親父のホスピス選闘記

親父のホスピス選闘記

78歳の親父は、18年間癌と闘ってきましたが、10月18日ついに淀川キリスト教病院のホスピスに入ることになりました。
でも、生きることを諦めたわけではありません。これから残された日々を、精一杯前向きに、一日を大切に感じながら過ごせたらと思います。

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◎ 淀キリのロビーに掲げられた、マタイ伝の11章

昨日で、親父が亡くなってちょうど3週間。

金曜日の夕方携帯が鳴り、誰かと思い出てみると、

淀川キリスト教病院の医療安全対策課の方からでした。

親父がなくなって直ぐに、病院の医院長宛に親父のことに関する

質問状を出していたのですが、それに対する話をしたいので、

27日(偶然にも親父の四十九日の日)の夕方、

病院に来て頂けないかとの連絡でした。

最高の選択として、親父のために選んだホスピスでの闘病と、

日々癌が悪化する中での退院に納得できなかった事などを

質問状として回答を求めていたのです。

1週間たっても、2週間たっても回答はなく、

このブログでも、「七転八倒の日々その8」を書けずにいましたが、

これで心のキリが晴れるかもしれません・・・。

今週でお仏壇や位牌を富雄から大阪に移すつもりですが、

大阪に親父たち夫婦を迎えたら、

四十九日の日に淀川キリスト教病院に行って来ます。

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淡路ですごした親父の終の棲家となったマンションが片付きました。

冷蔵庫やチェストやお気に入りだった丸テーブルは、

トランクルームへと仕舞い、それ以外は処分です。

思い出の品や小物、帽子屋ステッキは、遺品分けして、

四十九日を無事に済ませたら、田辺の親戚に届けて頂きます。

今週末で、親父が居なくなって、早3週間が過ぎようとしています。

夫婦位牌も発注しましたし、富雄のお仏壇の移動も、

来週に済ませる予定です。

年内に、心残りの無いように全てシッカリと片付けないと。

27日に予定している四十九日に向けて、お礼状や喪中の

葉書き作りなど、一つ一つちゃんとやらないとね。

親父の葬儀やお世話になった方へお送りする歌を作ったので、

ご紹介します。


   ありがたき 小春日和の 秋空に

   清く香りて 華の散るらむ


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奈良の富雄の実家で、親父と母を供養して来ました。

実家のご近所の方々が大勢お線香をあげに来てくださり、

寂しかった実家のリビングが、温かく感じられたひと時でした。

暫くはお線香をお友達にあげに来ていただき、

別れを惜しんでいただければと思います。

夫婦位牌のお願いやら、役所関係の処理などで

バタバタとあわただしいのですが、おかげで少しは気が紛れます。

ふと、立ち止まると、センチになってしまうので、いかんいかんと

思いつつ、慌ただしく日々を過ごしております。

四十九日を今月末に終えたら、年末か年始に、

親父の生まれ故郷の田辺湾に散骨に行くつもりです。

母の残っているお骨も少し加えて、一緒に海に帰してあげます。

疎遠になっていた、従妹達とお酒でも飲めることを期待して

今年を精一杯務めたく思います。


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親父のマンションを月曜日に解約することになり、

部屋を整理して、遺品を分けました。

自分は、親父が大切にしていた祖母から親父がもらった

金杯と親父が好きだった(お葬式でも流しました)裕次郎のCD。

それと、写真アルバムをもらいました。

僅か3か月ですが、慣れ親しんだ淡路の町ともお別れです。

病院への近道も、親父の好きだったたこ丸のたこ焼きも、

近所の野良猫も、サヨナラです。

でも、きっと一生この町でのことは忘れないと思います。

親父が最後の3か月を過ごした町。今までの人生で、

一番親父のことを大切に感じた町。

子供の時以来、何十年かぶりで枕を並べて眠った部屋。

すべてが大切な思い出です。

明日の引っ越しに向けて、これからマンションの解約と、

部屋の掃除に行ってきます。


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早いもので、親父の逝去から夢のような一週間が過ぎました。

親父と過ごした淡路のマンションCアミーユでの日々。

淀キリのホスピスの病室でのこと。

過ぎてしまえば、すべて夢のようでもあります。

ただ、悲しい現実として、

今この世に親父が確実にいないということです。

あの優しい顔、怒った時の激しさ。老いてもシャンと伸びた背筋。

病室や親父の部屋から出るとき、「じゃぁ、また明日」と言って

帰ろうとする背中に、「ありがとう!」 と、

親父が何時も言葉をくれました。

その言葉が嬉しくて、切なくて、何度も占めた扉の前から動くことが

出来なかった。

もっとそばに居てやれたら。癌をなんとかしてやれたなら・・・。

無力な自分が悔しくて、この年になるまで心底気付かなかった自分の

馬鹿息子であることの不甲斐なさで胸が張り裂けそうでした。

週末、親父の遺品を片付けて、淡路のマンションを引き払います。

母の仏壇と親父の遺影、位牌を奈良の実家にお供えして、

両親と親しかったご富雄の近所の皆さんにも、

お線香をあげて頂こうかと思います。



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28日の午前11時半から、天満の公益社会館で行われた告別式が

終わりました。

普段は会えない従妹や叔父さん叔母さんなど、

遠方より駆けつけてくださり、静かに眠る親父の顔を見ては、

涙を流されていました・・・。

「こんな時に、こんな風にしか会えないなんで、無常やね」と、

親戚のどなたかが口にされましたが、それでも、

親父が合わせてくれたのだと考えるように努めました。

疎遠になってしまった私たちを、

親父がまた近付けてくれたのだと。

お葬式のたびに集まる人の馴染みの顔が少なくなっていく。

それが、生きていると言うことの無常だとしても、

これを機会に気付くことも大切なのだと。

遺影の写真には、母の遺影写真に使った半分。

トリミングされていた親父の写真を使いました。

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祭壇の横には、二人で写っているその写真と、

親父の好きだったジャイアンツのマスコットのジャビット君の縫いぐるみ
(これは枕になっていて、病院で活躍してくれました)

そして、親父の若くてハンサムな頃のお気に入りの写真と食べ物を少し

飾ってやりました。

あっという間に告別式が終わり、飾られた花で埋め尽くされた親父の

お棺は、一緒にジャビットや愛用の品を入れて、

大阪北斎場に運ばれました。

最後のお別れをし、お骨になるまでの2時間もあっという間に過ぎ、

すべてがリアルな現実と感じられぬまま、

取り残された想いをよそに過ぎて行きました。

お骨を骨壺に収め、遺影とともに妹夫婦と淡路のマンションに

帰ったのは5時を過ぎた頃でした。

これからやらなければならない問題が山積ですが、

暫くはこみ上げる悲しみとの切ない葛藤の日々になることでしょう・・・。

でも、前に進まなければならないのですよね。

親父にまたしかられます。(T_T)

弔電や御悔みのメール、お花を頂いた方。

お通夜、告別式にお運び頂いた方。

そして、ブログを読んで

お気遣い頂きました皆様には、この場を借りて、心からお礼申し上げます。


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昨夜、公益社の天神橋会館で、
無事にお通夜をお勤めすることが出来ました。

家は浄土宗なので、天王寺・下寺町の源聖寺から
お坊さんに来て頂きました。

お経の後にお言葉を頂きましたが、
それが素晴らしかったので、
簡単にご紹介させて頂きます。
・戒名は、死んだからつけるのではない。
・阿弥陀の徳の一つに 、人の魂を救う慈悲がある。
・死んだ故人には、親しい人を 導くと言う務めがある。
と言うような内容の言葉でした。

最後の喪主の挨拶では、涙を見せないで、
爽やかに親父を送ってやろうと思っていたのですが、
やはり駄目でした(ToT)

親父の癌との18年に及ぶ闘いのはなし。
そして、「清次郎」の名の通りに、
清らかに、真っ直ぐ確りと人生を歩んだ事。
最後は、充分生きた親父が先に逝った母に導かれる様に
旅立った事をお伝えして、挨拶の言葉とさせて頂きました。

そろそろ、8時間前に灯した蝋燭とお線香が消えそうなので、
新しい物に変えて、告別式の準備に係りたいと思います。
昨日の夕方。病院の看護士さんに体を整えてもらった後、

妹と二人、家族で遺体を洗ってあげました。

優しくて奇麗な顔は、まるで、まるで生きているかのようです。

話しかけると、今にも返事をしそうでどうしても涙が止まりません。

淡路のマンションに、親父が返ってきたのは夕方の5時過ぎです。

公益社の方の車に乗って、2週間ぶりの我が家です。

ベッドに寝かせ、金の掛け布団で眠っています。

お線香をあげて、末期の水で唇を浄めてあげました。

今日のお通夜は、涙を見せない様にする。

と、決めたのですが、難しいかもしれません。(T-T)

でわ、天神橋の公益社会館に行ってきます。

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2010年11月26日、正午12時ちょうどに、

親父が78歳と6ヶ月の天寿を全うして、旅立ちました。

このブログをお読みの方にも、あまりに突然のことと思われる

かもしれませんが、七転八倒の日々の後、再入院、そして

余命1週間の告知を受けて、昨日深夜より呼吸と脈が乱れだし、

今朝6時よりベッドの横で見守りましたが、正午丁度に

天上り迎えに来た母に連れられるように、笑顔で召されました。

まるで安らかに眠るような表情です。

七転八倒の日々、その7以降の親父の選闘記は、

お通夜・告別式を無事に済ませた後、再開したいと思います。

しばらく、お休みさせていただきますことを、ご理解くださいませ。

R.I.P.親父!!
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◎病室の親父(今はさらに痩せてしまいました)

親父からの電話は、体調の悪化を知らせるSOSでした。

「直ぐに行くから、もうちょっと辛抱して!!」

電話を切り、アミーユのケアマネージャーに電話するとともに、

慌てて車に飛び乗って淡路にある親父のマンションに駆けつけました。

部屋についてみると、ヘルパーさんが介助してくれていて、

親父はベッドに腰掛けて、少し肩を落として疲れた表情でしたが、

こちらを見て少しはにかんだ様子です。

「大丈夫?」そう言うと親父は、「ちょっとましになった・・・」

と、申し訳なさそうに頷きました。 人気ブログランキングへ

それから直ぐに淀川キリスト教病院の外来介護のセンターに電話し、

再度処方したお薬を届けて頂けないかお願いしたところ、

薬は家族化本人でなければ受け取れないとのこと。

直ぐにホスピスに電話し、担当の先生に連絡頂けるように

お願いしました。しばらくすると担当のK医師から電話があり、

処方するので病院まで取りに来てほしいとのこと。

親父の症状が落ち着いた頃、マンションから徒歩5分にある

淀川キリスト教病院へと向かったのです。

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