前回の続きです。


 私の入院は早くも1か月を経過しようとしていた。任意入院に変わってからはほぼ毎日のように外出をしていたことは前回の原稿でも書いた。部屋は観察室を出てからは6人部屋→2人部屋→6人部屋と目まぐるしく変わり続けていた。6人部屋でも1番廊下寄りの場所で廊下での話し声やテレビの音がよく聞こえる。私に聴覚過敏があることは過去のカルテで知っているので消灯時間(午後9時)にはボリュームを下げてくれるようになった。


 これは私の隣の部屋での話になるが、病棟内いじめがあった。部屋にボスの親玉みたいな奴がいて、同室の人を手下のように扱っていた。ほとんどの人が相手にしないので対象者は徐々に絞られていく。手下はこうして1人の青年だけになった。看護師への問い合わせもこの手下を頻繁に使っていたので看護師も気づいていないはずがないのだが静観の構えだった。私がこんな扱いを受けたら翌日にでも退院するだろうというほどだった。入院してまでいじめられたくはない。この手下にされた青年もトイレに立てこもるなどして抵抗したがなぜかこの青年が悪いことになって保護室に行くことになり、気の毒で仕方がなかった。このボスは何事もないかのように退院していった。


 あとこの病棟にはもう1人特徴的な人がいて比較的高齢の男性だが言葉遣いが荒く、看護師に対しても人間扱いせず、呼ぶときも「おい!」と大声で呼びつけるので看護師たちは全く平気だが他の入院患者の方が驚いてしまう。この爺さんは結構長く入院していて入院患者みんなに怖がられていた。でも本当はすごくいい人だった。


 たまたま入浴の時この爺さんと2人きりになったことがあるがはじめは怖くて仕方がなかった。お湯がぬるいというので私が熱いお湯が出る蛇口をひねった。そうしたら、


「有難うございます」


という言葉が返ってきたので驚いた。ただ熱くならないというのでそんなにすぐには熱くならないですよ(大きさは家庭用の浴槽の約3倍くらい)と言うと分かったと言ってくれた。


 人は見かけだけでは判断できないと改めて思った。私はこの時からこの爺さんそんなに怖くないと思うようになった。それでもその日は看護師を呼ぶときの口調は変わっていなかった。ただ時間が経過して少しでもこの爺さんの口調が柔らかくなることを看護師が知ったときには、


「おい!」(返事なし)→「ちょっと」(返事なし)→「すみません」(返事あり)


と呼びかける口調によって対応を変えるようになった。


 私は午前に作業療法、午後には外出していることが多かったのであまり病棟内の交流はなかったが午後5時から就寝までの間は時間を持て余すので本を読んだり一部の入院患者と話したり将棋を指したりしていた。将棋は弱いので負け続けだったが楽しかった。


 外泊も自宅と母の自宅と2回したころには体調も安定していたので1週間後には退院することを主治医の金先生に告げることにした。



 話は次回に続きます。





にほんブログ村 メンタルヘルスブログ アスペルガー症候群へ

にほんブログ村


こちらも参加していますのでよろしくお願いします。

 ↓      ↓

人気ブログランキングへ