夢逢人かりそめ草紙          

定年退職後、身過ぎ世過ぎの年金生活。
過ぎし年の心の宝物、或いは日常生活のあふれる思いを
真摯に、ときには楽しく投稿

雪舞い降る情景に、東京の田舎者の私は、圧倒的に魅了されて、独り微苦笑をして・・。

2018-01-21 13:25:45 | ささやかな古稀からの思い
私は東京郊外の世田谷区と狛江市に隣接した調布市の片隅みに住む、73歳の年金生活の身で、
雑木の多い小庭の中で、古びた一軒家に住み、私たち夫婦は子供に恵まれなかったので、
たった2人だけ家庭であり、ささやかに過ごしている。

そして私の生家に近くにあり、この地域に私は結婚前後5年を除き、早や68
年となっている。

今朝、ぼんやりとテレビでNHKの気象情報を視聴していると、
明日の22日は、本州の南岸付近を低気圧が通過するため、東京23区を含む関東の平野部で積雪が予想され、
気象庁ではこのため、雪や路面凍結による各交通機関の乱れなどに注意するよう呼びかけています、
と報じていた。

そして私は、明日の午後は雪かょ・・と微苦笑した後、過ぎし年を思い馳せたりした・・。

         

私は今の住んでいる近くに生家があり、1944年(昭和19年)の秋に農家の三男坊として生を受けて、
遥か65年前の頃は、この冬の時節に30センチ前後の雪が降っていた。

私は地元の小学校に入学したのは1951年(昭和26年)の春であり、
初めての冬を迎えた時、こうした中で雪が降り、登校した・・。

私はゴムの長靴の中に、母か父の妹が未婚だった頃の叔母の助かれながら、
藁(わら)を敷き、赤くなった唐辛子を少し入れ、番傘を差して、家を出た。

家、周辺は雪が降り積もり、空からは雪が絶えず舞い降り、ときおり風が吹き、
ゴム長靴は雪の中で埋もれてしまったので、30センチは越えていた、と思われる。

そして駅の最寄の小学校までの通いなれた通学路は、この時は無視し、
祖父、父の知人の畑も雪に埋もれていたので、この中を吹雪いていたが一直線で登校した。

小学校は木造の二階建てであり、教室の片隅にあった木造の一間ぐらいの正方形の火鉢(ひばち)があり、
この当時のこの地域の村立小学校に於いては、
コークスはもとより、石炭も使用される前の時代であったので、
正方形の中心に簡易に造ったブリキの中で、炭を熾(おこ)してあるか、薪(まき)が燃やされていた。

私たち学童は、この木造の一間ぐらいの正方形の火鉢(ひばち)を囲みながら、
衣服に雪がまといついたのを払いながら、
雪深く、吹雪いた中をよく無事に学校に着いたと、子供心にお互いに健闘し合ったりした。

そして、学級のクラスの中で10数人欠席したので、
あいつ、こんな雪で休むなんて・・と互いに悪口を言い合っていたりした。

下校のひととき、私も番傘でチャンバラの真似事をし、番傘の数箇所が破れ、帰宅後に母に怒られたりした。

このように毎年、冬の時節は、少なくとも数回は降り積もった。

                              

この後、1955年(昭和30年)の頃から、都会などに住んでいた御方たちが周辺に家を建てられ、
私が小学校を卒業した1957年(昭和32年)の3月であるが、
この頃になるまでベットタウンの住宅街に急激に大きく変貌した。

やがて1964年(昭和39年)に東京オリンピックが開催された時代になると、
数年に一回程度、15センチぐらいが降ったりしたが、この間は殆ど数センチ前後の小雪となっている。
                        

こうした幼年、少年期を体験した私は、この時節の寒い時期を迎えると、心の奥底に雪恋しとなり、
私が40歳を過ぎた頃から、家内と共に毎年、この時節になると幾たびか北の地域に旅行し、
雪の情景を享受してきている。
                          
私たち夫婦の冬の旅路は、独自の周遊プランを旅行代理店に依頼したり、
或いは通販のクラブツーリズムの滞在型プランを利用して、
観光ホテル、リゾートホテル、旅館などに滞在して、周辺を歩き回ったりしてきた。

そして私たち夫婦は雪舞い降る山里の路、街の中を歩くことは30年を体験してきた。

          
ここ15年ぐらいは、こうした時に愛用してきた軽登山靴はマイナス15度ぐらいの耐久のマインドルの靴で、
家内はマイナス30度に耐えられるアクの軽登山靴として、
お互いに滑り止めとして簡素なゴム製の金属製スバイク付いた品を装填している。

そして私は肌着の上に冬のスポーツ・シャツ、ジャケット風の襟(えり)のあるフリース、そして防寒コートとすれば、
マフラーはフリースの襟が首回りまであるので不要となっている。

そして帽子は、私は山岳用を愛用し、家内のはロシア婦人がかぶる様な形のを気にいっている。
このような容姿で私たち夫婦は、厳冬の中の雑木林の道、山里、そして街中を歩き廻ったりしてきた。


こうした中で、その地のお住まいの人たちと立ち話をしたりして、その地の風土、文化を学びながら、
雪舞い降る時、そして雪晴れの時などの冬麗の圧倒的な情景に感動させられたりしてきた。

しかし時には風が烈風になると、1メートル先も視界が閉ざされた過酷な世界になるが、
わずかながら体験をしてきたが、お住まいの御方は日常生活の除雪などの重労働などを思い重ねると、
あくまで遊学の旅人の身勝手な思いでもある。

私たち夫婦の冬の旅路は、私のサイトのカテゴリー『旅』で、
つたない投稿文で記載してきたが、今回は省略する。

          

このような思いをぼんやりと思い馳せたりしたが、家内は家内の母の介護で、
家内と家内の妹は交互に、大半は家内の母宅に宿泊して、
家内の母の食事、洗濯、掃除、或いは通院の付き添いなどしている。

この間、我が家は私が『おひとりさま』の生活をしているが、
落ち着いて雪が舞い降る旅路は、当面延期だよなぁ・・と独り微苦笑したりしている。

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