ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

「京都観光おもてなし大使」のライターとネコのミモロが、京都の情報や暮らし、グルメなどをご紹介。心和む雑誌のようなブログ

ちょこっと東京旅。外国人観光客に大人気の「浅草寺」。平安時代には比叡山座主、円仁も来山

2015-08-19 | 東京

夏休みのある日、ミモロは、東京に出かけました。
懐かしいお友達にあったり、銀座や青山などにお買い物に行くのも楽しみです。今回、ミモロが出かけたのは、浅草です。
まずは、「浅草寺」の総門にあたる「雷門」で、お決まりの記念撮影。
「この大きな提灯、松下幸之助さんが病気平癒のお礼に寄進したんだって~」。外国人観光客が大勢その前で撮影を…。提灯だけでなく、雷門自体を寄進なさっています。

外国人観光客が関心をしめす、歴史的名所が、京都には数多くありますが、戦争の空襲で焼け野原になった東京は、都心部では「皇居」「増上寺」「明治神宮」「浅草寺」が主な場所です。

8月の暑さにも関わらず、多くの外国人観光客が、「浅草寺」の参道である「仲見世通」を歩いています。
「さすが日本人観光客は少ないね~」ミモロは、仲見世に軒を連ねる、人形焼、和装雑貨やみやげ物の店をチラチラ横目で見ながら、まずは本堂へ向かいます。

仲見世通の先には、再び門が…「宝蔵門」という入母屋造の二重紋で、昭和39年に実業家大谷米太郎夫妻が寄進した鉄筋コンクリート造りの門です。大谷米太郎は、戦前は鉄鋼王と言われ、戦後は、「ホテルニューオオタニ」を作った人物です。

お線香でお浄めをして、本堂へ入ります。
 

「わ~ここもいっぱい人がいる~」


さて、「浅草寺」の歴史は、推古天皇の時代、隅田川の漁師が、網にかかった仏像をお祀りしたことからといわれます。この仏像が、秘仏である御本尊さまの「聖観音像」で、6センチ足らずの身の丈の金色の像と伝えられます。
「でも、秘仏だから、だれも見たことないらしいよ~。どんな仏様なんだろ?」とミモロも興味を抱きます。戦時中、空襲を避けるために、本堂から運び出され、地中に埋められていたといわれ、その時、確かに仏様がることは確認されたそうですが、布に巻かれていたため、そのお姿は誰も目にしていない…と、そんな話を耳にしたことがあります。

秘仏の前には、御前立の観音像が祀られています。この仏像は、平安時代の初期に比叡山の座主 円仁がこの地を訪れ、造られたといわれているもの。
戦前までは、そのため天台宗のお寺で、戦後、聖観音宗の総本山となりました。

「このお寺、比叡山とかかわりがあったんだ~」ミモロの家から見える比叡山を思い浮かべます。

参拝を済ませて、「おみくじがある~」と漢数字で書かれたくじをその形から、探す外国人の姿が…。「読めるのかな?おみくじ…」とちょっと気になるミモロですが…

近年、「浅草寺」の建造物の屋根は、地震に備え、軽量のチタン成型瓦葺きになっています。鉄筋コンクリート造りで、耐震構造も施されているのだとか…。

「浅草寺」には、高さ48メートルの五重塔が聳えています。
「なかなか立派~」
鉄筋コンクリート造り アルミ合金瓦葺です。

「境内からは、2つの塔が見えるんだよね~」とミモロの視線を移すと、
そう、スカイツリーが近くに見えます。

「昔と今が一緒に見える~」

ここも人気の撮影ポイントです。

ところで東京の祭りといえば、5月の「三社祭」。浅草一帯で、繰り広げられる神輿巡行が見どころ。
その祭りを行うのが、お寺のそばにある「浅草神社」です。

三社というのは、3柱をお祀りしているという意味で、ご祭神は、聖観音像を引き上げた漁師の檜前浜兄弟とそれを祀ることに尽力した土師真中知(はじのあたいなかとも)という方々。いずれも後に僧となり、その子孫が鎌倉時代初期ごろに、祖先を神様として祀ったことに始まるとか…。明治の神仏分離で「浅草寺」から離れ、明治6年に「浅草神社」になりました。

神社への参拝も済ませ、再び仲見世通を歩きます。
「う~暑い~」

日中日陰のない参道は、照り返しもあり、暑さ倍増…。

「どこか日陰に行かないと、日射病になっちゃう~」と、汗ダラダラのミモロは、知り合いのお店へと向かいました。

*「浅草寺」の詳しい情報は、ホームページで



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