前回の続きです。


 入院して1か月半が経った。主治医の金先生には3月末で退院することを告げていた。それに伴い作業療法も退院の前日で終了することになった。


 退院の準備もしなければいけないので、外出して銀行に立ち寄ることになった。普段なら何の問題もなく書ける簡単な伝票に書こうとすると突然手が震えて動かなくなった。それがあまりにも激しかったので銀行の人が代筆してくれることになった。それでも自分の体が脳の指令通りに動かなかったことに大きなショックを受けた。


 こんなことが続けば大変なので主治医の金先生を呼んで事態を報告することにした。ただこの時には手の動きは回復しており、金先生も


「何かはわからないけど薬の副作用が原因だと思いますねぇ。また出るようなら教えてください」


 と首をかしげていた。幸いなことに手の小刻みな震えがたまに出る程度で大きくふるえることはなくなったので入院中に検査等を受けることはなかった。後で聞いた話では飲んでいる薬の副作用で間違いないから安心していいと言われた。


 これにより退院の予定に変更はなく、予定通り退院することに決まっていた。


 このころに若手後半の頃から飼っている犬のジュンちゃん(アメリカンコッカースパニエル、雄)の後ろ足が立てなくなった。食欲は旺盛のようで安心していたが、後ろ足は母が動物病院に連れて行っても改善されずすぐに排泄の介助が必要になるほど事態は深刻だった。私も自宅に外出や外泊をした時には近くの公園に連れていくなどして排泄の介助などをしていた。食事は自分で食べにいけない代わりに声で伝えてくれるので水と食べ物は与えていた。


 ただもう14歳の老犬で足腰もかなり弱っていたので私ももうそんなに長くはないと考えるようになった。入院中に亡くなって看取りができないとかわいそうなので予定を繰り上げて退院することにした。任意入院の場合は患者が退院したいと思ったときに退院できる。


 退院した日には排泄の介助に近くの公園に連れて行っても排泄しないなど深刻な状態は続いていた。この日は私が夜間そばについてあげることにした。そうするとジュンちゃんは小さな声で私を起こす。水がほしかったようで器を持っていくと飲んでいた。午前5時ごろにも同じように私を起こすのでまた水かと思うと違うというのでお腹がすいたのかと思いごはんを与えると全部きれいに食べた。


 その後は水もごはんも受け付けなくなり危篤の状態になった。排泄もしないなどいつ何が起こってもおかしくはない状態になった。それでも母と私は懸命に水やオレンジの果汁を飲ませたりして介助を続けた。長期戦になるとワンちゃんの介護でも飼い主は疲れ切ってしまうのだろうなと感じた。


 午後になるまでは私の膝の上で寝かせていたが、午後2時ごろになると突然呼吸が荒くなり始めた。苦しそうに呼吸を2度すると動かなくなった。心臓が止まっていることも確認したのでジュンちゃんは天国に旅立っていった。でも最後まで飼い主の膝の上で飼い主に見守られながら旅立てるというのはペットにとってこれほど幸せなことはないのかもしれない。


 ジュンちゃんは若手後半の時から苦難の連続だった私の心の支えになる存在だったので翌日には簡単なペット葬をすることにした。ペット葬業者を呼んでお経とお焼香をさせてもらい、あとは引き取って火葬してもらうという簡易版である。中には出張で火葬してお骨上げまでできる業者もあるがかなり高くつくらしい。


 ジュンちゃんを見送ってからはしばらくは悲しみに暮れていたが1週間もすると大阪に戻らなければならず、私は京都で通院、大阪で生活という二重生活が再び始まることになった。いつも散歩に1日に2回連れて行ったのがなくなっただけでも寂しかった。ペットを看取ったのはこの時が初めてだったがもうワンちゃんは飼わないと心に決めている。



 話は次回に続きます。




にほんブログ村 メンタルヘルスブログ アスペルガー症候群へ

にほんブログ村


こちらも参加していますのでよろしくお願いします。

 ↓      ↓

人気ブログランキングへ