夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

年金生活11年生の私、働いて下さる諸兄諸姉に、感謝を重ねて・・。

2015-06-19 13:22:08 | ささやかな古稀からの思い
今朝6時過ぎ、新聞を取り込む為に玄関の軒下に降り立つと、雨が本降りとなっていた。

こうした中、門扉の前の道路で、40代風の男性がスーツをきっちりと着て、傘を差して、
ビジネスバックを提げて通り過ぎて行った・・。
この後、やはりスーツを着た男性2名が足早に通り過ぎて、ぼんやりと私は眺めたりした。

まもなく私は、もうあの職責で奮闘した時代には戻れない・・、
と私は心の中で呟(つぶや)いたりした。
          

私は過ぎし東京オリンピックが開催された1964年(昭和39年)の秋、私は大学を中退し、
映画・文学青年の真似事をし、明日が見えないような生活をしたが、
やがてはかなくも敗退した。

そして止(や)むえず何とかして民間会社に中途入社したい為に、
あえて苦手な理数系のコンピュータの専門学校のソフト科に、
1年間ばかり学んだりした。

やがて1970年(昭和45年)4月、この当時は音響・映像メーカーの大手のある民間会社に、
知人のご尽力もあり、何とか中途入社が出来たのは、25歳の時だった。

まもなく創立された外資系のレコード会社に移籍させられ、
音楽に直接に携わる制作畑でなく、上司より叱咤激励されながら、
商品、情報、経理、営業に配属され、何かと悪戦苦闘が多い中、奮戦して、
やがて2004年〈平成16年〉の秋に定年退職した身である。
          

この間、中小業の多いレコード会社であったので、
幾たびリストラを何とか障害レースを乗り越えて、
最後の5年はリストラ烈風の中、はかなくも出向となったりした。

出向先は、各レコード会社がCD、DVDなどの音楽商品を委託している物流会社で、
不馴れな職場で、自分の敵は自分です、と自身を叱咤激励したりした。

こうした中で、先輩、同僚、後輩の一部は、やむなく退職を余儀なくされ、
私は何とか定年退職を迎えることができたので、敗残者のようなサラリーマン航路を過ごした。

このように私のつたないサラリーマン時代であり、
一流大学を卒業され、大企業、中央官庁などで、38年前後を邁進し栄達されたエリートとは、
私は遥かに遠い存在である。

私は定年退職するまで人生は、何かと卑屈と劣等感にさいなまれながら、つたない言動も多く、
せめて残された人生は、多少なりとも自在に過ごしたと思い、年金生活を始めた・・。
          
          
世の中の数多く60代の諸兄諸姉は、人生の苦楽を重ねた後、何かと安堵しながら、
第二の人生は身も心も溌剌と過ごせる人生の黄金時代と称せられるゴールデン・イヤーズの中、
知人、友人から何かと嬉しい、楽しげな便りを数多く受けたりしてきた・・。

そして私も過ぎ去った60代の年金生活の10年間の日々は、私の人生の中で何より安楽な時代、
と思い重ねたりして享受してきた・・。
                               
私は東京の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅に住み、
私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、我が家は家内とたった2人だけの家庭であり、
雑木の多い小庭に古ぼけた一軒屋に住み、お互いの趣味を互いに尊重して、日常を過ごしている。

そして私は年金生活の当初から、平素の買物を自主的に専任者となり、
独りで殆ど毎日のように家内から依頼された品を求めて、買物老ボーイとなっている。

こうした中、最寄のスーパーに買物に行ったり、
或いは駅前までの片道徒歩20分ぐらいのスーパー、専門店に行ったりしているが、
根がケチなせいか利便性のよい路線バスに乗るのことなく、歩いて往還している。

その後、独りで自宅から数キロ以内の遊歩道、小公園などをひたすら歩き廻ったりして、
季節の移ろいを享受している。
 
この間、私は66歳の時に糖尿病と診断され、青色吐息となる中、
食事の改善とひたすら歩いて、何とか克服してきたりした。

そして糖尿病の再発防止もさることながら、何よりも怖いのは認知症であり、
もとより健康でなければ、自身の日頃のささやかな願いも叶わないので、
ひたすら歩くことが多くなっている。
                                              
この後の日中の大半は、居間で過ごしたりすることが多く、
何かと随筆、ノンフィクション、現代史、総合月刊雑誌などの読書が多い。

新聞は『読売新聞』を40年近く購読しているが、気になり記事を更に深く知りたい時は、
総合ビジネス情報誌として名高いビジネス情報サイトの【ダイヤモンド・オンライン】に縋(すが)り、
多々教示されている。

ときおり映画に関しては、20世紀の私の愛してやまい作品を居間にある映画棚から、
DVD、ビデオテープなどを取りだして、テレビを通して鑑賞したりしている。

或いは音楽を聴きたい時は、やはり居間にある音楽棚からCD、DVDなどを取りだして、
聴いたりしている。

このような年金生活を過ごしているが、何かと身過ぎ世過ぎの日常であるので、
日々に感じたこと、思考したことなどあふれる思いを
心の発露の表現手段として、ブログの投稿文を綴ったりしている。

そして日常生活で、昼下がりのひととき眠くなったら、
いつでも昼寝ができることは、年金生活の特権かしら、と享受する時もある。
              
こうした中で、ときおり我が家の小庭の手入れをしたり、友人と居酒屋など逢ったり、
家内との共通趣味の国内旅行を幾たびか重ねている。

現役サラリーマン時代は、殆ど2泊3日ぐらいの日程であったが、
年金生活を始めると日程の制約から解放されて、5泊6日前後の旅路が多くなっている。

こうした中で私たちは観光ホテルなどに滞在して、周辺の山里、遊歩道、街並みの中を歩きながら
その地の情景を観ながら風土、文化を教示されて、遊学したりしてきた。
          
                
年金生活の我が家の基本は、厚生年金、わずかな企業年金を頂き、通常の生活費するのが原則としている。
しかし共通の趣味のひとつである国内旅行、或いは冠婚葬祭などの思いがけない出費などに関し、
程々の貯金を取り崩して生活している。

こうして私たち夫婦は経済的に贅沢な生活は出来ないが、
働らなくても何とか生活ができるので助かるわ、
と家内がときおり、 呟(つぶや)くように私に言ったりするので、私は苦笑したりしているのが、
我が家の実態である。
     
このように私は安楽な年金生活を過ごしてきたが、もとより年金が基盤となっている。
          

日本の社会保障制度の年金、医療、介護の基盤は、
高齢者が使う費用は、その時の現役世代が保険料や税で負担する財政方式(賦課方式)を取っているので、
働いて下さる現役世代の諸兄諸姉が、その時の高齢者を支えている現実がある。

そして年金も現役世代が払う保険料で
高齢者に年金を支給する「世代間扶養」の仕組みを取っているので、
団塊の世代が65歳を過ぎた現在、社会保障を長らく支えてきた団塊の世代が、
「支えられる世代」となって、若い世代に重い負担を強いることになってしまった現状である。

そして周知の通り、失われた20年での中、政治は混迷、経済は低迷、そして社会も劣化し、
ここ10年は特に、たえず短期に成果を問われる勤務となり、
たとえ大企業の正社員であっても、常時リストラ時代と称せられ、安住できない時代となってきた・・。

こうした過酷の中で働いて下さる現役世代の諸兄諸姉の人たちは、
このように熾烈な状況の中で奮戦している。
          
  
そして過酷な現実として、年金、医療、介護なとで、毎年一兆円が増加している。

こうした状況が放置すれば、現役世代の諸兄諸姉からすれば、高齢者は過重負担する人たち、
と思いながら険悪し、粗末にする風潮も予測できるので、
私は働いて下さる諸兄諸姉に、ときおり感謝を重ねたりしている。

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