クタビレ爺イの山日記

諸先達の記録などを後追いして高崎近辺の低山中心に歩いています。

榛名神社から氷室・天目山周回 H-28- 5-19

2016-05-20 15:58:09 | 榛名湖周辺
天気も最高なので榛名周辺を一回りする計画。過去に数回(最後は三年前)に
歩いたコースで榛名神社から関東ふれあいの道(群馬県NO.15 ヤセオネ峠を
終点とする榛名山の道)を辿って旧天神峠、氷室山と天目山を経て幡矢ヶ岳に
向かって道無しの南に急下降して湯ノ沢峠(仮称)から地形図上の破線を
辿って榛名川支流の巨大沢を下り神社に戻ってくる予定。

榛名神社へはゴルフ場通いで慣れ親しんだ室田経由。途中の一の鳥居が
新品になっていた。この鳥居は本殿から9キロほど離れた上室田町にあるが
皇紀2600年(昭和15年)を記念して昭和17年に建てられたもので
柱の腐朽が進み危険になったので昨年建て替えられたもの。



33号線を上って榛名神社参道との分岐に再び新規の大鳥居があるが
こっちは「榛名歓迎ゲートタワー鳥居型」で同じく昨年の建設。
駐車場は数箇所ある参詣者用の無料駐車場の内、最上部を利用(9.03)。



神社の鳥居を潜って随身門を通過。時間が早いせいか参詣者は殆ど居ない。



朱塗りの禊橋を渡る。下を流れる川は榛名川支流の禊川。



結構傾斜のある参道を進んでこの石段の所の分岐で参道と分かれて
右のふれあいの道に入る。ここの石段脇には塩原太助寄進の玉垣と彫られている。
塩原太助は利根郡新治村生まれの1743年~1816年の人。炭屋奉公から身を起こし
大商人に成長。 私財を投じて道路改修や治水事業などを行ったとされる。
その塩原太助が、江戸へ出る時に榛名神社に祈願をし、
成功した後、この玉垣を奉納したという。
施工は高遠石工の藤沢政吉、天神峠にある太助寄進の巨大な石灯籠と
同じ石工だ。



やがて右手の対岸に「瓶子(みすず)の滝」。滝の両側の岩が神酒を
入れる器(瓶子:みすず)に見えることから名づけられたと云われる。
但し、この写真は夕日を浴びる帰路に撮ったもの。



更に進むと榛名町番所跡。設置は寛永8年(1631年)9月、廃止は明治2年
(1869年)1月。信州大戸通りの裏往還の通行を取り締まった。



手前に往時の名残を示す道しるべ、どうやら破損した石灯籠の胴部分らしいが
文字は「いかほーー」以外は読み取れない。



その右に矢張り読み取り不能の石碑。記録では芭蕉句碑で『奥の細道』の旅の途中で
詠んだとされる「あかあかと日はつれなくも秋の風」元禄2年(1689年)7月の作。



直ぐ先に古めかしい砂防堰堤。国登録有形文化財の砂防堰堤との表示があり
1955年建設の高さ17m、練石積の堰堤でこのタイプは県内には5基。
平成16年に(社)土木学会から選奨土木遺産の賞を受けているとの事。



堰堤乗り越えは左手の木枠段を登る。



途中で樹葉から九折岩が見えるが逆光で黒にしか写らない。



分岐を右下への道を辿って再び河原を進むと最初の道標。ここから天神峠まで
1.7Kの表示、駐車場所から既に1K歩いているから全長は2.7Kで比高は290m。



左斜面に入る木枠段。



途中で右下を見ると帰路に使う河原が良く見えるが草が深いのでやや不安。



斜面に中腹に上ると横走りの遊歩道、ベンチも設置してあるので一休み。



道標のある軽い登りの道を進む。



谷側の崩落で危険箇所には丁寧な木道。



やがて三つ角の分岐。左へ行けば200mで県道、切り返しのような右の道に入る。



足元には初めてのふれあいの道の標識。



木枠段で急下降して前進。



草茫々ながら野趣満点の右の道を選択。



振り返れば青葉の中につつじも散見される。



突然、鎖付きの木枠段で高度を上げると



新品の様な堰堤、銘板を見ると平成24年。



堰堤脇を通過すると工事に使ったらしい無粋な作業道がクロスするが右の
遊歩道を選択。



やがて「常滑の滝」、滝の上に新堰堤も見えるが足場が悪い感じなので
今回も接近はしなくて通り過ぎ。



再び作業道に吸収されてしまった。



右旋回しながら木橋で沢を渡り



低山特有の笹原の道。



左土手に「丁目石」、「二十二丁目」と読めるがかつて資料館で聞いたら
あれは製薬会社が設置したもので側面には「あせしらず」との宣伝文句が
彫られているとか。幾つ存在したかは不明だが現存は榛名湖畔のものと
これとの二基だけらしい。



木道で次の堰堤の前を右旋回で通過すると



こんな道標を見る。



最後の沢渡りを過ぎると



直線コースで前方に旧天神峠の広場が近い。



そして旧峠の広場に到着。道標には天神峠の表示は無い。現在の天神峠は33線沿線に
移っているから(10.57)。



広場の北側には古い道しるべ。「右いか不」の「不」に見えるのは「本」の崩し字で
「ほ」と読ませるので「右 いかほ」、左の「あがつま」の下に半分見えないのは
「道」の崩し字。従って「左 あがつま道・善光寺道」。
でもこの広場は何だったのか分からない。勝手に推量すると下の数基ある新堰堤工事で
使った資材置き場か工事事務所跡?



日陰のベンチで相当張っている脹脛を休めるため長い休憩。これからの氷室山への
登りは0.3kなのに比高が110mあるので年寄りにはやや苦しい。団体に追われると
ペースが乱れてまずいので辺りに耳を澄ませ後続が無いことを確認してから出発。
最初は木段で一歩一歩とマイペース(11.10)。



途中で左が開けたので榛名湖の対岸の烏帽子を撮っていたら上から一人急ぎ足の
下山者、春日部からの団体登山で事故が出たので救援を要請に行くと。
どうやら怪我人ではなく貧血のような症状で倒れたとの事。中高年の団体登山は
体調が揃っている訳ではないから難しい事も起きる。幹事さんは大変だな。



木段の次は手摺の付いた石段。



再び木段。その終点で大団体が停滞、病人が寝かされてあり、数人が付き添いで
残ってあとの大多数はそのまま、進行していくので爺イも後について行く。



今度は榛名富士が姿を現す。



そして氷室山到着。道標はあるが支柱に書かれていた山名は消えており、トップに
付けられていたN.G氏の名刺版標識も無くなっている(11.36)。



団体が下山して行くのを見送り距離を置いて木枠段を70m程急降。



今度は湖面の彼方に鬢櫛山。



鞍部に下りて0.8k先にある比高120m位の天目山に向かう。



先ず出て来るのは手摺付きで大助かり。



こんな山道に掛かるがこっちの方が登山気分。



一寸段差があって体の引き上げに苦労する木枠段。



右旋回の曲がり角に見覚えのある宮標石。



殆ど高度差の無い笹原を通過。



草むらの中に関東ふれあいの道の道標を見ると



天目山への最後の直線登り。



山頂の宮標石に到着だが団体で満員で昼食・休憩の空きスペースは無い(12.27)。



トップに山頂標識のある道標を撮って南の稜線に下る。



大分下ってからこのマークの下で漸く腰を落ち着ける。



休憩後、足元の杭を確認してから出発。ここからは道無しの低山の醍醐味(12.54)。



途中でマークが散見される。こんな所を降りる人も居るのかと思うと心強い。



前面は何処を歩いても大丈夫と感ずる広い斜面風だが左右に窪の気配があるので
微かに尾根の感触もある。



目印はこの正面の幡矢ヶ岳1271m峰。最初はこの山が左目に見えるようにやや
右寄りに進み途中から正面に来るようにする。



又、目印。適当に歩いているが本筋は外していない証拠。



この目印辺で笹原が切れるのでやや左に向きを変え、左の窪縁を進む。



小高い処の先を右旋回しながら通過して再び南に。



そして峠着。直進は幡矢ヶ岳への尾根。比高約210mの直滑降だった(13.22)。



左(東)はr-126への下りの峠道。



北は今下ってきた天目山南登山口。



右(西)はこれから行く九折岩・榛名神社方面。



かってこの峠にはこんな道標が存在したが全て土に帰ってしまっている。



ここからは今までやってきた適当に沢を歩くのではなく徹底して地形図上で
右岸に書かれている破線を忠実に辿るつもり。比高約250mの本日最高の
お楽しみ区間。
新緑を眺めて満喫しながら一休みして出発(13.45)。



出だしは順調 



草地にも明確な道跡



やがて右手の山側から小尾根の出っ張りが増えてくるので先端を回る。



出っ張りには必ず小沢が付いているのでその都度河原に降りて横断。
だがその先には先ず道形に見える気配がある。



一寸沢を歩いてこのヒラヒラテープで右岸に復帰すると



見覚えのある巨石が二つ。



その先の巨石群も右から抜ける。



右岸への固執はこの辺で根負け、どうしても岩だらけの沢歩きが多くなる。



このナメ岩の処で沢は左に急旋回するので左岸に渡ってショートカット。



こんな沢を下ると



古い小さな堰堤にぶつかるので右から乗り越え。



乗り越えた後が難しい。この倒木を潜るのだが左の谷側が切れ落ちなので緊張。



潜ったら直ぐに沢に向かって滑り降りこの大岩二枚を飛び石に使って対岸に。



この崖のような斜面を這い登り



こんな漠然とした草の生えた河原の中洲のような処を進む。あくまで右に流れる
沢から大きくは離れずに



対岸はこんな具合なので中州しか歩けない。



何となく往路で山に入った道標の所に帰着。やれやれ今日も無事だった。



暫く歩いて堰堤を越えたベンチで本日の爺イ(15.03)。



後は参道と合流して1kの道を
のんびり下って駐車場所。軽装の観光客の中、ザックやストックの姿は
やや珍奇に映ったろうな(15.20)。12.800歩。
かって使った概念図と同じなので再録。


注記
概念図中、仮称の「湯ノ沢峠」は榛名古道さんからの
ご教示に納得したので未だ仮称ではありますが
「中野矢ノ久保峠」に修正します。
2021-2-19 クタビレ爺イ




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4 コメント

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湯ノ沢峠から関東ふれあいの道 (榛名古道)
2020-07-30 19:15:16
こんにちは。

このブログに触発されて先日、湯ノ沢峠から関東ふれあいの道まで歩いてみました。楽しいコースをご紹介いただきありがとうございます。

同じ沢の右岸と左岸を計6往復しました。赤い杭が誘導してくれますが、時折コースを大きく外れたところに杭があり、迷います。

最大の難関は堰堤の後で左岸に渡るところですが、その日は水量が多くて岩が水面下にあったのか、岩が流されていたのか、写真のような大岩二枚の間の岩が見えず、ジャンプするには遠い距離に見えました。僅かに下流に目印のテープとコンクリート柱があったのでそこから崖を下って沢に降りて渡りました。直前の倒木を潜るところも併せて、あそこを80歳の御年で行かれるとは畏れいりました。

最後、地形図の破線は、「天目山」の表示が外された道標のあたりで榛名川を渡るように見えますが、水量が多く渡れそうになかったので、沢が榛名川に合流する点で榛名川を渡って右岸を少し歩いて関東ふれあいの道に出ました。

榛名山にしてはワイルドでダイナミックなコースで、楽しめました。このブログに感謝申し上げます。
沢下り (爺イ)
2020-08-01 09:09:15
榛名古道さん 拙稿がお目に留まったようで光栄です。あのコースは里山の
醍醐味を満喫できますが年々荒れが
進行しているようで残念です。
水量の多い今の時期は面倒なルート
で特に終盤の〆がはっきり決まっていません。小生はこの年を最後に訪れていません。理由はもう87歳なので沢下りが嫌と言うより神社から天目山までの登りで途中のダウンが危惧されるからです。
天目山 (榛名古道)
2020-08-11 12:51:55
天目山はその二週間ほど前に行っていたこともあり、狙いを沢下りに絞って、湖畔から126号を歩き、林道榛名宮沢線で峠まで行きました。

おっしゃる通り天神峠から七曲り峠までの関東ふれあいの道は、整備はされていますが、木の階段と段状になっている急坂がきついです。
峠の仮称 (榛名古道)
2021-02-18 17:36:45
先月、このコースの後半部分を使って128号から榛名神社に行ってきました。去年の夏来た時よりもピンクのテープが増えていたので、爺様と私以外にもこのコースを使っている方がいるようです。

堰の直後の倒木はさらに傾いて下がっていて、下を潜るのではなく上を通りました。その次の飛び石ですが、沢の水量が少なかったのに沢の中に置かれた石は見つかりません。既に流されていた模様です。沢は榛名川との合流点手前ですべて地中に潜ってしまい、合流点では涸れ沢でした。

さて、天目山と幡矢ヶ岳の鞍部は爺様が小字名から「湯ノ沢峠」と名付けたと以前のブログにありましたが、私が榛名町誌に付属している地図を検討しましたところ、峠の西側の小字は「矢ノ久保」、東側の三分の一ほどの小字は「中野」でした。堰のある辺りの沢が「湯沢」なのでそれと「矢ノ久保」を混同されたのではないかと推測します。

ちなみに東側の三分の二ほどは旧箕郷町大字中野です。小字は調べられませんでしたが、唐松かも知れません。

そこでこの峠の仮称として僭越ながら「中野矢ノ久保峠」を提案いたします。東西の地名(大字と小字がミックスされています)を含んでいて、何より語呂がいいと思います。

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