけれども,問題の焦点は,その原子炉じたいは入れ替えることができず,これをそのまま使用しつづけるために保守・修繕していくしかほかに手が打てないところにある。この焦点に関してこそ,この記事における前後する解説がなされていた。

 ここで,途中で中断していた『日本経済新聞』記事,「〈ニュースな科学〉高齢原子炉 徐々にもろく 高浜原発『最長60年』認可 放射線や高温で,安全稼働へ先手の対処」に戻り,この解説にさらにつづけて聞くことにしたい。

 d)   電中研はデータのばらつきを統計的に処理する方法により,角砂糖半分ほどに小型化しても正しい値がえられることを示した。日本電気協会の最新規格にとり入れられた。実際に照射脆化が引き金となり炉内に傷が生じていないかはロボットを使い超音波で検査し,5ミリメートル以上の傷なら確実に分かるという。高浜1・2号機では作業員十数名が1日24時間,1カ月がかりで炉内の全面と溶接部を検査し異常がないことを確かめた。

 高経年化に伴う現象として,圧力容器内の構造物の「応力腐食割れ」もしられる。ステンレス鋼が強い中性子照射や高温の影響を受け,そこに引っ張り力がくわわったときなどに,結晶の隙間を縫うように亀裂が入り局所的に腐食する。溶接部や燃料を支える構造物,ボルトなどで発生することがある。高周波の電流を流して抵抗値の変化を調べる渦流探傷試験で,1ミリメートル程度の表面の亀裂を検出できる。

 このほか停止・起動に伴い温度や圧力が繰り返し変動し,圧力容器の冷却水の出入り口付近などに「低サイクル疲労」が起きることもある。蒸気発生器のステンレス配管などが長時間熱にさらされ,粘り強さが低下する「熱時効」もしられる。水蒸気をタービンに送る炭素鋼の配管などでは水流で管の厚みが減る「配管減肉」も発生しうる。

 劣化の補修法もある。応力腐食割れならレーザー光を当てたり,水流で発生する泡が崩壊するさいの力を使い,原因となる引っ張り力を解消する方法などがある。ただ,異常がなくても早めに機器や部品を交換する場合が多い。

 高浜1・2号機では数十億円する蒸気発生器や原子炉圧力容器上蓋,燃料とり換え用水タンクなどを交換済みだ。2号機の格納容器内に入ると壁面が塗装し直されており,配管の多くが新しく40年間の使用を感じさせない。炉内構造物も「再稼働後,比較的早い時期に炉内構造物をとり換えたい」という。
 補注)このように,原発・原子炉の維持・補修・保守管理のために経費をかけられる予算があるならば,それよりも自然・再生可能エネルギーの開発・利用のほうにその予算を都合したほうが,よほど実質的にも電源確保に有益である。要は,原発の再稼働・維持利用によってなんとか「収益管理」に貢献できるよう,原発施設・設備管理を保持・改善していくための工夫・手当がなされている。

 だが,しょせんはオンボロに老朽化した,とくに〈原子炉そのもの〉を40年以上も使っていくという意図からして,生産設備管理のイロハに根本から逆らっている「おろかな企画」であるというほかない。もしも「万が一」(この確率:0.0001 はけっこう高いものだが)にでも,オンボロ・老朽原発に事故が起きたりしたら(原発事故を想定することそのものが,実はとうてい許されないのだが),もはやこの日本はまともに機能しえない国家状態に追いこまれる恐れさえある(小松左京『日本沈没』が現実の悪夢として発生する!)。

 〔記事本文に戻る→〕 原子炉内で起きる現象は複雑だ。照射脆化の予測式などの不完全さを指摘する声もある。東京大学教授の関村直人さんは検査や安全性の評価法に「新しい知見をどんどんとり入れるべきだ」と指摘する。今後,廃炉されるものを研究材料として活用したいという。劣化に関するデータを収集すれば,他の高経年化炉の運転延長にも役立つとみている。

 --この最後の段落における意見も興味深い。あくまでも,これからの話題,換言すれば技術的な可能性(「努力していけば」「そのようにできるかもしれない」次元)に関する解説になっている。

 なんといっても「原子炉内で起きる現象は複雑だ」といわれている。「不完全さ〔のなかから通して〕→新しい知見が必要だ」といいながらも同時に,まだ本格的には開始されてもいない日本の原発廃炉事業に関する技術の新しい開発・展開を,いまからあてにしたかのような論調である。

 いかにも危険性に満ちた原発・原子炉を,40年も使用したあとにさらに20年も延長させる試みに関連させては,なんと「廃炉されるものを研究材料として活用したいという。劣化に関するデータを収集すれば,他の高経年化炉の運転延長にも役立つと〈みている〉」と解説されてもいる。

 廃炉事業は現在の時点でいうに,まだまだろくに展開されておらず,経験も少なく,その見通しも明確には説明できな点が多いなかで,原発の再稼働を60年使用する前提での解説記事であったからには,いろいろと「夢や希望」を期待に膨らませて,なにかを語るような内容になっていた。無理筋の話題をいかにも成算がありそうに語ってもいた

 む す び。--『日本経済新聞』はそろそろ冗談もほどほどにして,原発関連の報道・解説をすべきではないか? 原発の,露骨に積極的な推進派ではないものの,実質的なそれに等しい新聞社の基本姿勢が明らかであるが,この経済新聞は21世紀における日本の経済・産業を,いったいどのような未来として展望していながら,以上のごとき,40年も使用してきた原発のさらに「原発寿命20年延長論」を解説しているつもりなのか?

 原発は「経済の論理」で判定すれば,日本においては完全にすでに破綻している。「安全・安価・安心」などの標語(美辞麗句?)をかかげていたが,いまではその面影すら消え失せようとしている段階にまで逢着している〔難破状態である〕のが,原発の「安全とコスト」論である。「経済」新聞の「社会の木鐸」としての使命・役割が,その「経済の論理」性に徹することでなくて,いったいなんでありうるのか?

 河野太郎が批判していたように,「原子力村は強い」のは「そりゃ,利権の固まりですから」と指摘されたさい,『日本経済新聞』も単にその仲間でしかないような立場・思想に,これからも留まりつづけるのか。こういった「問い」を投じておく。「経済というコトバの本来の意味」に変化がないならば,そのような「問い」は執拗に提起されつづけるに違いない。


<転載終了>