ビルマ(ミャンマー)の元子供兵が語る長き人生の戦い
ミャンマー(ビルマ)を含む東南アジア諸国の武装グループは、子供を兵士として募ってきた。誘拐することもあった。子供兵は、特に、紛争地域では多用されてきた。
リクルーターは、子供たちに対し、軍に入るか刑務所に行くかのどちらかの選択肢しかないとそそのかしてきた。また、家族が貧しいため、すすんで軍に入る子供もいた。
子供が軍に入るのが義務だと考える親もいる。
子供は軍に入ると厳しい訓練を受ける。訓練はときに非人道的だ。虐待を受けることもある。
ミャンマーで子供兵が多用されたのは、軍事政権が存在した1990~2005年にかけてだ。
ミャンマーで子供兵が多用されたのは、軍事政権が存在した1990~2005年にかけてだ。
2012年、ミャンマー政府は、18歳以下の徴兵を禁じる国連の同意書にサインし、849人の子供兵を釈放した。
しかし、その後も、子供兵の使用は続いた。それは、特に、内戦が激化した北部のカチン州やシャン州において顕著であった。ロンドンに拠点を置くアムネスティ・インターナショナルは、6月、ミャンマー北部における強制失踪や虐待に関する報告書を発表した。
アムネスティ・インターナショナルによると、15歳以下の子供を兵士として集ったり、軍に参加させることは、現行の国際人権法では、戦争犯罪にあたるという。
国連は、ミャンマー政府軍と7つの民族武装グループが子供兵を使っているとしてブラックリストに載せている。
アウンコーテイは、かつて、子供兵として雇われた。彼は、2005年10月、ヤンゴンの鉄道駅で軍曹に誘拐された。
一緒にいた他の子供はトイレに行った際に、逃げ出した。しかし、アウンコーテイは、ヤンゴン北部のミンガランド街のリクルートセンターへ連れていかれた。
14歳の少年がセンターに着くと、軍曹は少佐に対し、子供を連行してきたと説明した。
少佐は子供を解放するよう命じたが、軍曹は従わなかった。
「軍曹は、私を、軍のマーケットへ連れていき、10万チャットで売りました。」
その後、アウンコーテイは、リクルートセンターへ連れていかれ、2か月間滞在した。アウンコーテイは、この2か月間は最悪の日々だったと回顧する。
「動物のように扱われました。」
「50フィート四方の部屋に、100人の子供がいました。トイレはありませんでした。トイレに行く際は、服をすべて脱がされました。脱走しないようにです。」
子供兵は、夜間は、トラックの荷卸しなどの作業をさせられたという。
2か月後、アウンコーテイは、サイゴンのモニワにある別の訓練キャンプに身柄を移された。
「軍のキャンプは、刑務所よりひどかったです。」
「家族を含む誰にも会えませんでした。」
4か月の訓練が終わると、アウンコーテイは、ラウカイの子供兵332部隊に配属された。アウンコーテイは、警備要員としてそこで1年を過ごした。
アウンコーテイは、医師になる夢を持っており、学校に戻らせてもらえるよう軍の役人に頼んだ。役人は、アウンコーテイをシャン州のラシオの学校へ通わせた。しかし、アウンコーテイは、「学生」は作業要員だと気づいた。
「軍人の学校へ行くことができました。しかし、学校では何も教えてくれませんでした。」
「勉強はできませんでした。トウモロコシ農場とサトウキビ農場で働かされました。農場から戻ってくると、食べ物はありませんでした。そこで、私たちは脱走を決意しました。」
アウンコーテイは、他の2人の子供とともに、バイクを奪い脱走した。1人の子供は、バイクの持ち主を絞殺した。
その後、3人は、拘束され、ラシオのキャンプへ身柄を移され、7か月間取り調べを受けた。
アウンコーテイは、殺人には関与していないと主張した。
「殺人には関与していないと主張しましたが、釈放されませんでした。」
「私たちは、7か月間、手枷足枷をさせられた状態で、投獄されました。そこでの食事には砂が混じっていました。」
この状況に耐えられなかったアウンコーテイは、殺人に関与したとする書類にサインした。
この後、アウンコーテイは、ラシオ刑務所へ身柄を移された。そこで、彼は死刑判決を受けたことを知る。16歳のときであった。
刑務所の環境は軍の刑務所よりよかった。家族とも連絡を取ることができた。
刑務所からの釈放
2008年、アウンコーテイの姉ナイザルトゥンは、アウンコーテイの釈放に向け動きだした。
「弟が殺人を犯したとは信じませんでした。」
ナイザルトゥンはこう語った。
「ありえない話です。家では鶏を殺して食べていましたが、弟は鶏を殺したことすらありません。」
「私は何とかして弟を釈放しようとしました。」
「政治家や弁護士に助けを求めました。」
ゾーウィンとアウンテインという2人の弁護士が特に助けてくれた。
「ナイザルトゥンが事務所にやってきて、弟を助けてほしいと言いました。」
アウンテインはこう語る。
「アウンコーテイが合法な兵士ではない証拠があるかと尋ねました。ナイザルトゥンは、アウンコーテイの出生証明書と、学校の書類を持ってきました。」
その後、アウンテインは、大統領、武装部隊のトップ、ヒューマン・ライツ・ウォッチに書簡を送った。
2015年、テインセイン大統領の恩赦の下、アウンコーテイの刑は終身刑に減刑された。さらに、その後の恩赦で、懲役10年の刑となった。そして、今年7月15日に釈放された。彼は26歳になっていた。
Association of Human Rights Defenders and Promoters のマウンマウンレイは、政府軍が子供兵をリクルートするのは容易だと語った。
しかし、軍から抜けるのは長く険しい道だという。
マウンマウンレイによると、テインセイン政権下で子供兵を助け出すのに、平均2~3年の歳月が必要だったという。
現在のティンチョー政権、実施の指導者アウンサンスーチーの下では、子供兵の救出に6か月~1年かかるという。
「当局は、次の子供兵を釈放する時系列表を持っているのだと思います。」
「今雇われている子供兵の釈放に向け動いています。彼らは、次のタイミングで釈放されるでしょう。」
ユニセフによると、6月23日、67人の子供兵が釈放されたという。
ユニセフミャンマー特使ベルトランド・バインベルは、政府軍が子供兵の徴兵をやめる動きを見せていることを歓迎すると語った。
「4年前に比べて、子供兵の徴兵は難しくなりました。」
徴兵が中央で行われるようになり、健康診断も行われ、兵士は基準を満たさなければならなくなったためだ。
釈放された子供兵は、法を犯した、武器を使用したとして非難されることもある。
しかし、アウンコーテイは正しき道に戻ってきたようだ。
アウンコーテイは姉とビジネスを始め、ヤンゴンのタンリン街のカラワエ村で綿繊維を売っている。
医者になれないであろうことを彼は悔やんでいる。
彼は、政府に対し、囚人の調査と、軍の裁判所で不当な判決を受けた人々の釈放を求めたいという。
「刑務所にいたとき、トゥントゥンという兵士に会いました。」
「彼は軍にいたとき、銃を持ってジャングルに逃げたいと言ったそうです。彼はこの発言だけで死刑判決を受けました。彼はまだマンダレーのオボ刑務所にいます。」
【亀田浩史訳】