前回の続きです。


 医療保護入院で保護室処遇になった私は本が読めるとはいえ自由に出られない空間に閉じ込められることになった。看護師が来る時間は前回の入院で把握しており、朝食8時、昼食12時(下膳の時に昼の薬)、夕食6時、寝る前の薬8時30分となっている。下膳も含めて1日7回である。この時の看護師の入り方も特徴があって患者が出られないように看護師が盾のようになって食事または薬を持って入ってくる。前回の入院の時は何とか看護師が来た時に出ようと試みたが慣れた看護師相手ではどうにもならない。ちなみに精神科の看護師は約半数が男性である。


 そんなところ知らせを聞いた母が着替えを持って駆けつけた。自殺未遂をした私にも怒るわけでもなく何があったのかを聞き出そうとしていたが私は黙り込むばかりだった。


 看護師もなぜ死にたいと思って自殺未遂を図ったのか聞かれたが、就労継続支援A型の選考にあっさり漏れたことを話すと就労移行支援があるじゃないかと言われた。私は就労移行支援の存在も2年の期限付きであることも知っている。


 どちらにしても京都と大阪どちらに拠点を置くか決めなければならなかった。この時は私は自宅のある京都に置きたかったし、母は母の自宅のある大阪に置いてほしいと望んでいた。将来のことをどうするのかを考える時間は保護室の中ではたくさんあった。余計な話だが入院を5日以上すると加入している生命保険から入院給付金が出るので安心して入院はできる。


 保護室で看護師が来る以外の時間は本を読むか今後のことをどうするのか考える時間に費やされる。本はデイルームにあった気楽に読めるメンタルヘルスにかかる漫画とかを持ち込んで読みふけっていた。


 経済面ではこの時既に障害厚生年金3級を受給しており、生活の心配は直ちにはない状態だったが状態が悪くなったことから額改定請求で2級の認定をしてもらおうと考えていた。3級だと月額5万5000円ほどだが2級になると月額約12万円に跳ね上がる。ただし新規裁定の年金の場合は受給権を得た日から1年間は請求できない。私の場合、前年の2月に受給権を取得し、当時2月の上旬だったのでもう少しで申請できるようになる計算だった。



 社会復帰をどうするかについては看護師も言う通り、就労移行支援が最短の選択肢になると考えていた。ただ、住民票があるのは京都、実際に住んでいるのは大阪という二重生活が足かせになっていた。それならば住民票を大阪に移せばいいじゃないかと思われる方もおられると思うが、私は京都の自宅を住宅ローンで買っており、そう簡単に住民票を移せない状態だった。自宅を売却すればいいじゃないかと言う話にもなるがこれもそう簡単に気持ちの整理がつけられなかった。


 とりあえず退院したら年金の請求はしつつ、大阪の私が住んでいるところの管轄の職安には精神保健福祉士による相談コーナーがあるらしいのでそこで相談に乗ってもらうことにした。そのようなことを考えていると主治医の金先生が診察にやってきた。



 話は次回に続きます。





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