何冊かカルテを見ていたとき、
だからさぁ~~~
と思った。
どこも似たような
カルテ情報ってどこも変わり映えしないとさえ感じた。
病気については実に詳細で具体的。
いつ発症してどんな症状で何の治療をし、経過はどうだったのかと事細かく書いてある。
けれども、
病気になる前、
元気だったときはどんなことをしていたのか、
なにが好きだったのか、どのような人生を歩んできたのか
そのような人となりは見えにくい。
新しい職場、
はじめて会う患者さんたち
似たような病状、状態が重なることが多く
誰もが同じに見えやすい時期。
早く特徴(人柄)をつかみたいのに~、
カルテにひとりつっこむ。
でも一方で、
こう感じれるのもわるくはないなと思う自分もいる。
新鮮に感じれる時期だからこそ
モヤモヤに気づける。
これはたいせつな種。
どう育てるか、
育てたいか。
夕方、処置に回っていたとき、
コミュニケーションが取れない患者さんに付き添っていたご家族と話ができた。
あいさつ程度の会話から、
こんな話を看護師さんにするのは初めてなの~よと、感謝していること、ラブラブモードな話まで飛び出した。
新しい職場、
まだ、ひとりで出来ることはまだ多くないとしても、
これまでの経験を活かし、
話に耳を傾けることはできる。
こんなとき自分は、
とっておきのエピソードを
話してみたいと思っていただけたことに、
コーチングやNLPを学んできてよかったと、つくづく思うのです。
(以前なら、こうも会話がひろがることは少なかったように思うから)
相手の想いを聞ける
想いを繋ぐ
看護師としても
そんな自分でありたいと願う。
見えている相手は一部。
めをむければ(聞かせてもらうと)次々といろんな一面が見える。
分かったなんて言葉はそうそう言えない。
分かろうとする姿勢、
持ち続けたいです。