失聴から1年 | 難聴ブログ もしも願いが叶うなら

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1年前の今日、病院で失聴を告げられた。

巷は目前のゴールデンウィークの行楽予定で盛り上がっている最中

誕生日の前日に失聴と言う現実を告げられた。

2月下旬から急激悪化した難聴は入院治療のかいなく瞬く間に進行し、

そんなに長くは保たないだろうと言う感覚があった。

それでもそんなに簡単に心のシフトチェンジは出来ない。

諦める気持ちにもなれず、回復する見込みも無い。

失う事への恐怖に見えない何かに追い立てられるような日々。


1年前の今日、病院へ行く前の週末に経験した事の無い激しい耳鳴りがした。

最初は左耳に、翌日に右耳に。

耳鳴りは火災探知機か何かの警報音が直接頭の中で鳴り響き、

止めたくても壊れて止めようが無いように続き半狂乱になって布団に潜り込み

ブルブルと震え吐き気まで感じるほどだった。

止まってくれと泣いても叫んでも止まらない。

まさに最後の破壊をしている最中だと感じた。

左耳に襲った時、また聞こえなくなるかも知れない恐怖に勝手に陥って

パニックになっているんだなと言うような目で家族は見て

そのまま気にかける様子もなかった。

そして右耳にも同じ事が起きた。早朝だった。

家族は泊まり仕事でその朝帰宅予定だったけれど耐え切れず携帯に電話した。

通話になった画面を確認して助けて助けて!と訴えた。

メールで返事が来た。

明後日の通院の時に医者にちゃんと説明して。どうにかしてと言われてもどうにも出来ない。


確かにどうにかなる処置の方法があったならどうにかしていただろう。

家族は医者じゃないし、懸命に状態を説明してもどうする事も出来無い。

それでも、その時の自分には家族の対応がとても冷たく感じた。

前日に襲った左耳の状態で取り乱している姿を見て

気にかけて様子を見たり、声をかけてくるわけでもなくそばに来る事もなく

翌日には普通に出勤していく姿。

泊まり明けの仕事から2~3時間もすれば帰宅するのはわかっていても

泊まり仕事の後で疲れているかも知れないと言う発想よりその数時間が待てないほどの恐怖。

週末で病院が休みだとか、すぐ通院日が来るからだとか理由はあっても

気にかけてすっ飛んで来るくらいの気持ちが欲しいとそれしか考えられなかった。

医者じゃない家族に何か医療的手段まで縋っていたかも知れない。

職に就く者が頻度に休暇を希望したり早退する事は思うほど容易ではないのだから

施す手段がないのに自分の思いを突き通し求める事はワガママとも言える。

だけど、そばにいて気にかけてくれたら症状は救えなくても精神的に救われていたと。


結果的にその耳鳴りを最後に自分の世界から音が消えた。

通院の日が来た頃には破壊し終えたと言わんばかりに

激しい耳鳴りは、悪化してから主張の激しい音をさせながらも

いつもの我慢するしかないような程度に落ち着き

その代わりのように、この世で一番美しい音かも知れないと思うようなほどの

どこまでも澄んで響くような水滴音のような不思議な耳鳴りがし始めて

何だかその美しさが空になった心の中に時を刻んで繋ぎ止めているようで虚しかった。


出来れば現実の世界でこの音を感じたかった。

こんな形で聞きたくなかった。


保たないだろうとは感じていたけど、自分が思うよりその日が来るのが早かったなと。

家に帰宅すると、自分が留守な事で気付かれずに準備をしやすかったのだろう、

一日早かったけど誕生日の用意がされていた。

家族は当然、自分の誕生日を祝ってくれている。

でも、失聴を告げられた日のお祝いはさすがにこたえた。

プレゼントが失聴みたいな感覚にもなってしまって言い出す事が出来なかった。

子供がPCでセッティングしていたハッピーバースデーの音楽をスタートし

一緒に合わせて歌ってくれる姿。

数日前までは補聴器で聞こえたのに、何も聞こえない。

来年の誕生日が来ても、この先も、何も聞こえないのかと。

音の識別が出来ない以前に音そのものが聞こえないと言う世界。

まだ聞きたい。もう一度、音を聞きたい。


人工内耳ってものがあるらしいよと言ったのは家族の方だ。

どんなものか知らないけど、そう言う物があって

人工内耳と言う言葉があるって事だけ知ったみたいな。

なんだかよくわからないけど、自分がその対象になる想像まではしていなかった。


そして1年経った今、確かに去年の今とは違う自分がいる。

人工内耳になって音を聞く事が出来る。

もちろん、聞こえていた頃の音をそのまま何もかも再現出来るわけじゃないし

わからないものはわからない。

機械を装用しなければ何も聞こえない事に変わりはない。


このブログを開始して4月で1年になるけれど、

難聴の進行と同時に開始している分、思い返して冷静になる事が難しく

いつもいつも苦しくて辛い気持ちで揺れ動く重い文章が多い。

人によって、前を向ける気持ちになれるまでに要する時間は違う。

1年経っても2年経っても泣き続ける人もいるだろう。

1年も経てば、もういい加減、前向きになろうよとか

毎日毎日辛いだの苦しいだの聞かされうんざりするとか

変化が無いとか思う人はいるかも知れないけれど

それまで当たり前にあったものを失う事の中で

1日やそこらで誰かに変化がわかるほど急激な成長を出来る人なんていない。

みんな毎日毎日思い悩み苦しみそして少しずつ少しずつ変化していると思う。


撒いた花の種が翌日に開花しますか?

種を撒く場所、入れ物、土、花の種、一つ一つ準備して初めて育てる事が出来る。

1年経って、ようやくその場所まで来たような感じがします。

雨が降ったり風が吹いたり、寒かったり、成長していく間に色んな壁があって

どう大切に出来るか、どうしたら良いのか懸命に考えます。

そこまで来てもやり直さないといけない場面もたくさんあります。

シンガーソングライターのマッキーこと槇原敬之さんの作品にもありますが

世界で1つだけの花、自分を咲かせられたら良いなと思います。


もう1年とも言えるし、まだたった1年でもあります。

生涯の中では、まだたった1年かな…。

努力をされている頑張っていると誰からも評価されている人からみれば

自分の努力や頑張りは、どこが?どの部分が?と言う程度で

自分でも自覚はありませんが、1年経って思うのは1年前の自分とは違うと言う事。

根底にある苦しみは心のどこかにそう簡単には消えずに残るとは思います。

それでも、1年前には見えなかった自分の1年後の姿、今の姿、生きている。

自分なりに頑張ったと思います。

今はそれで十分。