どの国だったとしても | 4コマ漫画「アメリカは今日もアレだった」

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アメリカ暮らし漫画と昔の日本での愛犬物語です。


no664

 

”どの国だったとしても・・”というのは、私のふとした思いです。

力や戦いで領地を広げる。それが太古の昔から世界各地で人類がやってきたことで、人権がどうのといわれるようになったのはツイ最近

 

「人権思想の歴史」 (東京人権啓発企業連絡会)によると

 

フランス人権宣言(1789年)の自由権、ドイツのワイマール共和国憲法(1919年)に盛り込まれた社会権、

そして国連総会で採択された世界人権宣言(1948年)

>この世界人権宣言こそが、長い人類史上はじめて、世界中どこであっても、また誰であっても、すべての人に人権が保証されなければならないことを公的に明らかにした<

 

つまり、第二次世界大戦しちゃったあと、やっとこさ。なんです・・・・・・・

 

つまりつまり、あの大戦中およびそれ以前には、たとえどの国が帝国主義に走ろうとも、たとえばその当時に先進国”だったのがアフリカの国だったとしても、同じように残虐な人権侵害はおこなわれただろうな、と想像してしまいました。

 

でも、逆に言えば、あの世界大戦があったからこそ、人類は人権というものについて深く考え直し、それを世界的にあてはめることができたのではないでしょうか?

 

その貴重すぎる歴史を正しく公平に学び、現在と未来に生かすべきであって、あらたな諍いや力の誇示や領地拡大への欲望に突っ走るべきではない。

 

わたくし、地球の片すみのおばさん主婦兼しがない貧乏アーティストではありますけれど、そんなことを思いますですハイ、でもまあこれってごくあたりまえのことで、いまさらとりたてて言わなくてはならないというのも悲しいのですが・・・・・・

 

ちなみに、アガサ・クリスティは、その生涯で第一次世界大戦も第二次世界大戦も経験しています。そして

「戦争では、どちらの側が善でどちらの側が悪というものはない。どの国も、ただ愚か。それだけなのだ」

というようなことを書いています。

(↑これ、ネットで確認しようとしたのですが見つけられませんでしたので、私の読書の記憶です。)

 

*第一次でも第二次でも、世界大戦ではいずれも植民地のコトがタタカイの根源になっている、というのは、「第二次世界大戦の原因と終焉をわかりやすく! 」を参考にさせていただきました。