私が「保育ピアノ」に情熱を持って取り組んでいるある一つの理由 | 【牛久・ひたち野うしく・つくば・みどりの】ピアノ・エレクトーン音楽教室♪ヒロミ ミュージック ルーム

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牛久駅から車で10分のつくば市森の里にあるピアノ・エレクトーン教室です。ピアノ&エレクトーン同時レッスン・アンサンブルコース・保育ピアノ・大人コース
現在3歳〜94歳までの生徒さんが楽しい音楽ライフを送られています!音楽で心を磨いて毎日キラキラ輝きましょ♪

私は、保育ピアノで困っている方々のお手伝いをできる限り多くしていきたいと思い、ずっと長年レッスンをしてきております。

その理由は、コード奏法の初歩をわかりやすく説明するのが得意だったり、いくつかあるのですが、

今日は、その中でも大変大きな一つの理由について話したいと思います。


遡るは、18年前。

私は、身寄りが全くない茨城県で、病気妊婦のまま、息子を2ヶ月半早く、超未熟児で出産致しました。

本当に苦しい妊婦で、お医者さんしか頼りがないのに、「気のせい」と片付けられ、

初めてなので、具合の悪さがどうして良いかわからないまま、

ある日とうとう入院となりました。

受け入り病院がなかなか見つからず、救急車で、3つくらい大きな総合病院を回りました。

そんなこんなで、産んだのですが、ずっと、入院。。

生まれた子には全然会えない。。

個室で、気が狂いそうな程ナーバスでした。

退院してからも、通常の赤ちゃんとは、月齢が違うので、何を参考にして良いかわからず、
こんな小さな赤ちゃん、すぐ壊れてしまいそう、、


私みたいな頼りない人間が上手に育てていけるのだろうか、、

これから先の長~い道のりに対しての責任感へのプレッシャーに押しつぶされそうにもなり、

・・とりあえず、今は、死んじゃわない様に・・

と、目を見開いていて、緊張もしていて、全然夜も眠れなかった事を覚えています。


1ヶ月検診、3ヶ月検診に出かけても

「わー小さなあかちゃんね~」

「目~見えてるの?」
 
なんて言われたりすると、しっかりと落ち込んでしまったりして、、


その当時、巷の明るい赤ちゃん雑誌やコミュニティが苦手だったので、パラパラと見ていたのが、これ。
 
私が中学生の頃の保険体育の授業で作成したもの。
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自分の生まれた頃からの様子や、子育てについて調べ上げたものが何ページにも渡って結構細かくまとめてあります。
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後ろの方には、当時の学校の先生数名による、出産、子育て、男性の先生は立ち会い出産した時の様子などが、かなり細かな表現でドキュメンタリー形式で書いてくださったレポートの印刷が閉じてあります。

今見ても、当時の先生方の熱意が凄く伝わってきて、胸が熱くなります。

これをなぜか私は、ずっと大事に持っていて、一人暮らしを始めた時も持っていき、どこに引っ越そうが、ずっと持って行ってたのでした。

まさか、本当にこんなにパラパラと頼りに眺める日が来るとは・・・
 
息子はとても可愛いので、一日一日の日々は生きていくことは出来るのですが、

それでも、私の体調も気力も一向によくならないので、


このままではダメだ!!!


と、思い、息子が5ヶ月になった頃、まだ通常の5ヶ月の成長とはなっていないけど、

本格的に仕事の再開に伴い、保育所に話に行きました。

その当時の園長先生がとても心優しく対応して下さり、

「大丈夫よ、お母さん。何とかしますよ!」

と言って下さった言葉にポロポロと泣いてしまった事は今でも忘れません。

0歳児クラスに入った息子。

担当してくださったのはベテランのY先生。

Y先生は、とても明るく、私がどんな感情の時にお迎えに行っても、

全く変わらない態度で私と接して下さるんです。

こんなに小さな赤ちゃんを預けてしまっている負い目。
保育所に預けないとならない様な仕事をするのは、逃げなのではないか、という負い目。

しかし、Y先生は

「おかえりなさーい!!」
「まあ、お母さん今日も素敵ね」
「お母さんって、お料理上手なのね~、、私も毎日、夕食の献立の参考にしてるのよ(o^-')b」
「○○ちゃん(息子の名前)、今日初めて寝返りが出来たのよ!お母さんも一緒に見ましょう!」
「○○ちゃんは○○が得意で、かっこいいわ~、お母さんに似たのかな(^_^)!」

など、とにかく私へのケアが素晴らしくて、、
 
そして、当時とても気にしてしまっていた、他の子との月齢の差。
 
Y先生は、この月齢の差を真正面から受け止め、差があって当然という視点から話して下さり、
 
時に差があった状態での日常の様子、
時に全く他の子と同じ状態だった日常の様子
 
先生のこの正直な姿勢に信頼を抱き、

私は、心底救われたのです。

当時、私はベーチェット病という難病にもなったばかりで、その辺りも重なり、

今後どう生きていったら良いのか、闇の中をさまよっておりました。

そんな日々でしたが、本当は全然マメでは無い私が、必死にずっと書き続けた保育日誌。
毎日の先生とのこの日誌のやり取りだけが、当時の私の救いでした。

お料理を毎日褒めてくれる先生のおかげで、お料理するのもとても楽しい、

張り切って仕事をする事、

前向きになるためにおしゃれしたり自分のための勉強が堂々と出来ること、

全部、これでいい!!

迷ったっていい。

間違ったっていい。

失敗したっていい。

困ったら我慢しないで頼ればいい。


そう思わせてくれたY先生。

お陰さまで私は、とにかく、子育てや生きていく事にどんどん前向きになったのでした。
 
0歳、1歳、2歳、3歳までこの保育所でお世話になりました。
 
クラスの先生方がピアノが大変という話をよく聞くようになり、
 
時々相談に乗ったりもしていました。
 
その後、私立幼稚園に移ったのですが、ここは本当に毎月行事が目白押しで、そして毎日朝から帰るまで、ずっとピアノを使って保育をしておりました。
 
お誕生日会などで行われていたホールでのパネルシアター。

BGM担当の若い先生が、ずっと必死に次に弾く音符をドキドキしながら指を動かして待っていました。 
 
凄く苦しそう・・
 
私は、こちらの園でも時間外保育にお世話になりましたので、夜にお迎えに行くと、
 
先生方は、振り付けの練習、作り物作業、と、とにかくとっても大変そう。。
 
そんな状態なのに、ピアノを弾かねばならない・・
 
ピアノが苦手な先生にとっては、本当に苦しいだろうな、と思いました。
 
やはりここでも私は、先生方のピアノの相談にのったり、時には卒業ソングのアレンジを頼まれたりして、、
 
何が大変なのかが、よくわかって来て、
 
あ~、私が伝えられること、教えてあげられる事って、あるな~、
 
と思ったのです。
 
もっと楽になる方法、
毎日もっと楽しく過ごせる方法、
もっと本来の保育に力を入れられるために、どうピアノと向き合うか、
 
ピアノの先生と違って、保育の先生方は、ピアノを始めた時期が本当にマチマチです。
 
4才頃から長年弾いてきている先生もいれば、
子供の頃、数年習っていてその後ブランクがある先生、
ご自身の進路が明確になり、学校に入ってから始めた先生、
 
それはそれは、同じレベルというわけにはいかないのは当然ですよね。
 
どのくらい練習したら、追いつくのか、
どのくらい年数経てば追いつくのか、
弾いても弾いても全然上達しないのはなぜか、
どうしていつまでも・・・・
 
など、この様な事はなかなかわからないものだ、ということも、先生方を通してよくわかりました。
 
基本的なじっくりと地道につけていく技術の他に、
今、仕事として働いている方は、今、すぐに効果がある方法も知りたいものです。
 
そんなヒントを伝えられたら、私でもお役に立てるな、と思い、
 
ずっと保育の先生のレッスン、これから保育士さんになりたい方のピアノレッスンをしてきています。
 
そして、私が、息子の保育所で助けていただいたY先生の様に、
 
どんな時でも、変わらぬ姿勢で、その時に困っている事の力になってあげたい、
 
少しでも心がホッとしてもらいたい、
 
好きな保育という仕事、自信をつけて、もっと保育業務が大好きになってもらいたい、
 
子供たちを心底愛してもらいたい、
 
私の様に、保育の先生によって、救われるお母様方もたくさんいる事も知ってもらいたい、
 
そんな思いが私にはあります。
 
 
私は、Y先生の様に、という姿勢は、10年勤務した専門学校非常勤講師の時も、音楽教室の生徒さんに対しても、今でもずっと変わらずにいます。
 
お陰さまで、心で接すると、想像以上の真心がたくさん返ってくるのです。
 
なので私はもう誰に関しても、愛と感謝でいっぱいですね。
 
こんな幸せのヒントを授けてくれたY先生。
 
実は2年前、息子が入所していた保育所で先生をしている知人と道でばったり会い、
 
「今、Y先生、またここにいるよー!」
 
と、鳥肌ものの話を聞いたのです。
 
そして、知人が間に入って下さり、
 
10ウン年振りかの再会を果たしたのでした。
 
もう号泣もんなのは言うまでもありません!
 
息子自身は、あかちゃんだったのでわからないでしょうけれど(^_^;)。。
 
そして、また感動が一つ。
 
私が、先生とさよならをする時、思いのたけを手紙に書いて渡しました。
 
その手紙を今でもずっと大事に持っていてくれて、
 
見せてくれたのです。
 
その手紙を読んだ私は、もうまた涙が止まりません。
 
私と息子を救ってくれたこと、
私がどれだけY先生に助けられていたかという思い、
今後、私が母として、先生として、人として、女性として、こんな風に生きていきます!という様な決意が書かれていました。
 
この文を読んでなぜ涙が止まらなくなったのかは、
 
この時の私の気持ちが今でも全くぶれていない、
 
ずーっと生き続けているんだな~、という事に、
 
また今、時を経て救われたのです。
 
Y先生は、おっしゃってくださいました。
 
長年やってるとね、、いろいろあって、、信念持ってやっていても、私の考えはもうダメなのかな~、と思うときもある。
 
でも、この手紙を読んで、いいんだな、私はこれでいいんだよな、
 
と、励まされた、と。
 
本当に、真心は巡り、回り続けますね(*^_^*)