前回の続きです。


 私は警察署に連れて行かれた後は母が到着するまで休んでいなさいと言われた。これは前の晩前回のような騒動でほとんど睡眠も取れていなかったからである。躁状態だったので平気ではあったが、いつの間にか意識はなくなっていった。この後で述べるがこの意識が失われた状態は入院するまで回復しなかった。したがってここからは聞いた話と書類に基づくものである。


 精神保健福祉法23条による通報を受けた京都市こころの健康増進センターの精神保健指定医(以下、指定医という)が1名やってきた。この指定医は私を診察するとすぐにもう1人の指定医の診察が必要になると言って呼びに行った。この時には入院したくないと言っていたらしい。もう1人の指定医が到着して私を診察すると2人一致で措置入院相当との結論が出たので私は精神保健法29条により措置入院することに決まった。これは自傷他害のおそれのある患者を強制的に入院させる制度である。措置入院先が決まると私は病院まで移送されることになる。ほとんどの場合は車で移送するが、島嶼(とうしょ)部などでは別の方法も考えられる。後で分かったことだが移送する車は普通の車にパトライトがついたような車だった(←これは場合によって様々で自家用車の場合もある)。


 この頃も私は幻覚が入り乱れており、この時の状況を全く覚えていない。病院に到着すると病院の主治医の診察が行われて直ちに隔離(保護室での治療)されることに決まった。


 意識が回復したのは病院の保護室の中であり、入院して約半日が経過していた。


 保護室の構造については、病院によって若干の差があるが共通点としては個室でお手洗いも壁をはさんで中についている牢屋のような仕様になっている。鍵は外側からしかかけられない。窓はあるが20センチほどしか開かない。ベッドがあるかないかは病院によって異なるがベッドを使って自殺する人もいるらしいので私が入院した病院はベッドがなくて地面に布団が敷いてあった。これが冬なので寒かった。ちなみにお手洗いの水も水中毒の人がいるので自由に流すことができず、外のボタンで看護師が流すようになっている。鉄格子がないだけで無味乾燥な空間であることは牢屋と差がない。私はかけられなかったが身体拘束をかけられる場合もある(暴れる患者など)。


 当時の診断名は躁うつ病で、治療は主に薬物治療で、躁状態に対してはリーマス、幻覚などの症状にはジプレキサ、ロナセンなどが投与されていた。看護師は薬を飲まないと帰ってくれないので仕方なく飲んでいた。ただ、飲む薬の内容は「この薬は何ですか」などと逐一確認していた。食事は入院してすぐはほとんど手をつけなかった。


 私は措置入院させられたことを不満に思っていた。幻覚が見える中でも自分が保護室の中にいるということは自覚し始めており、医師や看護師を怒鳴りまわるようになっていた。医師も制度上できることを教える以外に何もしない。入院診療計画書にもサインはしなかったが強制入院なので一向に構わないらしい。看護師も食事と薬の用が済んだら帰っていく。


 この時の幻覚は私が過去にかかわったことのある人が声も同じで現れることが多かった。つまりその人が見舞いに来てくれていると錯覚していた。前のクリニックの主治医(←躁状態でリスペリドンしか出さなかった医師)がやってきたり、過去に勤めていた事務所の職員が垂れ幕を掲げて何百人の人を病院付近に動員して私を応援するような幻覚、幻聴が聞こえ始めた。また、実際にはありえないが保護室の天井から男性が見張っていると言うような妄想も現れるようになった。
 


 入院2日目になると書類を見る余裕がほんの少しできて私は病院の保護室に隔離されていることがようやく分かるようになった。ただそのことに全て納得したわけではなかった。



 話は次回に続きます。




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